2007-08-31

~☆~ 只今、入院闘病中の記録更新中止中 ~☆~

 2007年9月から、止むない事情により、引っ越し準備に入り、引っ越し後も色々あり、更新出来ないでいる。まして、この記事以降、思い出すのが辛く悲しい事件が多く続くので、今現在も、時間が経てば経つほど、続きを書くのに躊躇してしまっている。

 しかし、自分の経験からすると、ここを訪れる人があるとしたら、初発の不安・治療内容と、骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)のくだりだと思うので、出来ればまた再開して、そこまでは仕上げたいと思っている。

 この病気治療で、患者にとっては辛いが、重要で必要不可欠な治療の中に、IVH挿入(CV挿入)やルンバール(Lumbar)・マルク(Mark)等がある。自分はどんな治療でも、詳しく知りたい性質だったので、それらについて、最近、詳しく調べてまとめてみたので、病気入院関連の最新記事は、当ブログ『生亜紫路2006』のTopにアクセスしてみて下さい。

 現在進行形のもうひとつのブログ『生亜紫路』は、不定期ながら更新を続けている。退院後(ちょっと経過してから)の記録の他に、普通のブログの様に日々感じた事なども書いている。よろしければ、こちらもお立ち寄り下さい。 

2008/08/20 記す。

2007-08-30

2006-07-21 (金) 外出、母の異変

 WBC(white blood cell;白血球)が増えて外泊許可(exeat;overnight)が取れる状態であるが、肛門等の痛みは激痛ではなくなったとはいえ、まだまだ大変痛い為、今日は少しだけ用事を済ませ、すぐ病院へ戻るつもりで外出許可を取った。その為、変に気を遣わせてもいけないと思い、家の母へは電話連絡をしなかった。

 14時半にタクシーで病院を出、振込みや小物の買い物等、雑用を済ませ、時間にまだ余裕があったので、ちょっとだけ家に立ち寄ってみた。

 帰宅後、何度か軽く声をかけたが、母はグッスリ(多分ぐったり?) 寝ていて起きないので、後片付け等をして起きるのを待つ。やっと目覚め、こちらを向いた母を見て、ちょっとギョッとした。前回外泊時は、10kgは痩せたのではないだろうかという程の激ヤセで驚いたのだが、今回はそれどころではなかった。顔の形が変わってしまう位に痩せているではないか? 「おかあさん、30kgあるの?」と思わず聞いてみた程だ。

 泣けてきた・・・

 もう自分でカーテンの開け閉めも危なくて出来ないので、ベランダのある日当たりのいい南側の窓は常に雨戸を半分閉め、カーテンも午後の太陽の光が眼を射って痛いと言う母の希望で、殆んど締め切った状態の薄暗い部屋になってしまっている。ヘルパーさんがいてくれる時間は光を入れてくれているらしいが、せいぜい2時間弱である。24時間ヘルパーさんがいてくれるわけでないので、夜に閉めてもらう事も考えるとこれが最善の選択だと母は言う。昼寝の時はアイマスクを利用する等して、もう少し部屋に太陽光線を入れて陽に当たらないと骨粗鬆症(osteoporosis)が進むよ、というのが精一杯であった。母もそんな事くらい百も承知の上の選択である。

 夕刻来たヘルパーのSNさんの話によると、ここ4、5日朝食も食べていない(食べられない)、水分もよく飲めない日が続き、食も細っているそうである。5月かそれ以前にこじらせた風邪が治らず、ずっと咳き込んでいるのも心配な要因という。何故今回のこの異変をもっと早く知らせてくれなかったのかとは、いつもとても良くして下さっているヘルパーさんには言えなかった。それ程あっという間に痩せてしまったのだろう。

 とにかく何か食べさせなければと思い、夕刻帰院後、先生に母の異常を話し、出来るだけ母の為に食事を作ってあげたいので、出来るだけ外泊・外出させて下さい、とお願いする。

 尋常じゃない母の痩せ方に、何とかしてあげたいと思うが、治療中の今の私には外泊が限度。日々の電話のやり取りで、次の外泊時にはうまいトリ雑炊が食べたいと母が言っていたので、美味い雑炊を作って一緒に食べようと思う。その他、消化に良さそうなもので、母の食べたそうな物も作ってあげたい。母の好物の料理も可能な限り作り置きしておきたい。つい5日程前の日曜日に次姉が作ってくれたジンギスカンを大満足で食べたと聞いていたので、まさかこんなにゲッソリとやつれ果てているとは夢にも思わなかった。

 ただ、ひとつ非常に不安な事は、私がMRSA陽性の保菌者と言われたので、弱りきった今の母に万が一、移してしまったら命取りになるではないかと言う事である。その点も十分に気を付けたいと思う。痛みもあるのだが、気が立ってしまってなかなか眠れない。

2007-08-29

2006-07-21 (金) Aコース(3回目) 17日目 MRSA陽性?

 WBC(white blood cell;白血球)が3,300に増えていたので、外出・外泊許可が出る。しかし、肛門のただれ、腫れはまだきつい状態で、座る、立つ、歩く・動くのがとても痛い状態である。この肛門痛・排便痛(朝と晩の2回)の手当てを今日も、ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)とキシロカイン(Xylocaine)で丁寧にする。ロキソニン(Loxonin)も貰って飲む(10時半と20時半の2回)。口内炎(stomatitis)もまだ痛く、夜よく寝られず、夜中にデキサルチン軟膏(Dexaltin Ointment)ケアをしてから寝直す様な状態である。

 外出許可をお願いしたので、6回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)注射をいつもより早めの14時前にして貰う。Aコース(3回目)のノイトロジンは本日で終了となる。

 ところで、7/13の咽頭スワブ(throat swab)の検査でMRSA(methicillin-resistant Staphylococcus aureus:メチシリン耐性黄色ブドウ球菌) 陽性の反応が出てしまったとTNB先生より告げられる。そして急に、セミ隔離(isolation)扱い(?) を受ける様になる。

 私はMRSAが陽性(positive)ではあるが、保菌(carrier)状態で発症はしていないと説明を受けたが、院内感染(hospital infection)で超有名なMRSAに引っかかってしまうとは……。何処で拾ってきてしまったのだろうか? 

 このMRSA陽性と出た私の扱いは気分的にひどいものである。今迄、血液の患者さんは免疫力が低いので、とシャワーも同階の内分泌系の患者さんとは分けて、午前中に一人ずつシャワーを浴びる、というものだったのに、今日WBCが増えたのでシャワーのお願いをすると、全ての患者さんが使い終わった後でシャワーを浴びるか、朝一番の浴場の掃除が入る前にシャワーを浴びる様に(そして私が浴びた後で清掃して貰う)という事に変更されていた。

 ナースが測ってくれる日に3回の血圧についても、腕に巻く血圧計に、何がどう感染(infection)するのか知らないが、私専用の血圧計がいつの間にか部屋に置いてあった。ナースが私に気付かれない様に、私が触った物をエタノールで消毒している場面も目にする。個室だったからまだしもだったかもしれないが、4人部屋だったら、もっと色んな変更があったかもしれない。洗面台等は共用だったからである。

 血液の病気になった患者さんは感染に注意、常に清潔にといわれ、シャワーも血液科の患者は他の患者さんより先に午前中にシャワーを順番に予約を取って浴びる様になっている。その習慣に馴染んできている所へ、MRSA陽性の為、他への患者さん等への感染を防ぐ為とは分かるが、一番最後の時間帯でのシャワーか、清掃前の朝にシャワーを浴びる様に言われ、少し複雑な感じだ。MRSA陽性の私の感染予防はどう考えておられるのだろうか? 感染拡大を防ぐのは良く分かるが、私が何故、何処から感染したかを調べ、私本人にちゃんと説明をする必要もあるのではないだろうか?

【血液検査結果】7/21:WBC(白血球数) 3,300 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.3 [g/dl]、PLT(血小板数) 37,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 4.1 [mg/dl]

2007-08-28

2006-07-20 (木) ICTが痛み治療の邪魔をする 

 今回私が肛門痛でかなり苦しんでいる様子を見て、同情(??) して下さっている感じのKB先生が次の様な話を教えて下さった。

 私の今の状態の場合、多分抗生剤(antibiotic)の点滴をすれば炎症(inflammation)が治り、肛門痛も解消される筈なのだという。ところが当病院にはICT(Infection Control Team)というのがあって、抗生剤を乱用しない様に監視しているチームがあるという。これは抗生剤乱用で耐性菌(antibiotic-resistant bacteria)が出来て、院内感染(hospital infection)が発生するのを防ぎたいという目的のもと、作られたチームらしい。

 ICTは、末端の痛み(私の場合は肛門痛)等に安易に抗生剤は使わず、全身発熱とか痛みが出た時に抗生剤を使う様にと監視しているそうだ。その為、私は痛みに我慢を強いられている、という図が出来上がってしまっているらしい。こんなに痛みで悶絶している時位は使用して貰えないだろうかと、患者の立場から思うのだが。

 18日の血液検査でCRP値も1.8と上昇しており(多分、今はもっと上昇していると思う)、炎症を起こしている(今回のは主に肛門痛に由来していると思われる)のに、ICTのお陰で局所の炎症には使えないという事に加え、痛み止めは感染(infection)の目印になる発熱を抑えてしまうのでWBC(white blood cell;白血球)が少ない時は出来るだけ服用して欲しくないという血液腫瘍内科の治療方針。ダブルパンチです。。。

2007-08-27

2006-07-20 (木) Aコース(3回目) 16日目 

 治療としては、15時過ぎにノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の5回目の注射がある。

 右下唇裏に出来た口内炎(stomatitis)は今日も痛く、食べづらい為、夜は試食用のカロリーメイトを主食にして済ます。デキサルチン軟膏(Dexaltin Ointment)で口内炎ケアを何回もする。

 一晩中肛門痛で寝返りも激痛が走る為、よく眠れず。昨日に引き続き身動きもままならぬ程の激痛。今回は長引くし、痛みもきつくて辛い。トイレの度にキシロカイン(Xylocaine)でケアをする。患部(affected part)が腫れており、近辺もただれてきている様で、ガーゼにつけて患部に当てる事も痛いので、ガーゼは使わず、塗るだけにしているのだが、とにかく塗るのも痛い。朝一番に体温を測って平熱である事を確認してからナースコールをしてロキソニン(Loxonin)をお願いする。飲んでも午前中の痛みは1/3位か少し和らぐ程度にしか効かなかった。

 ベッドからの起床、トイレ、歩行、全て激痛の為、出来るだけ動かない様に丸く横になって寝て過ごす。ロキソニンは起床直後と夕刻の2度お願いするが、先生は2回しか処方(prescription)してくれないので就寝前にもう1回手持ち(自前)のロキソニンを勝手に飲ませて貰う。 

  長らく続いた肛門の痛みも、夜も20時を過ぎて漸く薬が効いてきたのか、少し痛みが引いてきた感じがする。或いは待ち望んでいたWBC(white blood cell;白血球)がやっと増えてきたのかもしれない。入院時は患者さんが出来るだけストレス(stress)の無い様にするので何でも言って下さいと聞いていたのに、少なくともロキソニンは1日3錠迄は良い筈なのに、こんなに痛みで苦しんでいる時に痛み止めを制限するとは、ほんまに先生は酷やと思う。

2007-08-26

2006-07-19 (水) キシロカインビスカス 

 『キシロカイン(劇)ビスカス(Xylocaine Viscous) 経口表面麻酔剤100ml』が処方される。塩酸リドカインビスカスとも言うらしい。経口表面麻酔(oral surface anesthesia)剤で、今回は肛門痛を和らげる為にと処方された。

 見た目は透明でほんの少し粘度のある液体で、たっぷり付け様とするとすぐに流れてしまう位ゆるい粘度である。販売名の中のビスカス(Viscous)は『粘性の』という意味がある。少し甘い様な匂いがする液体だが、金属を侵す性質がある為、金属器具は使用しないのが望ましく、専用の小さなプラスティックスプーンが箱の中に入っている。使用した感じは液が冷たかった、或いは患部が腫れて熱を持っていたせいもあるのかもしれないが、ひんやりとして少しスースーする成分が入っている気がした。

 今回は肛門痛の緩和と言う事で、ナースが『ディスポーザブルRDガーゼ』というものを持ってきてくれ、これに液を垂らして患部に当てたら良いだろうと渡して貰った。

 経口(oral)と書いてあるだけあって、内視鏡検査、咽喉頭・食道部の麻酔、胃部麻酔等に飲み込んだり、口腔内麻酔では口腔内に広げたりして使用するらしい。説明書には経口投与時の諸注意が書かれていた。この瓶と添え箱に書いてある事等を以下に抜書きしておく。

・ 成分・含量: 塩酸リドカイン20mg/ml
・ 添加物:メチルパラベン、プロピルパラベン、サッカリンNa、CMC-Na、pH調整剤、香料
・ 劇薬(dangerous drug)、指定医薬品、室温保存。
・ 製造販売元:AstraZenecaグループ

※ 万が一、ショック様症状が起こった場合は、直ちに人工呼吸(artificial respiration)、酸素吸入等を実施する事と、説明書とは別に箱と瓶のラベルに注意書きがあった。主に経口投与時の注意と思われる。
※ 作用機序は、塩酸リドカインは神経膜のナトリウムチャンネルをブロックし、神経における活動電位の伝導を可逆的に抑制し、知覚神経(sensory nerve)及び運動神経(motor nerve)を遮断(blocking)する局所麻酔(local anesthetic)薬である。
※ 麻酔効果・作用時間は、塩酸リドカイン(Lidocaine hydrochloride)の表面・浸潤・伝達麻酔効果は、塩酸プロカイン(Procain hydrochloride)よりも強く、作用持続時間は塩酸プロカインよりも長い。

 私の場合は塗り薬として使用する様にと貰ったが、劇薬なのに飲んで使用する事もあると知り、ちょっと驚いて、劇薬の意味を調べてみると、『毒薬に次いで危険性の高い薬物』とある。しかし落ち着いて良く考えてみると、化学療法(chemotherapy)で点滴されている抗癌剤(anti-tumor agent)も劇薬である。薬は使用量が大変重要で、適正な量を使うからこそ薬としての威力を発揮しているという事なのだろうと、認識を新たにした。

2007-08-25

2006-07-19 (水) Aコース(3回目) 15日目 

 口内炎(stomatitis)で痛く、朝食のパンは食べるのを止める事にする。少しむくんだ感じがする。

 今日は肛門に少し力を入れるだけでも激痛が走る。肛門痛ひどいが、熱は無い事からロキソニン(Loxonin)を9時半に貰って飲む。回診(round)時に私がベッドに座るのも痛く、横向きに丸くなって寝ている様子を見て、TNB先生、KB先生のそれぞれのから、しっかりと手術(オペ:operation)した方が良いのではないかという話が出る。体の位置を移動するたびに激痛が走る。歩行もかなり困難な程、痛く、便通時に出血は無いが、排便痛が厳しく、ロキソニンも殆んど効き目無し。ケア等も激痛で、後はもうグッタリと寝る。それから昼に、少しでも苦痛を減らす目的も兼ねて、キシロカインビスカス(Xylocaine Viscous)を経皮鎮痛剤として処方されたので、以降、お手洗いの度に使用する様にする。

 15時過ぎにノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射がある。 

 TNB先生は、ロキソニンの服用はWBC(white blood cell;白血球)値が低い間は1日2回迄との考えが強い。次に痛み止めが飲める時刻まで時計と睨めっこしつつ、体温を測り、ナースにお願いして、今日は19時前に2度目のロキソニンを飲む。

 ところで前回外泊の折に新しいFaxの子機を持ってきた。家にはFax専用の他に通話専用電話と子機が2台あり、結構電話機が多いのだが、Fax専用の方を新しいのに変えた為、こちらに電話番号は何も登録されていない状態であった。夜、薬を飲んだ後、出来るだけお尻が痛まない様な姿勢で寝転んで、母を含め、ヘルパーさんも簡単に電話をかけられる様にと、よく使う電話番号の登録をする。これを次の外泊時に持って帰れば、親機への登録は転送すればよいので、次の外泊時に時間を取られずに済む。そんな事をして気を紛らわして過ごす。

2007-08-24

2006-07-18 爪切りについて

 今日は久々に手足の爪切りをした。爪切り等は患者自身が判断して適宜、切れば良いのだが、深爪にならない様に、治療中は特に気を付ける様にと、注意されている。本当はWBC(white blood cell;白血球)が増えてからの方がベターではあるらしい。

 この病気になって入院してから、指先と爪の状態も以前と違ってきている様に思う。これは私だけに現われる症状なのかどうかは知らないが、どう表現したら良いのだろうか。何かの弾みで指の爪先にちょっとの力が加わっただけでごく少々ではあるが爪の先端部分が少し指先の肉から離れてしまう。それが重なって、結果として深爪をしたかの様に指先が痛くなってくるのである。

 血が出る訳でもなんでもないのだが、必要以上に爪の接着面が剥がれると痛いのである。仕方がなく、それ以上剥がれたりしない様に、指先にテープ(IVH部を覆っているガーゼを胸に止めているテープ)を巻いて保護したりしていた。最初はその経験から、爪を切るのをなるべく控えていると、今度は長くなった爪が何かの弾みで物にぶつかるとか、ちょっと強い力が加わる等で、また爪の接着面が少し離れてしまうのである。

  と言う訳で、爪の長さは切り過ぎず、伸ばし過ぎず、微妙に調整している。

2007-08-23

2006-07-18 マルクとノイトロジン(G-CSF)

 マルク(Mark:骨髄穿刺;bone marrow puncture)はノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)注射後、2日間位は避けた方が良いと聞いていたが、その理由をKB先生に教えて貰った。

 WBC(white blood cell;白血球)の値の上昇には当然ノイトロジンの影響もあり、WBC上昇直後やその2~3日位はまだまだノイトロジンのせいで増える可能性がある。そうなるとマルクでの診断が付き難くなるという。即ち、WBCが増え過ぎた場合、骨髄(bone marrow) の白血球が多くなり過ぎて、骨髄液(bone marrow aspirate)像が見難くなる等の影響があるという。

  但し、どれだけWBCが増えたとしても正常なWBCと白血病細胞(leukemia cell)との区別は出来るので、ノイトロジンのすぐ後でも寛解(remission)かどうかを確かめられる事には間違いないらしい。つまり像が混み過ぎて見落とす、見誤る等の危険を避ける為に、その様な時期のマルクを避けているという事か。

2007-08-22

2006-07-18 BMTと消化器外科 

 20時前にTNB先生が来られ、私のお尻の痛みについて話に来られた。私が今日もロキソニン(Loxonin)無しで肛門の痛みを我慢出来なかった事に対し、もう少し本格的に消化器外科で内視もして貰って、移植(transplantation)を前にしっかり治して貰った方が良いだろうとのお話だった。

 そこで私の方も、処方(prescription)されたネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)の鎮痛作用は少なく、ロキソニンの方が遥かに良く効いていると思われる点、こんなに痛むのに、この激痛時にと消化器外科の先生から処方された筈の座薬(suppository)は血液内科では却下されているという矛盾、更に、消化器外科の先生は白血病(leukemia)患者が治療中に痔を患った時というのは、あくまでも私の経験からであるが、恐らく健常人が患う時とは体や患部(the affected part)の状態が違うという事を理解して貰えていないと思われる点を話した。具体的にいうと、私の場合、この白血病(leukemia)の治療で白血球(WBC;white blood cell)が測定不能までに減少している時の患部の状態(肛門の粘膜や筋肉)は、肛門部が感染(infection)してびんびんに腫れて熱を持っているのだが、健常時(入院前)やWBCが多い時の状態とは違って、非常に弱々しくふにゃふにゃと力(りき)が無い状態なのである。うまく表現出来ないのだが。。。 

  更に、この前の消化器外科の診察で、私のは皮膚垂で通常この程度なら切らなくても良いと言われたが、今回、内出血(internal bleeding)は無い状態ではあるが非常に痛む事、炎症(inflammation)で腫れて排便痛が厳しいという事等、色々話をTNB先生に聞いて貰う。先生も消化器外科の先生にもっと踏み込んで、移植に向けての(痔の)治療を考えて貰う様に話をしてみると言って下さった。そうなると、もう一度診察を受けなくてはならなくなるのか。どう転んでも憂鬱だが、この痛さから開放されるのなら、もう既に1回診察されているのだから、再診も我慢出来るというものである。

  骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)の直前には現在の化学療法(chemotherapy)よりももっと厳しい治療で、徹底的にWBCを殺す処置をする。その為、移植時に肛門に炎症を起こすと、七転八倒する位、もっとひどい痛みに苦しむ患者が多いという。移植自体、大変リスク(risk)があるというのに、この話を聞かされると、少しでも移植のリスクを減らす為にも、もう一度受診した方が良いのだろうとも思う。

2007-08-21

2006-07-18 (火) Aコース(3回目) 14日目 

 手足指先のしびれはごく少々、頭痛(headache)は無い。右下唇裏で1ヶ所膿んで痛かったのが2ヵ所に増え、痛い。起床一番で咽頭スワブ(throat swab)があった。

 ステロイド(steroid)のデカドロン(Decadron)の点滴が1時間かけてある。これで今回のAコース全ての点滴が終了する。そして15時過ぎに白血球を増やすノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射がある。

 朝から肛門痛がひどく、出血は無いが排便痛もきつく、ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)ケアにも涙が出る。昨夜ロキソニン(Loxonin)を飲んでから8時間以上経過している事と、朝一番の検温で平熱であった(発熱はしていない)事を確かめてからナースにロキソニンを頼む。ナースは先生に確認を取ってから持って来てくれる。お尻と口が痛い事もあってか、血液検査で炎症反応を見るCRP値も上昇している。残念ながらWBCはまだ底値である。余りの痛さに午後は体を動かさない様にそっと寝て過ごす。17時過ぎにもロキソニンを頼み、夜中にくしゃみ(sneezing)をした時にも猛烈に肛門に激痛が走り、耐え切れず、真夜中の0時半にもロキソニンを飲む。  

 母とのいつもの電話で、今日は体が痛いという。痛みの種類は違うけど、私も唇とお尻の痛みで苦しんでいます。。。

【血液検査結果】7/18:
WBC(白血球数) 測定不能、HGB(ヘモグロビン) 7.8 [g/dl]、PLT(血小板数) 32,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 1.8 [mg/dl]

2007-08-20

2006-07-17 Aコース(3回目) 13日目 IVH交換時期について

 IVHコネクターを右胸に直接留めている糸が3本の内の1本切れてしまっているのだが、うまく固定出来ていないと見え、少々ねじれるのか、管の挿入部が痛い。それとは別に、昨日から茶色のカテーテル側から久々に逆血が見られる様になり、管の詰まりが少し解消したのかと思い、少し精神的安心材料である。

  それでも交換しなければならないのか、やはり不安ではあり、次の治療コースの合間にIVHカテーテル(intravenous hyperalimentation catheter、中心静脈カテーテル)を交換するのかどうかTNB先生に訊いてみると、私の場合、血管が細い事から、リードワイヤーがうまく入るかどうか(2006-06-13参照)が疑問という点と、カテーテルは2本とも完全に閉鎖している訳でもなく、太い管につながっている茶色のカテーテルは十分流れているし、細い方のカテーテルも流れが少し固くなっているだけで通っているので、交換は移植(transplantation)まで見送ろうかと考えているそうである。これを聞いて、更に少し安心した。とにかくあれ(IVH挿入)は辛い。

2007-08-19

2006-07-17 (月・祝) Aコース(3回目) 13日目 今回も

 諸症状に変わりなし。その他としては、右下唇内側に以前少し噛んで傷を作っていた所が治りきらず、少々膿んでいる気配である。

 今日の治療は11時にステロイド(steroid)のデカドロン(Decadron)の点滴が1時間かけてあったのと、15時半に白血球を増やすノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射があるのみであった。

 金曜にWBC(white blood cell;白血球)数がどん底になったせいか、8時前の便通時、出血はないのだが排便痛があり、その後、肛門の痛みが次第にきつくなる。そして10時前にも再度便通があるが、この時には、とにかく排便痛が厳しく、ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)でケアすること自体も非常な苦痛を伴なう程痛くなっており、ここ2~3日、ヤバイかもと思っていた事が現実となってしまった。今回も肛門内の傷がしっかり治らないうちにWBCが減ってしまったのが原因だと思われる。

 今迄先生に頼んで処方された強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)や、消化器外科の処方のネリプロクト軟膏を塗布、又は注入しているが、後者等は腫れを引き局所麻酔(local anesthesia)作用もあると説明書きにあるが、WBCがどん底の時等は全然効かない(効いているとは思えない)。痛みは引かず、肛門の周りがただれてきても、それを保護する効果も無い。消化器外科受診時の先生がひどく痛む時には良く効く座薬(suppository)を処方してくれると言って下さっていたが、やはり、血液腫瘍科の先生は座薬の許可はしてくれなかった様で、未だ処方してはくれていない。WBCやPLT(platelet:血小板)が減少している時期の座薬は危険と判断されたのだろう。となると、残りは飲み薬の痛み止めロキソニン(Loxonin)である。しかし痛み止め薬は、感染(infection)したというシグナルでもある発熱(fever)を下げてしまう作用もあるので、WBCが少ない時期、先生方はなるべく飲まない様に我慢して下さい、とよく言われる。言われている内容は分かるのだが、余りに辛く痛いので、午後一番にTNB先生に痛み止めをお願いすると、夜に飲んでも良い許可を得た。

 ところで処方された塗り薬が余りに効かないので、入院後としては初めてなのだが、持っていたメンソレータム(Mentholatum)を塗ってみた。かつて入院する前、痔になった時、メンソレを患部に塗っていた経験から、ただれている皮膚の保護と腫れた部分の熱を取ってくれるのではないかと期待しつつ塗ってみた。もう立ったり座ったりの僅かな動きすらも痛みで大変厳しくなってきているので、藁をも掴みたい気分で試してみたというのが本心だ。

 さて、その効果はとても大きく、痛みもかなり引き、熱も少し取れている様な気がした。何よりも、余りの痛みの為、もう午後早々に痛み止めのロキソニンを頼まなければならないかもと思っていたのが、これなら何とか夜まで我慢出来るかもしれないと出来るだけ我慢し、夜になってロキソニンを飲む。

  今日は母の所に泊まってくれた次姉が帰る前の午後に15分程、病院に立ち寄ってくれる。母は、昨夜たくさんジンギスカンを食べ、便通もあっておなかがペッタンコになるほどすっきりしたと大変満足していたそうだ。この話を聞くと、母の便秘(constipation)はやはり、平生の食事量が絶対的に少な過ぎるのも原因の1つなのではないかと思う。私の場合、(普通便や軟便ですら)WBCが最低の時の排便が余りに痛くひどいので、とにかくWBCが増えるまで便秘になってもかまわないから便通はあって欲しくないと思う位なのだが、母にとっては大仕事の便通がしっかりあったと聞くと、やはりおめでとう、と言ってしまう。

2007-08-18

2006-07-16 (日) Aコース(3回目) 12日目 ノイトロジン開始 

 諸症状は昨日同様。朝の便通で出血はなかったが、かなり軟便になっている。ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)ケアをしておくが、金曜よりWBC(white blood cell;白血球)がどん底になっているせいか、時間が経つにつれ、じんわりと肛門が痛み出している感じがする。ラキソベロン液(Laxoberon Solution)は就寝前に1回服用するが、今回もまた痔(piles;hemorrhoids)で苦しみそうだ。

 10時半から献血ヴェノグロブリン-IH ヨシトミ (Kenketsu Venoglobulin-IH YOSHITOMI)の点滴が約1時間かけてあった。14日に血液検査で時々行なわれる免疫グロブリン(immunoglobulin:Ig)の項目があったが、その値が減ってきていたからだろう。これが終了してから、Aコース治療後半のステロイド(steroid)のデカドロン(Decadron)の点滴が1時間かけてある。

 15時に第1回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射が始まる。オンコビン(Oncovin)前後のノイトロジンは避ける様にと訊いていたが、オンコビンの静注(intravenous injection)から丸24時間以上経っていると大丈夫なのだろう。

  11時過ぎから14時まで次姉が見舞いに来てくれる。姉と2人でおしゃべりをする。今日は珍しく母のいる実家に泊り込んでくれるという。とてもありがたい。夜、ジンギスカンを用意していて、母のいる2階の部屋で夕食を予定しているそうだ。そして、夜、母から、久々の珍しい夕食に満足したと言う電話をしてきてくれた。母は、いつも夜はヘルパーさんに用意して貰った夕食を一人で食べているが、去年年末に転んでからは、欲しいものがあってもすぐ近くの冷蔵庫から取り出す行為自体が大変でかつ危なくなってきている為、諦めてしまっている事が多い。食器も止むを得ず朝まで放置状態である。でも今日は次姉がいるのでそんな心配等する事なく、また次姉はそのまま泊まるという事で久々に安心していられると思う。私は治療で病院からなかなか出られない為、どんだけ気にしてもすぐに何かしてあげられる訳でもなくもどかしいけど、今日は良かったね、お母さん。

2007-08-17

2006 歯ブラシ事件補足

 歯ブラシ事件の件の追記をしておく。

 歯ブラシ(toothbrush)を消毒(disinfection)して使い回しにされていた事に驚いて、一体どんな方法で消毒するのかをKB先生に訊いた時、先生は歯ブラシの消毒方法はよく知らなかったが、胃カメラ(gastrocamera)等はグルタルアルデヒド(glutaraldehyde)で消毒するのだと言われ、ビックリした。私の仕事ではお馴染みの薬品で、生物組織等を固定(fixation)するのに使用している。それが消毒薬として使われているとは全く知らなかったし、想像した事も無かった。消毒した後はよく洗浄するのだろうけれど、グルタルアルデヒドは強力な固定液というイメージが強いので、今後、胃カメラを飲む機会があるとしたら、それなりに複雑な気分になるかもしれない。

 それはさておき、例えどんな消毒方法があろうとも、歯ブラシの使い回しは気持ち悪く、何とかならないかと先生に訴えた時、口腔外科に先生自身の口から伝えるのを何となくためらう言動をされていた。その時、とにかく上層部に直接話が通る方が効果的と思われた根拠となる話をして下さった。

 KB先生は10年以上前に刑務所にも勤めておられた事があるらしい。そこでの話だが、囚人のヒゲ剃り用のカミソリ(razor)は全て使い回しになっており、毎回全員分のカミソリを回収しては洗浄して次回使用分に回していたと言う。先生は服役者の中にはC型肝炎(hepatitis C)の人もいれば、少数ながらAIDSの人も存在する可能性があり、非常に危険なので、カミソリは個人持ちにする様にと訴えたが、「前例が無い」とか、「管理し切れない」等の理由によりついに聞き入れて貰えなかったそうである。

 ところが、組織の下(末端)の者(ここでは先生自身)がなんぼ叫んでも通らなかった、このカミソリの個人持ちの件(もちろんカミソリを服役者が保管する事は出来ないが)は、ある時、鶴の一声で上層の人がOKを出したら、すんなりとそれが実現(実行)されたという。

 この様な経験から、出来るだけ直接上層部に話が伝わる方が、下手に先生からその科へ話を通すよりは、改善させ易いと考えられた様だ。伝え方が悪いとその科の長(上司)に伝わる前にうやむやになってしまう可能性も無いとも言えないみたいだった。

 それにしてもKB先生は本当に色々な所で勤めておられると、ちょっと感心してしまった。

2007-08-16

2006-07-15 (土) Aコース(3回目) 11日目 

 諸症状変わりなし。午後と深夜にようやく便通があるが、また最後の方に鮮血が付いていた。ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)でケアをしておくが、この調子だと、明日あたりからまた痛み出すのではないかと、少々怖い。ラキソベロン液(Laxoberon Solution)は、今日は1日2回服用する。

 Aコースの後半、11時にオンコビン(Oncovin)の静注(intravenous injection)後、ステロイド(steroid)のデカドロン(Decadron)の点滴が1時間かけてある。ステロイドは今日から丸4日間、点滴がある。

 今回2回目のオンコビン静注前にWBC(white blood cell;白血球)が早くも最低になっていたが、これは早過ぎるのか、許容範囲内なのかを訊いてみた。これは、治療にはいる時のWBCの値が低かったのも一因と考えられるとの事。調べてみると、確かに今回はWBCが2,000位から治療が始まっていた。TNB先生は、しばらくWBCの底値が続くがステロイドの影響で、もし発熱(fever)してもそれを抑えてしまう傾向があるので、感染(infection)や発熱に注意する様に、と言われる。そして次回の採血は月曜日が海の日で祝日なので、火曜日にするとの事だった。

  夜はいつもの様に母と電話でおしゃべりをする。今日は昨日より気分が良くなったらしい。

2007-08-15

2006-07-14 (金) Aコース(3回目) 10日目  脱毛始まる 

 久々の快晴になった。諸症状は変わらず、おおむね良好である。頭髪は残り少なくなったとはいえ、急にパラパラと抜け始めたので、今回の治療での脱毛(alopecia)が始まったらしい事が分かる。

 今日も化学療法(chemotherapy)は無いのだが、今朝の採血で、WBC(white blood cell;白血球)が無くなっていたので、今日からは極力部屋からも出ない様に心がける事となる。また、HGB(hemoglobin;ヘモグロビン)も7にまで減っていたので、赤血球(RBC:red blood cell)の輸血(blood transfusion)が2単位あった。夕方から始まったが、これは終了するのに5時間近くもかかった。

 それから普段は大体午前中にある便通が1日無かったのと、治療も中盤でWBCが測定不能にまで減少したので、便秘便で肛門を傷付けない様に、下剤(cathartic)のラキソベロン液(Laxoberon Solution)の服用を今晩から開始する事にする。便を軟らかくするカマグ(酸化マグネシウム:Magnesium Oxide)をいつもは1日3回服用しているが、明日使われる抗癌剤(anti-tumor agent)のオンコビン(Oncovin)の副作用に対応する意味も兼ねて、昨日から1日4回に増やしている。

 夜になって、微かに花火の打ち上げられる音がしてきた為、ブラインドを開けて窓の外を見てみると、Tヶ池の花火が夜空を飾っていた。私の個室からは建物や山に遮られる事なく綺麗に見える。何か国際会議でも催されているのかもしれない。前いた4人部屋の角度では花火は見られないので、その時は花火を見られる廊下の突き当たりまで歩いて見物に行ったが、打ち上げの音に気付いた他の部屋の患者さん達が既に数人集まって楽しんでおられた。私の今度の個室もなかなかの絶景で、部屋の明かりを消して、しばし花火見物を楽しませて貰った。この夏、あと何回か楽しめるだろう。

【血液検査結果】7/14:
WBC(白血球数) 100未満 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.0 [g/dl]、PLT(血小板数) 82,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 0.1 [mg/dl] 、
Ig-A 54.7、Ig-G 479.0、Ig-M 45.5

2007-08-14

2006-07- 13(木) 最近の眉とまつ毛 

 この2~3週間の眉とまつ毛の様子についてまとめてみる。

 6/17はケモ(化学療法:chemotherapy)も中盤、全8クール(Kur)あるうちの4クール目で、Bコースの2回目(day8)である。最近、眉毛(eyebrow)もまつ毛(eyelashe)もかなり抜けて、スカスカの、情けない状態になってきた。

 6/24、Bコース2回目の15日目で、入院90日目(3ヶ月)である。まつ毛は右の上目蓋に長いのが2~3本残っているのみで、長いまつ毛は全て抜けてなくなっている。中くらいと非常に短毛のまつ毛がまばらに生えて残っている。短毛のまつ毛はもしかするとケモ(化学療法:chemotherapy)とケモの間の回復期に新しく生えてきたまつ毛かもしれない。眉毛はかなり全体的に薄くなり、貧相になってきた。まつ毛は抜ける時、よく眼の中に落ちてくる事が多く、困る。

 7/5、入院101日目で、Aコース3回目が始まった。この日、まつ毛は一本抜けてとうとう左下目蓋に1本、右上目蓋に1本だけになってしまった。それにしても抜ける時のまつ毛は何故か皆、目尻側に横向きに倒れて行き(寝そべって行き)、挙句の果て、力尽きるかの如く眼の中に抜け落ちる率が高い。その為、目の中のまつ毛を取り除くのに毎回苦労する。

 7/8、左下目蓋に一本だけ残っていた長いまつ毛が抜けて目の中に入ってしまう。これで長いまつ毛は右上目蓋に1本のみとなった。後は、ごく短毛が少々生えているだけである。

 7/13、Aコース3回目の9日目、最後まで残っていた長いまつ毛1本がとうとう抜けてしまった。

 現在薄い布製の帽子をかぶっているが、何かの折に壁にもたれようとした時、頭が壁にゴツンと当たり、ひどく痛くて驚いた事があり、髪の毛は自分の想像以上に頭部を守るクッションの役割もしていたのだなぁと改めて感心している。その他、最近気が付いたのだが、薄くなったが眉毛がまだ少々残っているのに対し、まつ毛はごく短毛以外、全て抜けてしまい、驚く事に鼻毛がいつの間にか殆んどなくなっていた。最近、何か熱いものを飲んだり食べたりすると、鼻水がテーブルの上等にストレートにポタッと落ちてしまって、おかしいなぁと思って鼻の穴を鏡で覗いてみて、つんつるてんになっているのを発見し驚いてしまった。鼻水が落ちない様に、しょっちゅう鼻をかんでいるので、結構難儀している。鼻毛がこんなに大切だとは知らなかった。

 抗癌剤(anti-tumor agent)で脱毛する(毛が抜ける)とは聞いていたが、とにかく毛という毛、鼻毛に至るまで抜けて行ってしまう。頭髪は剃らなかったので、まだ抜け切らずに襟足あたりにごく少し残っているのが分かるのだが、髪は全部抜けても我慢出来る。しかし、眉毛やまつ毛が無くなるにつれ、貧相な、何となく怖い顔になってしまい、鏡で自分の顔を見たくなくなる。試しに眉墨で眉を描いてみようとしてみた事があるが、毛が抜けてしまうと、皮脂(sebum)が出てくるとみえ、なんだかはじいて眉墨が上手くのらない(描けない)のである。

 白血病(leukemia)のドラマや映画が色々あり、抗癌剤治療で頭髪が抜けるくだりでは、多くはニット帽をかぶってそれを表現している。しかし帽子をかぶった役者さんには当然、眉毛やきれいなまつ毛がある。長いまつ毛の影がおちる横顔が美しい。もちろんそこまで剃ったり抜いたりする必要等、ストーリー上、全く必要ない。現に抗癌剤治療を受けて頭髪が抜けてしまった患者さん達は大半が帽子をかぶっている。しかし、治療初期はまだ眉毛やまつ毛が残っているのだが、治療を繰り返すにつれ、抜けて無くなっていく。それを知らなかった。カツラ(wig)をかぶれば良いと思っていたが、眉もまつ毛も無くなると、カツラをかぶってもなんだか違うのである。

 不思議なもので、まつ毛等も抜け始めて無くなってくると、先生やナース、テレビに出てくる人物等、やたら人の眉毛やまつ毛ばかりに目がいってしまう様になった。妊娠(pregnancy)すると道行く妊婦が目に付く様になるといった話と似ているのかもしれない。先生やナースは必ずマスク(mask)を着用しているが、目や眉はマスクの外で見えているので尚更見入ってしまう。みんなしっかり生えているなぁ~っと。

 化学療法(chemotherapy)で、無くなるのは毛だけでなく、健康だった顔色もである。普通ではない、どの様に例えたらよいのか、とにかく病的な色になってくる。無くなってくると、帽子も今迄以上に目深にかぶってしまう。こういった精神的なものもあるが、一方で無意識に深くかぶってまつ毛の代わりにしようとしているのかもしれない。まつ毛が無くなるとゴミや埃がよく目に入る様になって困る様になったからである。


  私の入院での先輩患者さんのISさんの事を、入院初日に見た時、心の中で怖いと思ってしまった事が申し訳なく、今の自分はまさにその状況になって来ている、もう立派な白血病患者なんだと、日々自覚する、そんな毎日を送っている。

2007-08-13

2006-07-13 (木) Aコース(3回目) 09日目 治療の中休み2

 諸症状と腰痛(lumbago;backache)等は前日と変わらず。便通では今日は出血は見られなかったが、ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)ケアを開始する。昨日シャワーの許可を貰っていたので、シャワーを浴びておく。もうそろそろ白血球(WBC;white blood cell)数がグンと減る頃なので、またしばらく浴びられなくなるだろう。

 今日も治療の中休みで何も無いので、階段昇降自主リハビリ(rehabilitation)、計3回と、ついでに入院費の支払い等を済ませておく。その他、届いたメールの返事を作成したり、TVを見たりと、結構リラックス(relax)した一日を過ごす。

  母は(一昨日は便秘を除く限り気分が良いと言っていたが)、昨夜便通があったと嬉しそうに電話で話してくれた。母は脚も大変弱ってきているのに便秘によるトイレは大変エネルギーを消耗する大仕事になってきているので、とにかくおめでとうと、言いたくなる。お母さんもガンバって。

2007-08-12

2006-07-12 (水) ベッドマット交換

 ベッドマットをもう少し柔らかめのものに交換して貰う。

 入院初期に、私は椎間板ヘルニア(disk herniation)による腰痛(lumbago;backache)がある為、病院のベッド(bed)が固くて辛い話をした時、ナースは並々の突起のあるスポンジ状のベッドマットを敷いてくれた。これは体を面ではなく点で支える分、腰にも負担が少ないと言われているらしい。しかし実際に寝てみると、見た目程柔らかくなく、これは腰痛の改善とも現状維持ともどっちとも付かない感じで、私には家のベッドの方がより快適な寝心地に感じていた。しかし、病院ではこんなものなのだろうと思って、それ以上は何もお願いはしていなかった。

 ところが昨日、看護主任であるFDナースがその事を思い出してくれたのか、急にベッドマットの寝心地を聞いてこられ、もう1つ他のタイプの、コンニャクみたいにぐにゃぐにゃしたマットがあるから試してみないかと言ってくれたので、取り敢えず一晩試す事になったが、何となく前のよりも良さそうな感じであった。

 一晩使用した感想は、今回のベッドマットは私の好みに近いらしく、今朝の腰痛はマシであったので、このマットで、このまま続けて使用する事にした。ベッドマット(クッション)には色々種類があるらしく、我慢せずにもっと早くナースに聞いて試したら良かったらしい。

2007-08-11

2006-07-12 (水) Aコース(3回目) 08日目 治療の中休み

 手足指鼻舌先、ごく軽く痺れを感じる。唇の皮は相変わらずよく剥ける。これと同じ調子で舌の表面(表皮)も剥けている感じがする。頭痛(headache)無し、立ち眩み(dizzy)は時々起こり易くなった感じがする。喉の奥に痛みというか少々違和感がある。脚にむくみは無く、体重は漸く正常に戻った様である。気分は随分良く、治療は中休みで何も無く、階段昇降自主リハビリ(rehabilitation)を今日も計3回行なう。

 13時に便通があり、便に血が混じる。普通に軟らかい便で下痢(diarrhea)でもなかったのだが、少々腹痛(abdominal pain;abdominalgia)を伴ない、便の表面に鮮血が付いているという状態であった。肛門内の粘膜は、前回の治療中のダメージ(白血球数がゼロになった時に長く痔をこじらせた等)からまだ十分に回復していなかったらしい。これから白血球(WBC;white blood cell)が減少する時期でもある事から、回診(round)に来られたKB先生と相談し、ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)の使用を再開する事にする。

 血液検査の結果はWBCが700で好中球(Neutrophil)数が630個であった。TNB先生は夏休み中なので、YM研修医に明日シャワー可かどうかを訊くと、明日の朝、熱が出ていなければシャワーを浴びてもよい、と許可が出た。YM先生曰く、先生方によって判断がまちまちになるので、どの先生の考えによるかが難しいところらしい。確かにTNB先生なら許可が出るかどうか微妙な値である。ちなみにこれは病院によっても異なってくるらしく、KB先生がかつておられた北陸のKZ医大は、WBCが測定不能の0になってもシャワーの許可を出していたそうだ。ちょっと驚きである。

 今朝は曇り空だったが、アブラゼミがジージーと鳴き始めた。いよいよ夏になったみたいだ。

【血液検査結果】7/12:
WBC(白血球数) 700 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.4 [g/dl]、PLT(血小板数) 110,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 0.1 [mg/dl]

2007-08-10

2006-07-11 (火) Aコース(3回目) 07日目 キロサイドのルンバール

 腰痛(lumbago;backache)少々。昨日下痢(diarrhea)が続いたので、カマグ(酸化マグネシウム:Magnesium Oxide)は服用中止する。今日は2回、下痢気味だったが午前で大体おさまり。食欲も出てきた。喉の奥が痛い感じがするが、これはスープを飲んだ時のやけどによるものかもしれない。階段昇降の自主リハビリ(rehabilitation)を、1日で計3回、その他、色々と雑用をして過ごす。

 本日の治療予定は、例の気の重い、ルンバール(Lumbal:腰椎穿刺)のみである。注入する抗癌剤(anti-tumor agent)はキロサイド(Ara-C:Cylocide)である。10時開始予定だったのだが、夏休みを取られたTNB先生の代理立ち会いの先生が所用か何かでなかなか現われず、10時半になってようやく代行の代行立ち会い先生(IO先生)に、少し遅れて当初の代行予定のMI先生も加わり、YM研修医の施術で行なわれる。彼女は、ルンバールは慣れているらしく、前の病院では先生の立ち会い制度が無かったので、今すぐに開始出来るのですが、と立ち会いの先生が来られるまでの待ち時間に話しておられた。とにかくルンバールの時はいつも「丸く、丸く、出来るだけ丸くなって」とTNB先生に声掛けられていたのだが、今回はそんなに丸くなりもしない内に、私の背中で先生達の和やかな冗談話等が交わされている内に、髄液(脳脊髄液;cerebrospinal fluid)の回収と抗癌剤の注入がすんなりと済んでしまった。うまくいけば、あんなに膝を抱え込んでキュウキュウに丸くならなくても施術が出来るのだと初めて知った。その分、いつもよりはとても楽であった。自主的に2時間仰向け安静(rest)に寝て過ごす。夕刻結果を報告しに来てくれたが、今回も無事、悪い細胞は検出されず。

  今日は月に2回のIVHコネクタ交換日。ナースにお願いして、コネクタ部分を記念に貰う事にした。これは点滴を繋ぐコネクタで、IVHカテーテル(intravenous hyperalimentation catheter、中心静脈カテーテル)の胸の外に出ている2本の管(カテーテル)に連結されている。写真で水色端が点滴と繋ぐ側、透明端がIVHカテーテルに繋がれる側、管の途中に見える青色の部分はストッパーで、点滴時はストッパーを解放する。点滴を自由落下でなく、装置を通して機械的に流す場合、このストッパーがしっかり閉じていても、装置に入力した設定時間と液量で流れてしまう為、ナースはごく稀に、このストッパーを外すのを忘れた事に気付かない事もある。

2007-08-09

2006-07-10 (月) 皮膚に茶色のしみ(色素)出現 

 最近、皮膚(体表)に茶色のしみ(色素)が出現しているのに気が付いた。今迄には無かった左人差し指側面とか右中指に少々濃いのが見られる。顔では、これもかなり前から口唇すぐ下や左下唇、右口角の外側にしみか薄いほくろの様に3つ色素が見られる。これらは今まで見た覚えが無い。もともとそばかすが多いのだが、こちらも増えている感じがする。鼻の先などのしみも急に増えている。

 また、7/1(土)の外泊時、母に言われて気が付いたのだが、肌(皮膚)の色が黒くなった。太ももや二の腕の内側等は真っ白な位、色が抜けて白かったのに、どこもかしこも茶色くなっている。

 抗癌剤(anti-tumor agent)等の副作用かと思い、色素沈着(pigmentation)とかしみの出現等はあるのかをKB先生に色々と訊いてみた。すると、先生は抗癌剤の副作用よりも、肌が茶色くなった原因の1つに、鉄分(Fe)沈着が考えられると答えられた。

 どういう機序かというと、抗癌剤で血球を殺していくので、赤血球(RBC:red blood cell)を作る成分の1つの鉄分が使い切れない上に、輸血(blood transfusion)迄する為、消費し切れないまま鉄分が過剰になってくる。この場合、体全体が鉄色に黒ずむ事はあり得る現象だと言う。これが肝臓とか心臓(腎臓と言っておられたかもしれない)に沈着すると、少々問題があるとも言われたので、体全体が茶色になったけれども、肝臓とかに集まらなかっただけ良かったのかも、とも考えた方が良いのかもしれない。どれ位で元の体色に戻るのかを聞いたが、年単位でかなりかかりそうな事を言われた。本当に自分でしっかりと受け止める暇も無い位に様々な事が次々と自分の体に起こってくる。自分の体なのに。。。

2007-08-08

2006-07-10 (月) アズノール軟膏 

 アズノール軟膏(0.033%) (Azunol Ointment)、成分はジメチルイソプロピルアズレン(グアイアズレン)0.033%で、チューブに入った塗り薬である。

 これは以前、ガーゼを止めるテープ(紙テープ等)でかぶれてしまった時に処方された軟膏で、炎症性皮膚疾患治療剤である。

 今回、肛門を単純に保護する塗り薬が欲しいといった時、これが使える事が分かった。前回の治療中で、痔になってしまい肛門が弱っているので、通常の便通でも肛門が切れてしまったりする危険性を少しでも防げないかと思って頼んでみたのだ。しかし、使用部位が肛門という事もあり、肛門専用のものを別に用意した方が良いだろうという事で、小さな蓋付きの容器に入れたものを用意して貰った。

2006-07-10 (月) Poikilocytosis 

 本日の血液検査結果表にPoikilocytosisというのがあり、結果欄に「+」と出ていた。これについては先生からは特に説明が無かった。

 辞書で引くとPoikilocytosisは奇形赤血球症、変形赤血球症というみたいだ。調べた内容は以下の通り。

・ 医学辞典では、赤血球の形状が変形する疾患で、『ポイキロチトーゼ』と読むらしい。

・ 末梢血(peripheral blood)血液中に変形赤血球が存在する事。

・ 様々な形をした赤血球がある状態をいう。巨赤芽球性貧血(megaloblastic anemia)や鉄欠乏症貧血等の造血異常を伴なう疾患で見られる。また、火傷でも見られる事がある。

・ 変形赤血球(増加)症、異形赤血球(増加)症。奇形赤血球の多数出現する場合を言い、播種性血管内凝固症候群、血栓性血小板減少性紫斑病等で見られる。

2007-08-07

2006-07-10 (月) Aコース(3回目) 06日目 

 今朝は九州に台風接近で曇り空。しんどくだるい。体重((body) weight)は昨日と殆んど同じで変化なし。脚はむくんでいない。食欲は無く、ムカムカする感じである。先生曰く、今日あたりから食欲は戻るだろう、との事。しかし昼食は、こう言っては悪いが非常にまずいお魚のおかずだったので、食欲がわかず、ご飯も残し、冷凍野菜スープとバナナ等で済ます。夕食もインスタントのスープパスタとおかず半分で済ます。それでも少しずつ食欲が戻りつつある感じがする。

 今日は治療が無い日なので、シャワーを浴びたり、血液検査の結果、白血球(WBC;white blood cell)等の値がまだ多かったので、午後は階段昇降自主リハビリ(rehabilitation)をしたりする(6F分、午後、夕刻、夕食後と計3回)。午後にはKB先生と長々と雑談をする。体調の事とか、生理不順、色素沈着や肌の黒ずみ、卵子(egg;ovum)保存、個人情報の扱いと大部屋の矛盾等など。。。 先生もガス抜きと称して、色々話しに付き合って下さった。

 便通は午前2回、午後は計3回、昼からは下痢(diarrhea)気味になったので、ラキソベロン液(Laxoberon Solution)は午前の1回で、夜は中止にし、下痢が続いたので、就寝前の(4回目の) カマグ(酸化マグネシウム:Magnesium Oxide)も止める事にしたが、体重は漸く減ってきた様だ。

 母との恒例の電話では、今日も気分が良さそうで良かった。いつもの様に本日の治療経過報告をする。

【血液検査結果】7/10:
WBC(白血球数) 1,800 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.7 [g/dl]、PLT(血小板数) 148,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 0.0 [mg/dl]

2007-08-06

2006-07-09 (日) Aコース(3回目) 05日目 

 未明の深夜、見回りの新米ナースがごそごそしていた為、起こされてしまう。【中略】

 今朝も手足指先のしびれ(numbness)は前日同様。両手足の痒みはまだ少々残る。朝からだるく、朝食も出されてから1時間以上経ってから漸く何とか食べてみる。食欲なく、1日中ムカムカする。これは昨日の抗癌剤(anti-tumor agent)の副作用と思われ、明日には治まるだろうと思う。ここ2~3日、また私だけに特有らしいと言われた、ルンバール(Lumbal:腰椎穿刺)後に起こる胸の奇妙な痛みが時々生じる。今日は点滴が外れている午前と夕方の計2回、階段昇降の自主リハビリ(rehabilitation)をする。やはり、(自己アレンジ)踏み台昇降よりは達成感があって自分に合っている様に思う。

 体重は1kg弱減ったが、脚のむくみ(軽度)は前日同様で良くも悪くもならない。結局、利尿剤(diuretic)の効果があったかどうかは良く分からなかった。昨日の便通の量はたいした量ではなかったので、TNB先生と話し合って下剤のラキソベロン液(Laxoberon Solution)を朝晩の2回(10:20と22:30に各15滴)に増やしてみる事になる。ラキソベロンは、1日30滴迄は大丈夫なので、その範囲内で様子を見ながら調整して下さい、という事で量は自分で調整する。便秘(constipation;obstipation)で苦しむよりは、と思い、先ずは大目(普通は逆だろうが)にした。

 TNB先生は来週の火・水・木と夏休み(summer vacation;summer holidays)をとられるそうで、7/11(火)のルンバールは先生と同期のMI(松井)先生に立ち会って貰う様にしたので、心配しなくても大丈夫、との事であった。こういう事を事前にちゃんと連絡して貰えると、いきなり聞かされるよりは遥かに安心出来る(心の準備が出来る)。

 本日の治療プログラムは、12時からのソルデム・メイロン(Soldem・Meylon)の5時間点滴のみ。明日は何もないので、ちょっと息がつける気分だ。それともう1つ、今回、IVHカテーテル(intravenous hyperalimentation catheter、中心静脈カテーテル)のへパフラッシュ(点滴の管にヘパリン(heparin)を通す事をヘパフラッシュと呼んでいる)で、茶色の太い方のルートに、久々に逆血があった。最近、IVHカテーテルの通りが悪い、固い、詰まりかけているので挿入し直した方が良いのではと言われたりとか、留めている糸が切れたりとかして、やり直さねばならないのかと、かなりビクついていたが、通りが良くなった(元通りになった)みたいなので、少しホッとする。願わくば、この調子で白色ルートも逆血して欲しいと思う。

2007-08-05

2006-07-08 (土) ラシックス 

 利尿剤のラシックス(lasix)はフロセミド(furosemide)製剤で、降圧剤(hypotensive drug;antihypertensive (drug);depressor)・利尿薬(diuretic)である。

 これは静注(静脈内投与;静脈内注射:intravenous injection)されたが、最初の1時間は20~30分毎にトイレに行きたくなる程の利尿作用があった。『ラ・シックス』という名前だけあってこの効果は6時間持続する、という話もあるそうだ。

2006-07-08 (土) Aコース(3回目) 04日目 

 指先、鼻の末端がしびれている感じがある。便通は昨日ごく少々あったのみで今朝はまだである。その為か、体重((body) weight)は入院以来最高となるが、脚はそんなにむくんで(swell;bloat)いない。両手足が痒いのは続くが発疹(exanthema;eruption)はない。目を左右に動かすと、目じり側に粘膜が目ヤニの様に寄って来る。

 本日4日目の治療は11時にナースがデカドロン(Decadron)のステロイド(steroid)の1時間点滴を繋いで行った後、TNB先生が来られ、先ず吐き気止めのカイトリル(Kytril)を静注(intravenous injection)後、抗癌剤(anti-tumor agent)のオンコビン(Oncovin)を静注、蓄積毒性があるといわれる、毒々しいオレンジ色のアドリアシン(Adriacin)の点滴を1時間の予定でセットされた。TNB先生は、私に余り吐き気(nausea)症状が出ないので、今晩のカイトリルは中止にすると言われる。但し、吐き気等の症状が出てくればすぐに連絡して下さい、との事である。24時間持続点滴終了後、14時半からソルデム・メイロン(Soldem・Meylon)の5時間点滴が始まった。

 今日はそれに加え、体重が増加しているので、11:15に利尿剤(diuretic)のラシックス(lasix)を追加で静注される。TNB先生は、体重増加で、取り敢えず利尿剤を打ったが、オンコビンとアドリアシンもあるので、今日は水分を多く採りつつ、尿を出す様にして欲しい、と言われる。先生の話では、抗癌剤のエンドキサン(endoxan;cyclophosphamide)で体重増加現象が起こる事もあるらしい。KB先生の話では、デカドロンでも体重増加する事もあるという。

 点滴疲れか、1日うとうととしつつ、利尿剤の為、小まめにトイレに通う。20時にやっと全ての点滴の管が外され、Aコース前半の主な点滴が終了した。

  夕食は気分が悪くなり、おかずを半分のみ食べ、ご飯は食べなかった。少しむかつきがあったが、もう夜の点滴もないので、先生を呼ぶ事はしなかった。就寝前、ラキソベロン液(Laxoberon Solution)を服用する。

 ところで、昨日のWBC(white blood cell;白血球)の値が十分高かった為、朝一番にTNB先生にシャワー許可を得、24時間持続点滴の終了する13時から13時半までにシャワーを浴びておく。入院当初は治療が始まればコース終盤の白血球が再度増える時まで絶対シャワー等無理だと思っていた。しかし入院も長期になり、同じ治療を繰り返し行なっている間に、ここでは治療中でもまだ白血球数の多い時期で点滴がない時なら、シャワーの許可が出る期間がある事を知ったので、出来るだけ浴びる様にしている。やはりホットタオルで体を清拭するよりずっと楽である。私の拭き方が悪いのか、何かコツがあるのかは知らないが、病室のベッドで、温タオルで体を拭くのは結構体力を消耗して疲れるものである。 

2007-08-04

2006-07-07 (金) Aコース(3回目) 03日目 七夕

 今朝は曇り空。手先指先のしびれ少々。頭痛なし。喉奥に少々違和感がある。腕・足が昨日より少々痒い。金曜日なので午前中に恒例のシーツ交換がある。

 毎食後カマグ(酸化マグネシウム:Magnesium Oxide)を飲んでいるが、今晩から就寝前にもカマグを飲む事にする。明日抗癌剤(anti-tumor agent)のオンコビン(Oncovin)があるのだが、これの副作用に便秘(constipation)がある為、それに備えて飲む様にTNB先生に言われたからである。その他に、ラキソベロン液(Laxoberon Solution)も服用する事にする。

 ステロイド(steroid)の影響とはいえ、WBC(white blood cell;白血球)が10.5と増え過ぎ位の値に増えてくれている。網赤血球数(reticulocyte)は高値なので、赤血球(RBC:red blood cell)はまだ自力で増加の可能性があるそうだ。PLT(platelet:血小板)はまずまずといったところである。炎症反応を見るCRPは0.1に更に減り、治療開始に当たって、取り敢えず一安心である。

 本日分の化学療法(chemotherapy)の点滴も前日と全く同じ内容である。その点滴の合間に踏み台昇降を前日と同じく、120回を計2セット、自主リハビリ(rehabilitation)のつもりで行なってみるが、本日も点滴等の疲れで、1日よく寝て過ごす。

 今日は七夕であるが、昼食は綺麗な色の付いたそうめんが入った七夕そうめんであった。今年初めてのそうめんである。麺類は好物なのでとても嬉しい。ここの病院食は決してお世辞にもおいしいとは言えないが、こうした節目節目に季節を感じさせるメニューがある。その時はちょっとリッチな食材を使ったメニューになっている。空調の効いた部屋で治療中は病棟から出ない様にいわれている病気になり、こうも長期入院となると、こういうのが少し楽しみになるし、これがなければ今の季節はいつなのかとか、よく分からなくなってきてしまいそうだ。気分的にもいい。夕食は鮎の塩焼き等、少し豪華な食事だった。次は何時だろう♪

【血液検査結果】7/07:
WBC(白血球数) 10,500 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.2 [g/dl]、PLT(血小板数) 185,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 0.1 [mg/dl]

2007-08-03

2006-07-06 (木) 個人情報と知りたい情報

 TMという名前の人が、クリーンルーム(無菌室:clean room)入りしていた。この人と直接面識は無いが、私が4人部屋から個室へ移り、かなり経ってから大部屋に入って来た人の名前である。廊下を歩いてトレーニングしている時に各部屋のネームプレートを見ていたので知っていた。何故かというと、ここの階は血液の患者さんが少なく(上の階が主の病棟らしい)、4人部屋は男女各1つ、それ以外は個室に分散している。そして血液の患者名は黄色のプレートを使用、老年科の患者名はブルーのラインが引いてあり、その他(内分泌科・代謝内科)は普通の白プレートに名前が書かれているので、部屋の前のプレートだけで区別がつくのである。

 このTMさんは4人部屋に一番新しく入室し、一番誰よりも早くクリーンルーム入りした事になる。そして19時頃偶然前を通りかかった時、クリーンルーム内に先生方とナースが多数集結しているのが見え、「今から移植が始まります」という声が聞こえた。ちなみに私の担当の先生方は一人も混じっていなさそうであった。

 いずれ私も移植をする方向で治療がなされているので、やはり非常に気になり、夜の検温に来たナースに、今、移植が始まっている人は何という病名で、移植の種類は何か、臍帯血(cord blood)移植か、骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)か等を聞くと、ある程度以上の事はやはり個人情報法に引っかかるらしく、病院側からは話せないという。

 4人部屋で毎朝先生が入れ替わり立ち代わり数人、ほぼ同じ内容の事を担当患者に対して問診して行かれる。しかも患者によって担当の先生が違うとそのグループの研修医等も加わるので、それだけ回診(round)で出入りされる先生の数も増える。カーテンだけで仕切られたスペースなので、他の人に聞かれたくない内容(例えばお尻の具合)等もあるのに、知られてしまう(聞こえてしまう)。個人情報云々というのなら、こういったデリケートな所の情報こそ、人に聞こえない様にして欲しいと思うのだが、そうなると、毎回大部屋の患者さんは個室に呼んで問診する必要が出てくる。しかし、患者の体調によってはベッドから動けない事もあるので、個別診察に当然無理も出てくる(限界がある)のは分かるのだが。逆に言うと、他の患者さんの事も自然と聞こえてくるので、特に患者同士で直接聞かなくても随分とわかってしまう事も沢山ある状況である。これは以前にも書いた通りで、ひどく矛盾した状況なのだが、一旦、個室に移ってしまうと、今度は接点がなくなってしまう分、何の情報も入って来ない。誰が骨髄移植をするか等、今回の様にクリーンルームにネームプレートが掛かったから分かるのであって、わざわざ4人部屋に行って声をかける勇気等なかなか沸かない。

 以前、私が隣のベッドに寝ている人の病名を聞いた時に、KB先生も個人情報なので、といって教えてはくれず、代わりに、「患者同士が話をする分には問題ないですが」と答えられた事がある。本人が嫌と言えば当然聞かなくてもいいと思っているが、なかなか自分で直接聞く事はキッカケか何かが無いと難しいと感じる。その仲介役を先生かナースが受け持って貰えないだろうかと常々思っているのだが。

 ところで、今回も、個人情報保護と言って何も教えて貰えない一方で、4人部屋では情報だだ漏れという、その矛盾等をKB先生に色々と質問したり聞いたりしていたのだが、その中で、かつて先生が在籍されていたアメリカの病院では全室完全個室だったと言う話があった。それならばプライバシーは完全に守られそうだが、1日の室料のみで1,000ドルだったという。余りに高いので驚いたが、ハリウッドスターの入院も多い病院だったそうな。高い分、至れり尽くせりの完全看護体制が整っていたという。国とスケールの違いに驚かされた。

  話がそれてしまったので、話を元に戻すが、本当に知りたいのは、教えて貰いたいのは、例えば移植が決まった患者さんに不安や心配はないかとか、通常病室に戻った移植患者さんに、移植はどんなものなのか、クリーンルームでの生活はどうなのか等といった、実際に治療を受ける患者側の生の声である。先生やナースからの話だけでは知り得ない(聞いても得られない)、もっと踏み入った事も、もし聞いて教えてくれる患者さんがいたら教えて貰いたいと思うのだが、知り合うきっかけがないし、全く病名(病気の種類・性質)が違う人に声掛けてしまっても却って迷惑を掛けてしまうのではないかと思うのである。本心としては私と同じ急性リンパ性白血病の患者さんがいるのなら知り合いになりたいと、入院以来ずっと思っているのである。私と同様の治療を受けておられる患者さんでも、病名が違えば点滴される薬の内容が違うからだ。ネットで検索してみても、この病院で行なわれている治療法はたかだか4~5年目の新しいものと言われただけあって、同じ治療を受けている人(のページ)を未だ見つける事が出来ていない。急性リンパ性白血病(acute lymphocytic leukemia;ALL)に罹る人は急性骨髄性白血病(acute myelocytic leukemia;AML)の人より少ないので尚更である。しかしこの病院内なら同名の病気の人に出会える確率が大(当然治療法も同じ可能性が大)である。それなのに、病名すら教えて貰えず、キッカケがつかめず、ちょっとジレンマ(dilemma)を感じる。

2007-08-02

2006-07-06 (木) Aコース(3回目) 02日目 MTXのルンバール

 手足指先のしびれは先端部分に少々ある。舌左側の痛みは消失した様だと先生(YM研修医)に伝えると、塗り薬は再び痛む事があれば再開する事にするとして、デキサルチン軟膏(Dexaltin Ointment)の使用は一旦中止する事になった。塗るのは少し面倒というか付けにくいものだったが、本当に良く効く薬だった。

 10時にYM研修医によるMTX(メソトレキセート:Methotrexate)のルンバール(Lumbal:腰椎穿刺)が、TNB先生の立ち会いの下、自室のベッド上で行なわれた。今回は少し背骨右側に針を挿されている感じが続き、気持ちが悪かったが、ひどく痛む事は無く、無事に終わった。施術後はいつもの通り、先生から言われた時間よりも1時間位余分に仰向け安静(rest)にして、頭痛(headache)予防に備えた。

 本日分の化学療法(chemotherapy)の点滴が前日と全く同じ内容で始まった。副作用なのか、ルンバールの緊張からか、1日だるく、眠い。

 踏み台昇降を試みる。治療が開始されると24時間点滴の管に繋がれてしまうので、非常階段を利用した階段昇降の自主リハビリ(rehabilitation)は当然出来ない。日々体力が衰えているのを外泊時に痛切に感じ、点滴に繋がれたままでも出来る、何か体力維持になる様な運動はないかと考えていた時に思い付いたので、試してみたのだ。個室にある来客用の椅子(座面高35cm位)を利用して120回を計2セット行なってみた。果たしてこれがどれだけ効き目があるかは不明だが、何もしないより、した方がいいと信じて黙々と。。。

  夜、母と電話をする。今日は気分良いそうだ。一日中ひどく痛く苦しい日が続くと思えば、今日みたいにずっと楽な日があるらしい。

2007-08-01

2006-07- 05(水) 点滴スピードについて 

 よくナースが点滴の落ち具合を見に来る時、点滴のスピードを時計と睨めっこしながら確認している事がある。約2秒で1滴というのが多い様な気がする。但し、これは点滴装置を使わない、自然落下に任せた時の点滴の話である。

 ある時、新米ナースに点滴スピードについて聞いてみた時、「確か15滴で1mlと習いました」という話をしてくれた。そこで、ちょっと計算してみたのだが、もし15滴で1mlというのが正しいのなら、100ml(1,500滴に相当)の点滴を1時間(60分)で済ませるには、1滴を2.4秒で落とせばよい事になる。

 1滴を2秒で流す様にすると、50分かかる計算になる。

  しかし、これは計算上の話で、実際は、寝た姿勢から座ると遅くなってしまう等、体勢によっても変わってしまうので、あくまでも目安という事になる。

2007-07-31

2006-07-05 (水) IVHカテーテルについて(2)

 最近IVHカテーテル(intravenous hyperalimentation catheter、中心静脈カテーテル)の白色ルートの方が、ヘパリン(heparin)等の通りが悪くなってきている。23時前の本日最後の点滴(抗癌剤のエンドキサン:endoxan)はTNB先生が繋ぎに来られたのだが、その時も、ヘパリンの次にカイトリル(Kytril)を注入され、かなり通りが固くなっているのを確かめられてから、改めて、やはり次回、IVHルートを新しいのに入れ替えた方が良いのではないかという話をされた。

 白色のルート(18GAの細い方の管、カテーテル)はかなり長い間、ヘパリンを通す時も逆血もせず、通りも固くなって久しい。茶色のルート(14GAで径の太い方のカテーテル)は一時逆血する様になっていたのだが、再度逆血しなくなっている。但し通りは白ルートよりは良いらしい。

 通常、逆血の有無や注入の固さで、カテーテルの詰まり具合の確認もしているのだが、『逆血』とはカテーテル内の液を注射器で引っ張ってみて、血液が静脈(venous)からカテーテル内に逆流してくる状態の事をいっている。通常、何かの点滴に繋ぐ前やIVHカテーテル内の液が固まったりしない様に、点滴等が何も無い日1日に1回ヘパリンを注入するのだが、ヘパリンが入った注射器(injector、syringe)を一旦少しだけ注入してから必ず少しその注射器を引かれる。そこで逆血を確認してから改めて残りの液を注入する。その時の注入し易さ(抵抗度合)等から、力を入れて押さなければ注入出来ない状態を『固くなっている』とナースや先生達は表現されている。血管内に挿入されているカテーテル先端の穴が血管の壁に触れて塞がっている為に流れ難くなる事もあるらしく、その場合は首をちょっと横に向けてみるとか体を少し動かしてみたりすると急に通りが良くなる事もある。ナースから聞いた話の中で、ある胸の豊かな女性患者さんで通りが悪くなった時の事、その患者さんが「胸が大きいからかしら」と言って、胸を両手でちょっと持ち上げてストンと落とした所、急に流れる様になった事があるという、笑い話に近い話もあるそうだ。

 話を元に戻すが、通りが悪くなっても(固くなっても)重要な点滴は装置を使って機械的に輸液(infusion)量と時間を管理しているので、装置を使う分には今のところ、問題は無い。ただ、まだ治療は折り返し地点であと4クール残っているし、最近そのカテーテルを胸に留めている糸も(3本の内の)1本が切れてしまった。それに加えて、カテーテルの通りの悪さである。ナースの話では、退院までに何回か交換する事はよくある事だそうだ。自分でも内心、治療の最後まで今のIVHカテーテルはもたないかもしれない、と自覚しつつも、先生から交換の話を直接されると、あの時の痛みがよみがえり、びびってしまい、返事を渋ってしまう。先生は、交換なら初回の時の様には痛くない筈です、と丁寧に説明をしては下さるのだが、もつものなら、出来るだけこのままで続けて欲しいと切に願う。

※ カテーテルの挿入(交換)方法等、詳しくは6/13の「IVHカテーテルについて」の項を参照の事。本日聞いた内容もまとめて書いておいた。

2007-07-30

2006-07-05 (水) Aコース(3回目) 01日目 Aコース始まる

 手足指先のしびれ少々。腰痛(lumbago;backache)は少々あるが、頭痛(headache)は無い。舌左側の味蕾(taste bud)の痛みはデキサルチン軟膏(Dexaltin Ointment)ケアで殆んどなくなる。便通後には、ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)でケアをし、就寝前にはラキソベロン液(Laxoberon Solution)服用して、便秘(constipation;obstipation)や痔(piles;hemorrhoids)にならない様に気をつける。今日は少し痛痒い程度にまで改善されている。

 治療開始の11時迄に、院内郵便局での用事を済ませ、リハビリ(rehabilitation)を兼ねて階段で病棟まで戻り、治療でしばらく24時間持続点滴が始まる事もあり、シャワーも浴びておく。

 今日の血液検査の結果は、PLT(platelet:血小板)は101,000と増加して、治療開始の目安となる80~100万を満たしたが、WBC(white blood cell;白血球)は1,900と減少し、目標の2,500~3,000に達していなかった。先生曰く、問題は無いので治療に入る、との事。

 今回の治療はHyper CVAD-3回目の第1日目である。11時半開始で、YM研修医がきて先ず吐き気止めのカイトリル(Kytril)を静注(intravenous injection)後、抗癌剤(anti-tumor agent)のエンドキサン(endoxan;cyclophosphamide)1時間、エンドキサンの解毒剤(antidote)に当たるウロミテキサン(Uromitexan)の24時間持続点滴、ステロイド(steroid)のデカドロン(Decadron)1時間の点滴が一気に始まった。午後からはソルデム・メイロン(Soldem・Meylon)の点滴が5~6時間かけて落とされた。夜中の23時前にカイトリル静注後、エンドキサン1時間点滴で本日分の点滴は終了した。

 12時よりメモリ付きの紙カップを渡され、尿量を毎回計測する様に研修医のYM先生から指示がある。これは彼女が前年居た病院でも行なわれていた事だそうだ。私の場合、Aコースの2回目の時は中止にして貰った話を伝えたのだが、結局量る事になった。夕刻回診(round)に来られたKB先生に同じ内容を話すと、計量するならばプラスチックのカップを使っていた筈で紙カップでは正確には量れないし、体重測定だけで良いのではないかという話になった。なにせ、個室についている凄く小さいトイレなので、プラスチックの計量カップを渡されたとしても今度は何処で洗えばよいか、という問題もあった。更に1時間後、これらの全ての経緯を知ったTNB先生が来られ、今回は(Bコースとは違うので)尿量計測も尿回数チェックもしなくていい代わりに、毎日の体重計測だけでよいという事に最終決定してくれた。

 更に今日最後の検温に来たUDナースにこの話をすると、血液内科では少し前から計尿を中止し、体重測定だけにしたという話を聞かされ、ひどく肩透かしを食った様な気がした。なんでもプラスティックカップでは尿中に出た抗癌剤が、いくら洗ったとしても残っているだろうし、共通トイレにある乾燥棚に付着する恐れもあるので、全面的に禁止となったそうで、必要がある時だけ紙カップを使用する事とし、蓄尿も同様な意味でしなくなったという。個室に移ってから共同トイレを使用する事がなくなっていたので、全く気が付かなかったし知らなかった。果たして先生達にこの事はハッキリと伝わっているのだろうか? 知っておられれば今回みたいな事(計尿をする・しない)は初めから起こらなかった筈なのに、なんだか先生とナースの間の連絡(申し送り)がうまくいっていないのではないかと思わせる出来事であった。何れにせよ、わずらわしく、ストレス(stress)の多い作業が少しでも減る事はありがたい事である。

【血液検査結果】7/05:
WBC(白血球数) 1,900 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.8 [g/dl]、PLT(血小板数) 101,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 0.2 [mg/dl]

2007-07-29

2006-07-04 (火)  リストバンドの悲しみ

 緊急入院して一番に、「リストバンド(wristband)」装着をお願いされた。

 患者取り違え手術とか医療ミスのニュースは聞いた事があったが、それを防ぐ為のものとして、患者の利き手とは反対側の手首(リスト:wrist)に薄いプラスチック製の柔らかい「腕輪」(band)をつけてもらいたい、との事。そこに印字されている患者氏名、ID番号・バーコード(bar code)と、患者本人への呼びかけ等をして、患者本人である確認をする。

 このリストバンドは原則として、一度装着されるとハサミで切らないと外せない程度に手首に軽く巻かれる。入院中は常時装着しなければならなく、勝手に外せないという事になっているらしい。外出や外泊の時は外して貰えるが、帰院後はすぐに装着する事になる。
 
 入院時に説明を受けた後、手首にこれを着けられた時、なんとなく、犬か猫になった様な気分にさせられた。また、手洗いを徹底する様に言われているのに、この手首のリストバンドは邪魔で手首が洗いにくい。

 具体的にどういう時に使われるかというと、私の入院した病院では、例えば病室で点滴や輸血(blood transfusion)等をする時、まず名前の確認をされ、投与する点滴薬等の名前と開始時間の確認をし、「バーコード・リーダー」で患者のリストバンドのバーコードを“ピッ”と読み込ませる。同様にして点滴バッグ(点滴液の入った透明な袋の事)や輸血バッグについている薬のバーコードも「バーコード・リーダー」で“ピッ”と読み込ませる。薬を持ってきたナースや先生が胸に付けている名札のバーコードも“ピッ”と読み込ませる。これであらかじめコンピューターに入力されている項目との照合がなされる。患者名と投与薬、投与時間等が一致しなければバーコード・リーダーに許可表示が出なく、患者が違うのか、薬が違うのか等が確認出来るという風になっていて、ミスが起きない様に何重にもチェックしているらしい。

 最初のうちは、名前を聞いてくれていたが、すぐに「○○さん、何々の点滴です。バーコード、お願いします。」というナースが多くなる。スーパーでの商品じゃあるまいし、せめて『リストバンド』と言ってもらえないか、とナースにお願いするが、ナースも多くおられるのでその度に一々お願いするのも次第に面倒になってくる。そのうち、ナースが『バーコードをお願いします』とリストバンドの照合をする度にしばらくは「わん!」と吠えてから応えていた。

 話はそれるが、私は入院時『食じ記録表』なるものを渡された。毎食どれ位の量を食べたか患者が記入する事になっている。【食じ】の“じ”が平仮名になっているのを見てピンと来た。『ああ、きっと【食餌】って書くんだ・・・』医学用語で食餌療法という言葉があるが、【食餌】と書かれると“エサ”という字から多分入院患者の食事は犬猫扱いのエサかと思ってしまう人もいるのではないかと思う。そうでなくてもやはり【食餌】と書かれたらいい気はしない。そこを考慮してあえて平仮名にしたのだろう。

 患者取り違えや薬の投与間違いを防ぐのに有効な手段とは理解出来るが、こうしてリストバンドを付けているとやはりなんとなく犬か猫の様に首輪を付けられた様な気がしてくる。

~~~~~~~~~~~~~~~~
 今回外泊する時、エレベーターでナースに会い、「せっかく外泊するのならリストバンドを外しましょう、帰院されたら、またご連絡下さい、新しいのを用意しますので。」と言って、ハサミで切ってくれた。入院以来初めて外して貰ったので、小さな事だと思われるかもしれないが、とても嬉しく開放された気分になった。

 帰院後、治療開始に備えて新しいリストバンドをナースが持って来、装着する事になった。「どれ位のきつさが良いですか?」と巻き具合を訊いてきてくれたので、自分で少々手首に巻いてみて、嵌まっているがちょっと頑張れば手首から抜く事が出来る程度の所(ゆるさ)で留めて貰う事にした。平生は付ける様に心がける事にするが、これで手洗いやどうしても外したい時に自分で外す事が可能になった。


 写真の1つは手首に着ける直前の状態で、これを巻いて長さが調節出来た所でプラスティックのストッパーでカチッと留め、残ったバンド部分をハサミで切り落としてリストバンド装着完了となる。外す時には長さ調節のバンド部分にハサミを入れなければならず、ストッパー部分は一旦留めると外せない様な構造になっている。

2007-07-28

2006-07-04 (火) Bコース(2回目) 25日目 入院100日目 外出 

 11時過ぎ、院内のコーヒー店でケーキを買ってから外出許可書を持ってタクシーを拾い、帰宅する。母とカツサンドや三角サンドに、コーヒーを入れて昼食をとる。そして紅茶を入れて3時のおやつタイムを母と楽しむ。入院してから私もそうなったが、母は良くおいしそうなケーキが食べたい、と言う様になっている。その他には、今日も会計等の雑用を母に代わって済ませる。後、久々にピアノを弾いてみるが、指が全然動かなくなっていた。情けないが、これも仕方がないか。19時前、夕食をとるが、今日の母はしんどいらしいが、ご機嫌は良さそうだった。

 帰院後、舌左側の痛む所にデキサルチン軟膏(Dexaltin Ointment)でケアをする。それにしてもデキサルチン軟膏はステロイド(steroid)入りと聞いたが、良く効く薬の様だ。昨日から使い始めたばかりなのに、今朝の時点で痛みはかなりひいていた。

 今日で入院100日目、明日から、Aコース治療開始。化学療法(chemotherapy)の、こなさなければならない(予定されている)コースを丁度半分終えた事になる。

2007-07-27

2006-07-03 (月) デキサルチン軟膏

 デキサルチン軟膏(Dexaltin Ointment)(0.1%、5g、日本化薬)について、以下に箇条書きする。

・ 口腔粘膜疾患治療剤である。

・ 有効成分はデキサメタゾンで、副腎皮質ステロイド(adrenocortico steroid)外用剤。

・ 1日1回~数回塗布。

・ 効能は、難治性口内炎(stomatitis)、舌炎(glossitis)に有効な副腎皮質ホルモン(adrenocortical hormone)剤。痛みを伴なう様な口内炎に効果がある。

・ 副作用は、口腔の感染症(infection)、過敏症(oversensitivity;hypersensitivity;anaphylaxis)等が現われる事がある。口の中に細菌(bacterium)や真菌(mycosis) (特にカンジダ菌candida)が繁殖する事がある。

・ この薬(軟膏)は唾液で濡れていると付き難いので、患部(the affected part)を乾かしてから薬を塗る様にする。粘膜にくっ付き易い様に出来ているそうだ。

次に、この薬に付いていた「口腔用デキサルチン軟膏のつけかた」を転記する。
1. まず、手を洗い、指先を清潔にする。
2. 口の中をすすいできれいにする。
3. 患部を薄く覆う程度の量のデキサルチン軟膏を指先にとる。
4. 指先に取ったデキサルチン軟膏を患部にすり込まない様、静かに伸ばす様につける。
5. デキサルチン軟膏をつけた後、唾を吐いたり、うがいをしない様にし、つけた後30分位は飲食を控える。
6. 食後や就寝前につけるのが効果的である。
7. デキサルチン軟膏をつける回数は症状によって異なるが、1日1~数回つける。
8. つけた所からはがれたデキサルチン軟膏を、飲み込んでも体に害は無い。
9. 使用後はチューブの口、及びその周辺に付着した軟膏を拭き取った後、キャップを閉めて保存する。
※デキサルチン軟膏をつけた後で、何か異常があったら先生に報告する。また、先生から特別に注意された事を守るようにする。

2007-07-26

2006-07-03 (月) Bコース(2回目) 24日目 

 手先指先のしびれ少々。6月28日頃より、歯を磨くと少々出血する事がしばしばある。口内舌左側の痛み、更にひどくなって痛む。ヨーチン(ヨウドチンキ:iodine tincture)はきつ過ぎた様だ。先生に話すと、午後にデキサルチン軟膏(Dexaltin Ointment)を処方される。早速、昼と夜の2回、口内ケアをする。

 今日もナースに胸から出ているカテーテル部分に防水シールをして貰ってからシャワーを浴びる。階段昇降の自主リハビリ(rehabilitation)、3回。ついでに院内郵便局へ寄る。便通は2回あり、ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)ケアをする。ラキソベロン液(Laxoberon Solution)15滴。

 IVHカテーテル(intravenous hyperalimentation catheter、中心静脈カテーテル)のコネクタは糸で胸に3箇所縫って留められているが、その内の1つが切れてしまった。先生に伝えると、メインの糸は切れていないので、このままでも大丈夫かも、と言う事で、ちょっとホッとする。という訳で、糸2本で留まっている。化学療法(chemotherapy)はAコース&Bコースを合計4セット繰り返すので、丁度今が折り返し地点なのに、治療の終わりまで持ってくれるだろうか、と不安である。

 それともう一つ、採血結果は今一つで白血球(WBC;white blood cell)数も血小板(PLT:platelet)も増えなかった為、治療は水曜日まで待って、開始する事となった。恐らく、水曜日にはもう少し増えているだろうという期待を込めてのものらしい。これ以上に増えなくても(見切り発車で)治療に入るらしい。理想としては治療開始の目安はWBCが2,500~3,000、PLTが80,000~100,000である。

 夕刻になってから水曜日からの治療予定表を貰う。明日は何も治療予定が無く折角なので、外出許可を貰う事にする。しかし、本当に細切れにしか外泊許可(exeat;overnight)が出ないのが辛い。結果としてなのだが、今回は1週間近くも治療の狭間があった。初めから少なくとも2泊とか3泊とか、連泊で外泊許可が出れば、職場のあるK市の部屋にも行けたかもしれないのにと、つい思ってしまう。

 電車等の人混みの多い公共機関は感染(infection)する恐れがあるので使わない様に出来るのなら、行っても良いと先生には言われている。また2カ月程前の話になるのだが、車の運転について質問した時、とにかく免疫抵抗力が弱まってきている事に一番注意して欲しく、それが守られているのなら別に運転自体はしても大丈夫という話だった。しかし、TNB先生は月・水・金とある採血を外泊によって外したくない(延期したくない)様な事を言われる。その為、今迄どうしても1泊以上の許可を出して貰えない。それがとてももどかしく思う。

【血液検査結果】7/03:
WBC(白血球数) 2,100 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.6 [g/dl]、PLT(血小板数) 71,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 0.2 [mg/dl]

2007-07-25

2006-07-02 (日) 爪の変化

 迎えに来てくれたYちゃんに、デジカメを持って来て貰い、手の爪の画像を撮って貰う。私はデジカメを持っていないからである。5月中旬に日記に書いた爪の状態(爪半月の上に白い一本横筋が出来ていた)が更に変化して、筋が更に1~2本増えているのだ。どうやら、Aコース、Bコースと化学療法(chemotherapy)が1クール(Kur;course)終える毎に1本筋が増えていく様だ。

 最初に爪の異変に気が付いたのは4月15日頃で、白い爪半月(そうはんげつ:lunula)の色が抜けてしまっていた。治療が終わると再び爪半月が現われてきたが、2クール目も中盤の5月5日頃、またもや爪半月がぼやぼやっと薄れてきたのを記録している。この爪半月が再再度現われた時(5月中旬)、爪半月の上に1本白い横筋も現われたのである。親指の爪ではハッキリしていなかったが、中指と人差し指には綺麗に1本横縞が見えていた。

 今日Yちゃんに撮って貰おうと思ったのは、私がデジカメを持っていない(携帯ももう古くてメール機能もカメラ機能も付いていない)のが大きな原因だが、爪半月の上に白い横縞が2本に増えていたので、将来、闘病記録をまとめる事があるとしたら、描写のみでなく、実際の写真があった方が分かり易いかと思い、お願いしたのだ。

 ところで足の爪はというと、現在もまだ爪半月が消えた状態で、ハッキリ見えない状態である。手の爪より成長が遅いせいもあるかもしれない。

 更に追記になるが、4クールを終えた7月6日には、白い横縞がぼんやりと見えるのも含め3本になった。1クール遅れで1本ずつ増えていくみたいだ。縞の太さ(幅)は爪の先端に行く程、細くなっている。

2007-07-24

2006-07-02 (日) Bコース(2回目) 23日目 帰院

 今朝も茶粥を作り、母と朝食。午後は母の事務的仕事や雑用を済ませる。母の気になる仕事を少しでも片付ける事で、少しでも気が楽になってくれたらばと、いつも心配をかけている、せめてものお礼のつもりである。もっと色々してあげたいが、いつも一泊限りの外泊許可で、時間が足りない。
 
 舌の左側に一箇所、痛い所がある。味蕾(taste bud)が1個やられてしまったらしいと母に話すと、ヨーチン(ヨウドチンキ:iodine tincture)を塗ったらどうかと母に言われ、薬箱から探し出して綿棒で付けてみたが、結果、かえって悪化させてしまったみたいで更に痛くなった。ケアのつもりで計3回も塗ったのだが、念入りに塗り過ぎたのかもしれない。

 今日は幼馴染のYちゃんに迎えに来て貰い、ちょっとデジカメで爪の写真を撮って貰ってから、病院まで送って貰う。

 帰院後の体温は36.4℃、血圧は101-57で、異常なし。ロキソニン(Loxonin)は本日計2錠服用した。便通は昨日も今日も2回ある。こう快便だと気持ちが良いが、今回はまだ肛門が完全回復していない為、帰院後に、ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)のケアをし、ラキソベロン液(Laxoberon Solution)も服用しておく。

  陽に当たらない生活をしているが、赤血球(RBC:red blood cell)の輸血(blood transfusion)のせいか、体色は白くなる事はなく、なんだか益々全体に黒くなってきた気がする。もちろん健康的な色ではなく、病的な色をしている。頭髪も眉毛まつ毛も殆んど抜け落ちてしまって、益々惨めな(貧弱な)顔になっていく。憂鬱になるので、帽子は目深にかぶり、脱ぎたくないし、脱いだ所を人に見られたくない。

2007-07-23

2006-07-01 (土) Bコース(2回目) 22日目 二度目の外泊

 今朝は雨でとてもだるい。母もだるいのだろうか。外泊許可(exeat;overnight)を得ているので、10時に病院を出、タクシーで帰宅した。そして、兼ねてからの約束の、母の毛染め(hair dyeing)をする。どんな事があっても絶対今日シャワーを浴びると、気合が入っていた母の頭は、かなり白髪が目立つ様になってきている。私が入院してしまったので、もうずっと染めていない。母は体力が極端に無くなってきているので、出来るだけ短時間で染めて、シャワーの用意をする。シャワー直前に母の体重を量るとなんと40kgをはるかに切って35.5kgだった。とても痩せている。シャワー椅子に座って貰い、何回も何回も母が満足するまで頭を洗ってあげ、体は出来るだけ素早く洗ってあげる。シャワー後、横になって休んで貰い、昼食の用意をする。母はいつもそうだが、今回もシャワーで「幸せな気分になった」と喜んでくれた。

 午後は私が車を運転するのを母が心配するので、タクシーで出、母に喜んで貰いたくて、母の好物の食材を買いにまわり、夕食を用意する。母はもっと食べなければならないと思う。ちょっと痩せ過ぎだ。炊事はたまの外泊時にはいい気分転換になる。それに母が喜んで食べてくれるのなら、少々無理しても、治療が始まれば点滴の管に繋がれ自由が利かなくなるので、ベッドで寝るのも仕事と思って、つい張りきって色々作ってしまう。多く作った分は、母がいつでも食べられる様に小分けして冷凍しておく。単調な病院食の気分転換様のおかずに、自分用にも少しだけ持っていく事にした。

  ところで、本日、私の先輩患者に当たるISさんが仮退院された。彼女は入院当初大部屋で一緒だった急性リンパ腫(lymphoma)の患者さんで、私より約1クール(Kur、course)位、治療が先行しており、順調に治療コースを終えて来られていたが、急に治療成績が下がり(というか、血液の値が十分に上昇しない状態)、血球を作るのに副作用がある薬を減らしたり、止めたりしておられたが、どうしても次の治療開始に移れず、2週間程、自宅療養をして様子をみる事になったという。その為、私はいつの間にか彼女と同じBコース2回目終了と、治療が彼女に追いついてしまった事になる。彼女の心配材料の一つに、(何の病気かは忘れたが)以前入院した時、輸血(blood transfusion)によるB型肝炎(hepatitis B)になったか、そのキャリア(carrier)になってしまったそうで、そちらの治療薬を一旦中止している事だと言っておられた。少し不安そうな感じが表情にあったが、明るく退院されていかれた。無事に血球を増やして戻ってきて欲しいと思う。

2007-07-22

2006-06-30 (金) ネリプロクト軟膏

 ネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)外用2g(Made in Italy、製造販売元インテンディス大阪)について、以下に箇条書きする。これはステロイド(steroid)含有薬である。

・ 痔(piles;hemorrhoids)疾患治療剤、1日2回肛門注入。

・ 成分名は吉草酸ジフルコルトロン・リドカイン

・ 効能は、痔核に伴なう症状(出血、疼痛、腫脹)の緩解剤。吉草酸ジフルコルトロンとリドカインの配合により、即効的かつ持続的効果を示す。
 ※ジフルコルトロンはステロイド薬の一種で腫れをひく強い作用がある。
 ※リドカインは局所麻酔(local anesthesia)作用があり、痔の痛みやかゆみをとる。

  副作用は、皮膚や陰部の真菌症 (カンジダ症candidiasis、白癬trichophytosis等)。長期又は大量使用により、副腎皮質(adrenal cortex)系機能の抑制等が現われる事もある。局所に感染症(infection)又は真菌症(mycosis)がある場合は原則として使用しない。

2007-07-21

2006-06-30 (金) Bコース(2回目) 21日目その2 初めての消化器外科受診

【※ 今回は痔の診察に関する記事なので、興味本位では読まないで欲しい。こんな事は恥ずかしくて、本当は載せたくなかったが、同じ症状で治療中に痔で苦しむ人が結構いると聞いた為、私同様の女性に限らず、きっと悩んでいる人や不安な人もいるだろうし、何かの参考か情報、キッカケにでもなればと思い、敢えて載せる事にした。但し、診察の方法等はきっと病院や先生毎にやり方が違うと思われるので、あくまでも参考、として読んで頂きたい。】

 歯科の結果が大丈夫だった為、6/27の先生との約束通り、消化器外科を受診する事になった。前の晩から絶食(nothing by mouth)とか、或いは浣腸(enema;clyster)をされてから診察を受けるのか、等と思っていたが、そんな指示は前日も当日朝も一切無かったので、どうするのだろうと不安を覚えながら予約時間の10時半に診察室へと向かった。

 名前を呼ばれて恐る恐るおずおずと入ると、とてもやさしそうな、感じの良い、しかし男の先生に、にこやかな顔(爽やかとも言える程の笑顔)で診察室に招き入れられた。確率的にも女医に当たる可能性は少ないとは覚悟していたが、やはり。。。

 さて問題の痔(核)(hemorrhoids;piles)の診察であるが、問診(inquiry)と触診(palpation)があった。問診では、白血球(WBC;white blood cell)が少なくなって以降の、健常時たまに悪化した痔の時とは全く違う痛さ、感覚、症状を出来るだけ詳しく説明した。そして、診察を受けるからにはもう2度と起こらない様に切り取るなりなんなりして完全に治療して欲しい旨を伝えた。

 触診ではナースが介添えしてくれたが、もう嫌で逃げ出したく、ガチガチになっていた。今朝は便通がまだですが、と伝えてみるが、「大丈夫ですよ」との事。ナースから背を向けて横向きに丸くなって診察台に寝て下さいと言われ、言われる通り横になって丸くなるとナースにお尻をちょこっとだけ出された(自分で見た訳ではないので感覚だけの感想になるが、思ったよりは露出度は小さく、必要最小限だけ服を下ろされた)。それでももう羞恥心で消えてしまいたい位のストレス(stress)である。「(確か、顎を出して)口を開けて下さい、口を開けると肛門がリラックス(relax)した状態になりますから」とナースに言われたが、口を開け様としても緊張しまくりで余り開けられず、肛門はしっかり締まっている感じである。頭の中は混乱していて『恥ずかしい上に、なんでそんなアホなポーズをとらなあかんねん??』という言葉が渦巻いている。その上、今回は治療中にかなり痔をこじらせてしまったのか、白血球が増えた現在もまだ全快しておらず、腫れ(swelling)が引いていない。ナースに大丈夫ですから力を抜いてと言われ、先生には「痛そうですね、痛いでしょう」と声を掛けられながら、多分キシロカイン(Xylocaine)といった経皮(endermic、transdermal)麻酔剤を塗られていたとは思うが(終了後ナースがササッと拭いてくれた気がする)、まだ腫れている患部(the affected part)に指を入れられ、(自身の感覚としてはその指を)ぐるりと一回転され、これが跳びあがる程痛く呻くと、「もう終わりましたよ」と先生。ほんの一瞬で終わった。

 私は外側に突き出た痔核の様なものがあり、ひどい時は排便時に少々出血が見られるので内側にはポリープ(polyp)があると思っていたが、先生の説明は次の通りだった。

 先ず、いわゆる『いぼ痔(blind piles)』は内痔核(internal hemorrhoids;internal piles)と言い、痔核は血栓症みたいなものらしい。私が内側に出来ていると思っているのはポリープではなく、この内痔核だそうだ。次に『切れ痔(bleeding piles)』は裂肛(痔裂:anal fissure)と言い、この裂け目をカバーしようと(裂けた傷を覆おうとして)皮膚が伸びてきて、その結果、出来た物が『皮膚垂』となる。女性に多い症状という。私の場合、痔核かと思っていた、外側に飛び出ている部分はこの皮膚垂に当たるそうだ。以上専門用語の違いを、図示して丁寧に説明して下さった。

 さて、私が希望した手術の件だが、手術が必要なのはこの皮膚垂が大きくなり過ぎて肛門の内側部分までが突出してしまう『脱肛(anal prolapse;prolapsus ani)』の場合であるが、私のはそこまでひどくないらしい。つまり手術の必要はないと言われる。内部の痔に関しては、外側がまだ腫れているので、それが治まってからでしか詳しく診る事が出来ないので何とも言えないという。専用の器具で肛門内部を直接診るそうだ。つまり、もう一度診察を受けなければならないという事か。。。(嫌や。。。)

 取り敢えず、次の化学療法中には痛みをやわらげる成分の入ったネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)と、非常に痛む時用の痛み止めとして座薬(suppository)を処方する様に私の主治医に伝えるとの事だった。今まで使っていた強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)も一応痛みをやわらげる成分は入っていたらしいが、私の痛みに対しては全然効かなかった。疼痛時の座薬に関しては、恐ろしく痛みに苦しみ、一番ひどい時はロキソニン(Loxonin)も余り効かなかったので、そういう座薬があるのなら心強いと思う。しかし入院当初の便秘(constipation;obstipation)気味の折、下剤(cathartic)をお願いした時、イチジク浣腸といったものと勘違いされ、血液の病気の患者さんは浣腸によって万が一肛門内を傷付けては大変(出血が止まらなくなる危険性と感染infectionの危険性がある)だから処方しない事になっているといわれた話をすると、全然危険でも危なくもありませんから大丈夫ですよ、とまた爽やかに微笑まれておられた。痔等の診察は、恐らく嫌がったり尻込みしたりする患者さんが多いと思われるが、それに対して、出来るだけ不安を与えない様に、緊張をほぐす様にと配慮してのものかもしれないが、何故消化器外科を選ばれたのだろうかと、つい聞きたくなった。

 夜になって便通があった。処方されたネリプロクト軟膏(Neriproct Ointment)外用でケア開始する。取り敢えず、痔の痛み等が治まるまでケアは続け様と思う。また便通の為に今晩もラキソベロン液(Laxoberon Solution)を服用する。しかし、疼痛時の座薬はやはり『危険だ』と言う理由で処方される事はなかった。

2007-07-20

2006-06-30 (金) Bコース(2回目) 21日目その1 マルク

 手足指先のしびれ少々、喉少し痛い?舌の左側面中央の味蕾(taste bud)が一個赤くなり、痛む。シャワーは朝一番に浴びておく。

 マルク(Mark:骨髄穿刺;bone marrow puncture)は11時からTNB先生立会いの下、YM研修医によって行なわれた。よく麻酔が効いたせいか余り痛くなかったが、消化器外科受診にマルクと、非常に緊張する事が続き、施術後は疲れて一日中ベッドにダウンする。

 夕刻、骨髄穿刺結果(フローサイトメトリー:flow cytometry)は、今回も異常無しとの事。早速母に報告の電話を入れ、明日外泊許可(exeat;overnight)を得た旨を伝えた。

 先生は、血液検査の結果で、血小板(PLT:platelet)の上がり具合が悪いので、次の治療開始時期は来週に見送ったと言われた。血小板は治療開始には最低8万位欲しいそうである。白血球(WBC;white blood cell)が減ったのは、6/26よりも減っている点についてはノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射を止めたせいで、注射で無理やり増やしていた分のWBCが減ったのでは、と説明を受ける。前回と比べると、今回は私も増え方が悪い気がするが、これは(先生がよく使われる表現で言うと) 骨髄(bone marrow)が疲れてへばってきているせいなのかと訊いてみると、ノイトロジンで急激に増えたWBCの内、値が落ち付かないうちに次の治療を始め、正常なWBCも一気に叩いた(殺した)為、少し立ち上がりが悪いのではないか、といった様な説明をしてくれた様に思う(メモを取りきれていない)。なんだか疲れていたせいもあってか、よく理解出来なかったが、複雑な事が私の体の中では起こっているらしい。

【血液検査結果】6/30:
WBC(白血球数) 1,800 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.0 [g/dl]、PLT(血小板数) 33,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 0.6 [mg/dl]

2007-07-19

2006-06-29 (木) Bコース(2回目) 20日目 帰院

 前回外泊時は私が母の為に作ったのだが、今朝は長姉が茶粥を作ってくれ、3人で朝食をとる。食後に今日シャワーを浴びないかと聞いてみるが、しんどいそうで、止めになった。長姉が来ている(家にいる)ので、断るのではないだろうかと何となく思っていたが、浴びる気にはならなかった様だ。ヘルパーさんも毎日午前・夕方と来てくれているので、シャワーを頼めば浴びられる筈なのだが、ずっと以前、長姉が上洛した時にも一度姉の介助でシャワーを浴びた事がある筈なのだが、結局ヘルパーさんにも姉にもシャワーは頼まず、時々濡れタオルを頼んで体を自分で拭く、頭はドライシャンプーをヘルパーさんに頼むのみで過ごしている。私に頼むのが一番、色々な意味で母にとってよいらしい。しかし近年はどうしても体力が無い、しんどいと言って、いくら勧めてもシャワーを浴びる事が無かった。少しでも気分の良い日には、頼んで浴びる様にすれば良いと思うのだが。

 今日、東京へ帰る長姉がまた外食に連れ出してくれる。混雑する時間帯を避けて、遅昼で出発し、焼きたてパンの食べ放題のお店でランチをする。食べ放題というのに弱い私は一杯パンのおかわりをしてしまったが、大満足である。

 行くかどうか直前まで随分悩んでいたが、今、美術館で催されている『藤田嗣治展』に行き、久しぶりに絵画鑑賞をしてきた。というか、長姉と相談して、感染(infection)の危険性を考えて行っても良いものかどうかお互いに悩みつつ美術館の前迄行き、そこで更にしばらく2人で悩んでから、外泊許可(exeat;overnight)も出ているし、マスクは2重にしているし、人も少なそうに見えたので、具合が悪くなったらすぐに出るという事にして、入場した。

 疲れるといけないからと、長姉が私を車椅子(wheel chair)に乗せ、押してもらいつつ鑑賞した。この車椅子は完全に人に押してもらうタイプで、自分で動かす事の出来ない形のものであった。TVでも宣伝していたが、以前、口腔外科へ行った時の帰り道、とある廊下の窓口にポスターが貼ってあるのを間近で見てから、出来れば行きたいなぁと思う様になっていた。彼の絵は何回か観た事はあるが、もしかするともうこんな機会は二度と来ないかもしれないと思い、思い切って長姉に頼んでみた甲斐は十二分にあった。猫の描写の可愛らしい事と、女性のあの肌色は、ポスターの中でもTVの画面でも再現は出来ておらず、唯一実物でのみ体験出来る感動の色、なんとも美しい色合いの不思議さであった。

 しかし、大好評の絵画展だけあって平日にもかかわらず、館内は予想外に人が多く、それだけでも大変だったのだが、車椅子から鑑賞する等、もちろん初めての事で、長姉も車椅子を押すのに慣れていない事もあって、しょっちゅう壁や角にぶつかったり、他のお客さんの足にぶつかりそうになるので足元に冷や冷やして緊張するわ、絵画を見上げるのに次第に頸が痛くなってくるわで、改めて美術館の絵画の配置は大人が立って鑑賞するのに丁度良い高さになっている事を痛感した。絵からある程度離れて観れば首も痛くならない事は分かっていたが、なにせ人が多いので離れると車椅子の高さからでは人の背に隠れてしまって絵が良く見えず、最前列まで近付くと見上げる角度が非常に大きくなるので頸が痛くなる。今迄車椅子で鑑賞している人を見かけても、特に何も思わなかったが、本当に色々と大変な事が多いと、その身になってみて初めて分かった。長姉とはこの美術館で別れ、東京へ戻っていったが、姉も疲れたのではないだろうか。でも美しい絵を観られてとても嬉しく、付き添ってくれた姉に感謝、感謝。

 タクシーで帰宅し、母にも絵画展が素晴らしかった事等を話していたが、たかだか3時間強の外出だったのに、恐ろしく疲れているのが分かり、母にも勧められ、昼寝をする事にした。頸を中心にひどく疲労している。

 不思議な事だが、本日は便通が3回もあった。やはり外泊時はスムーズに、しかも大量に便通がある事が多い。食べ過ぎ? それともリラックス(relax)するせい? まだ肛門の具合が完全ではないので、強力ポステリザン (Posterisan forte) 軟膏でしっかりケアをしておく。結局、今日は疲れや頸の痛みも重なった為、ロキソニン(Loxonin)は朝と夕方の計2回服用した。

 母との夕食後、洗濯物等の荷物をまとめ、時間まで母とお話等した後、頼んでいたYちゃんに病院まで送って貰い、消灯ぎりぎりの21時40分帰院する。血圧(blood pressure)は127-81、体温(body temperature)は36.3.℃で異常なし。今回の外泊の教訓は、『無理は禁物』である。入院も長期に渡ってくると、体力の消耗、減退は自分が考えている以上に進んでいるらしい。

2007-07-18

2006-06-28 (水) Bコース(2回目) 19日目 外泊

 手足指先のしびれ少々。肛門の痛みは減少するが、今回はまだひどく腫れている。朝の回診に来られたTNB先生からは消化器外科は金曜日の予約でよいかと聞かれた。そして、次の治療のAコースも痔(piles;hemorrhoids)の傷が治ってからの方が良いだろうと話された。痔の診察というのは消化器外科で診て貰うものらしい。もう逃げられない、あきらめて診察を受けるしかない。ううっ、嫌だ。。。

 恒例の採血があり、結果は、血小板(PLT:platelet)が輸血(blood transfusion)ぎりぎりの値だったのだが、予定通り外泊許可(exeat;overnight)を出して貰えた。昼に珍しく姉が二人揃って迎えに来てくれ、そのまま車でステーキ屋へ行き、姉妹3人でランチをとる。なんだか嬉しい。元気な頃はステーキといえば焼き加減はレアで、というのが定番だったが、今は生焼けのものや刺身等、生もの禁止なので、しっかり火を通したウェルダンで頂く。ちょっと味がハッキリ分からない所もあったが、おいしく頂けた。

 帰宅すると、母は眠っていた。この所ますますしんどく痛いみたいだ。次姉は母を起こさずそのまま帰宅したが、幼馴染のYちゃんが顔を見せに寄ってくれ、白血病(leukemia)の少女が出てくるお話の絵本を貰う。題名は『チャーリー・ブラウン なぜなんだい?』。アニメにもなっていたそうだ。それにしてもピーナッツからこの様な本が出ていたとは知らなかった。きっと治る、というエールを込めた贈り物で嬉しい。図らずも白血病に罹ってしまった子供の為にもこの絵本はとっても良いだろうと思う。何より、大好きなスヌーピーが出てくる所がいい。ありがとう、Yちゃん♪

 その後はお昼寝から目覚めた母と色々お話をしたり、病院から持ち帰った衣類の洗濯やその片付け等をして過ごす。夜は母と長姉の3人で、母の部屋で夕食をとる。料理上手の姉手製のスパゲッティである。これまたおいしく頂くが、母はますます食べる量が減ってきた気がする。就寝後の午前2時前頃、何やら物音がするので心配で母の部屋へ見に行くと、母、大汗をかいて眼が覚めたという。着替えを用意し、体を拭いてあげる。こんな夜がよくあるのだろうか? そばに付いていてあげられず、私の病気の事で心配かけてしまって。明日は、母の体調が良ければ約束通りシャワーとそれに毛染めもしてあげたいと思う。

【血液検査結果】6/28:
WBC(白血球数) 2,900 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.5 [g/dl]、PLT(血小板数) 27,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 1.2 [mg/dl]、好中球数1,914個.

2007-07-17

2006-06-27 (火) 歯ブラシ事件

 移植(transplantation)に備えて歯も悪い所が無いかしっかり検査しておこう、と言う事で口腔外科(歯科)を受診し、歯磨き指導を受けたのだが、参ったのは、歯ブラシ(toothbrush)だった。

 私は犬歯(canine;dens caninus)が牙の様に出ていて歯並びが悪いのだが、指導員の予想に反して、私が綺麗に磨いていたものだから、持って来る様に言われていた自分の歯ブラシで磨ける所は合格点であった。磨き残しは、歯ブラシの届き難い窪みがある犬歯の所(叢生歯:crowded teeth「そうせいし」と読むらしい)で、「ふで型ハブラシ」というものを使って歯並びの凸凹している隙間の所の磨き残しを落としていくのを私の歯で実演してくれた。そして通常の歯磨きで落としきれない部位は、この特殊な形をした歯ブラシを使用して落とす様にと指導された。

 歯磨き指導の終わりに、その歯ブラシは購入してくれと言われた。てっきり貰えると思っていたので、今日使用した歯ブラシはくれないのかと聞くと、「これは消毒(disinfection)して次の人の時に使うので渡せない」旨を言われ、その時初めて使い回ししている事を知り、驚くと共に非常に気色悪い思いをした。

 余りのショックにその場では何も言葉が出ず、病室へ戻ったのだが、どう考えても理解出来ない。さして高い歯ブラシではないのだから、患者に買い取らせれば良いのに、何故使い回しをするのか、洗浄する手間賃の方が下手をすると却って割高になるのではないか? それに消毒と言うが、ブラシの部分は一体どの様なたぐいの消毒をしていると言うのか、乾熱滅菌(dry heat sterilization)等したら溶けてしまうだろうし、オートクレーブ(autoclave)? 薬品を使う? どんな方法を使うにせよ、他人の口の中に入ったものを使い回すとは、大学病院とは思えない無神経さである。口内なら、出血する事もある。血液から感染(infection)するウイルス(virus)や病気は色々ある。いくら消毒したと言っても、本当に全部菌が殺されているのかどうか、(知識がないせいもあるだろうが)俄かには信じがたい。

 この事を回診に来られたKB先生に話して訴えてみたが、先生も使い回しの事実は驚かれていた。消毒の件は多分薬剤に浸す方法ではないか、と言われる。殺菌力はしっかりしているのか等を聞くが、やはり気持ちが悪い。先生も改善すべき問題として聞いて下さるが、何故こんな事がまかり通っているのかと聞いてみると、恐らく今まで患者さんの方で気付く人がいなかったからではないだろうか、と推察された。

 何とかならないかを聞いてみるが、科が違うので、他科の者(KB先生自身)が口を出すとちょっとまずい事もある(角が立つ?) 可能性があり、それよりはご意見箱といったものがある筈なので、そこへ投書してみたらどうかと言われる。投書箱による患者さんからの直接の言葉の方が直接上層部に迄声が届く効果があると思われるからだそうだ。それならば、偶然ではあるが、ここの病院長は私が入院している科の教授でもあるので、2週間に1回ある教授回診の時に直訴してみましょうかと聞くと、「いやぁ~、それは、・・・??・・」とかなりひかれてしまった。それではご意見箱とやらは、どこに設置されているのかと聞いてみるが、確かにどこかで見たが、聞かれるとどこだったか思い出せない様で、また分かった時にでも教えて下さいとお願いしておいた。

 もしまた口腔外科(歯科)受診という事がある場合、歯磨き指導等があれば、もう絶対自分の持っていった歯ブラシ以外は拒否しようと思う。はっきり言って、これは新聞沙汰になってもおかしくない事件だと私は思っている。

※ 後日談になるが、この訴えは最終的には口腔外科に伝わり、現在はもう歯ブラシの使いまわしは行なわれていない。その詳細は、また次の機会に。

※ 追記(060714)

2007-07-16

2006-06-27 (火) Bコース(2回目) 18日目 歯科受診

 手足指先痺れ少々。肛門の痛みはまだ治らず、軽く出血しているが、痛みは随分と治まって、薬を飲まなくても我慢出来る位になった。白血球(WBC;white blood cell)が更に増えているのだろう、白血球って凄い! 便通は丸2日(48時間)無く、ご飯の量や間食も減らしてみているが、体重は増え続けている。但し、脚はむくんでいない。階段昇降の自主リハビリ(rehabilitation)は今日も3回する。夕食前に2日ぶりに便通がありホッとするが、今晩もラキソベロン液(Laxoberon Solution)を服用しておく。昼前にシャワー。IVH(中心静脈カテーテル)コネクターの交換がある。

 白血球(WBC;white blood cell)が増えてきたお陰で、今朝から食事は加熱食から化療後食になり、朝食は茹で野菜から生サラダへ、果物ジュースパックから生のフルーツへ戻った。小さな事だが、嬉しい。

 歯科(口腔外科)受診は午前と午後の2回に分けてあった。歯科は外来棟迄行き、午前は20分程受診待ちしてからの診察、その後、歯のレントゲン(X-ray)撮影をしてから一旦病室へ戻る様に言われた。午後は歯磨き指導があるので歯ブラシ(toothbrush)を持って来て下さいと言われていたので、昼食後、歯を良く磨いてから再度歯科へ行った。

 歯垢(dental plaque)は全体に殆んど付いておらず、歯の裏側は非常に綺麗だが、磨き残しが歯の表側、とくに歯並びの悪い犬歯(canine;dens caninus)の周囲に見られた。先生が期待していたより遥かに少なかったらしく、先生は意外という顔をされていたが、磨き残し部分の歯磨き指導を受けた後、歯石(dental calculus)と歯に付いたヤニや色素(イソジン(Isodine)の色が意外とよく歯を染めてしまっている)を取って貰う。結局、虫歯(carious tooth)も無く、歯槽膿漏(alveolar pyorrhea)も進んでおらず(通常程度)、骨にも異常が見られず、抜歯(tooth extraction;exodontia)どころかどこも治療の必要もないとの事で診察は今日1回のみで終了となった。

 今朝、歯科受診前にKB先生や、TNB先生が来られた時に、万が一、抜歯という事になるなら、骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)は受けない旨を改めて伝えた。以前(6/17)、悪い歯があるなら抜歯、しかも4~5本抜く事になるかも、とサラリと言われたのが非常に心に引っかかっていたからだ。移植を受けない事になれば、もう痔(hemorrhoids;piles)の診察を受ける必要はない訳だ。しかし、抜歯宣言されなかった場合は、痔の診察を受けると約束してしまった(但し、その場合は手術をして痔を完全に治す事を前提に考えての事)為、結局、痔の診察を受けなければならなくなってしまった(多分金曜日)。非常に憂鬱で気が重い。

 15時から夕刻迄、長姉が見舞いに来てくれるが、最初の15分程は長姉がわざわざ呼んで私の個室に来て貰ったKB先生に、長姉が色々と質問や治療の進み具合等を聞いていた。私も一緒に話を聞いていたが、長姉がした質問等で印象に残ったものは以下の通り。私の現在の病状【先生の回答:遺伝子検査でも白血病細胞(leukemia cell)は見当たらない位になっている】、今後の生存率【私と同じ急性リンパ性白血病(acute lymphocytic leukemia;ALL)では、一般に4年で40%、4年以上で30%位だが、病院や統計の出し方等によって若干結果に差がある】、ミニ移植と言うものは適用出来ないか【一回移植手術を受けたが、再発(recidivation)して、もう一度抗癌剤(anti-tumor agent)の治療には耐えられない人とか、高齢の人でやはり抗癌剤治療に耐えられない人を対象に行なう治療法だそうだ】。

 今迄、生存率(survival rate)については話される場面が何回かあったが、私自身が聞くのではなく、本人がいる前でこうもストレートに聞いてくるのが、なんだか不思議な光景であった。今日明日で急にパーセンテージが変わるわけでもないだろうに、毎回畳み掛ける様に聞いてくる。私の病状を思って、正しい知識を得て最善の治療法は他に無いかを聞いてくれているのは分かるのだが。 後は2人で色々雑談をして過ごす。長姉の見舞いはいつも嬉しく、いつの間にか次回を心待ちにしている所がある。

 夕刻、TNB先生が歯科の結果を聞きに来られたが、この時、明日の血液検査の結果次第ではあるが、外泊許可(exeat;overnight)が出た。金曜日の事はまたその時の事として、取り敢えず、明日は気分転換、気分転換、家に帰れる!

2007-07-15

2006-06-26 (月) Bコース(2回目) 17日目 

 手足指先のしびれ他、前日同様。体重は昨日食事量を減らしてみたのだが、増加傾向のままである。月経(menstruation;menses)が始まったかと思ったが、今回も違った様だ。完全にリズムがおかしくなってしまっている。

 今朝はまだ排便もないからか肛門の痛みもかなりマシで、もしかすると白血球(WBC;white blood cell)が増えてきたのかもしれないと思ったが、9時過ぎから次第に痛みがきつくなってくる。10時前TNB先生が来られ、「今朝は痔の痛みもマシなのでは?」と言って、白血球数がどん底から800に増えてきている事を伝えてくれ、痛み止め服用の許可が出来た。それならばとシャワーについて聞いてみると、こちらも晴れて許可が出た。ロキソニン(Loxonin)は早速10時に飲むが、午後も遅くなると、痛み止めとは別に、昨日より痛みもずっと和らいできているのが分かった。改めて白血球の力って凄いんだなぁっと感心しきり。とはいえ、まだかなり痛むので、19時半にもロキソニンを頼む。また、便通がなかったので就寝前にラキソベロン液(Laxoberon Solution)を飲む。

 15時半過ぎに10回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射があったが、WBCが増え始めたので、今日で終わりとなる。

 シャワーの許可も出たので今日から1日3回の階段昇降(6階分)の自主リハビリ(rehabilitation)を再開した。水曜日はもっと白血球が増えているだろうから、きっと外泊許可(exeat;overnight)が出るだろうと思う。

【血液検査結果】6/26:
WBC(白血球数) 800 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.4 [g/dl]、PLT(血小板数) 36,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 2.5 [mg/dl]

2007-07-14

2006-06-25 (日) Bコース(2回目) 16日目 

 手足指先痺れ他、前日同様。朝一番に便通あり、排便痛、腫れてぴんぴんに尖っている。ひどく痛く、きつく辛い。内外を軟膏(ointment)でケアするが、ケア自体も痛くて痛くて涙が滲む。ロキソニン(Loxonin)を頼むが、次を貰えない場合を考えて、出来るだけ我慢して9:45に飲み、薬が効く迄寝る。体重は減らず、増加傾向にある。

 昼食後まもなく次姉が見舞いに来てくれるが、このあたりでやっと薬が効いてきて、痛みが少しマシになってくる。姉に頼んでメンソレータム(Mentholatum)等を持って来て貰ったのだが、姉が去った後で、肛門の腫れたあがった所に塗ってみる。メンソール(Menthol、mentha)の効果で、腫れている部分の熱等を取ってくれないかと期待して試してみたのである。薬が切れてくると、真っ直ぐ普通に座る事も出来ず、円座の座布団に座る事も痛さの方が勝って無理な位である。

 15時半前に9回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射がある。

 ロキソニンは最低6時間以上空けてから次を服用する様にと注意されており、ナースに前回何時に飲んだか等をチェックされている。また、ロキソニンで感染(infection)等による発熱(pyrexia、fever)がマスクされるのを先生は避けたがっておられるので、出来るだけ我慢し、8時間経った頃、体温を測り、平熱である事を確かめて、再度ロキソニンをお願いし、18:00に許可が出たので貰って飲む。この2~3日は、トイレに行く事自体が非常な苦痛になっているせいか、大小合わせてトイレに行った回数は1日に3~4回。

 18時頃、TNB先生こられ、痔(核)(hemorrhoids;piles)の具合を聞かれ、今回はひどく痛む旨を伝えると、嫌かもしれないが、痔の診察を受けて、薬で抑えるなり、手術するなりして移植に備える必要があるだろうと言われた。骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)に痔になると生死をさまよう位、悶絶する事が多いそうだ。その治療は移植直前になるだろうが、取り敢えず、診察だけは今週あたり白血球(WBC;white blood cell)が増えてきたら歯科と共に受けられる様に予約すると言った話をされた。

 拒否出来るものなら断固拒否したい。嫌やっ! 少なくとも歯を先に見て貰いたいと思う。もし抜歯(tooth extraction;exodontia)等と言われたら、移植を止める方向で考えている。これの片が付いたら(即ち抜歯しなくて済むと診断された場合)、痔の診察を受ける事も考えても良いが、薬で抑えられるのならば(先生は、そんな方法もある様な口調だった)、直接診て貰わずに、問診だけで、済ませて欲しいと思う。見なければ診断出来ないと言うのならば(どちらにせよ見られてしまうのならば)、薬だけで治療等という形にせず、ちゃんと手術等をして完全に治して欲しいと思う。以上の内容を改めてTNB先生に伝えたかったが、宿直と聞いていた先生はついにこの日は来られなかった(現われなかった)ので、翌朝来られたKB先生にこの意思を話してみた。

2007-07-13

2006-06-24 (土) Bコース(2回目) 15日目 入院3ヶ月

 体調はいつもに同じ、と言うか、今朝は超軟便の便通だったが、排便痛が厳しく、体調云々どころではない。身体を動かさなければ痛みはマシだが、少しでも体位を変え、動くと非常に痛む程ひどい状態になってきた。昨夜の先生との約束通り昼迄ひたすら我慢して、体温を測り、35.8~35.9度で発熱していない事を確かめてから、TNB先生にロキソニン(Loxonin)を飲んでも良い許可を得る。一回分だけ貰ったので、もう貰えないかもしれない事を想定して更に14時まで我慢してからロキソニンを飲む。昼食後体温が少し上昇し、36.6~37.1度になったが、両手足の先が熱く、オデコとか体躯は熱くない状態である。ロキソニンを飲んでも痛みは、完全には無くならず、少しやわらぐ程度である。

 15時半前に8回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射がある。食事、トイレ、注射以外は殆んどベッドにネコの様に丸く横たわりながら、痛みを我慢して過ごす。

 夕刻よりまた強烈に痛み始め、夜になるともう我慢出来ない位になった。ロキソニンを1日1回だけにして様子を見ようと言われていたが、余りの痛みに耐え切れず、21時頃ロキソニンを追加して貰えないかのお願いをナースにしてみた。30分経ってやっと、当直の先生より許可が下りたといって、ナースがロキソニンを持って来てくれた。どれだけ痛くて苦しんでいるか、分かって貰えないものらしい。夜間で連絡がスムーズに行かなかった等もあろうが、30分のなんと長い事か。それでもやっと届いた薬はとてもありがたい。もうベッドに普通に座っていられず、ベッドから立ち上がるのも痛くて涙が出るし、一歩歩くのすらひどく辛く、トイレ等では尿も滲みて、紙で拭くのは激痛が走る。とにかくパンパンに腫れ上がってしまっていて、身動きもままならない状態になって来ているからだ。

  今日は軟便にもかかわらず、肛門は痛くて悲鳴を上げるほど腫れ上がっている。痔(hemorrhoids;piles)が余りにも痛くて辛いので、一日くらい便通が無くても、間もなく白血球(WBC;white blood cell)が増えてきたら前回の様に痛みも嘘の様に引くのだからと思い、今晩は下剤(cathartic)は飲まない事にする。今日で入院90日目、3ヶ月経った。まさか、痔の痛みでこんなに苦しんでいるとは思わなかった。

2007-07-12

2006-06-23 (金) Bコース(2回目) 14日目 痛みとロキソニン

 今朝は体温(body temperature)が35.2度ととても低く、測り直しても35.5度であった。日中になり平熱(normal temperature)に戻る。その他の体調はいつもに同じ。7回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射は15時半前にある。

 採血結果は今日もWBC(white blood cell;白血球)はゼロ(測定不能)、HGBは昨日の赤血球(RBC:red blood cell)の輸血(blood transfusion)で増え、血小板(PLT:platelet)は33,000と減っている為、16時から血小板の輸血が10単位分あり、全部点滴するのに今日は約3時間かかった。

 便通は2回ある。一回目の朝は、出血はなかったが排便痛があり、徐々に痛みがきつく我慢出来なくなってきたので、ナースに頼み10時頃、ロキソニン(Loxonin)を飲む。夜は19時にロキソニンを貰い、漸く痛みが引いてきた20時頃、再度便通があり、排便痛は非常にきつかった。痔核(hemorrhoids;piles)の様なものが出来ているのかもしれない。肛門の一部が赤く尖って突出していて非常に痛み、かすかに出血もある。その部分を出来るだけ肛門内に押し戻しつつ、強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)を塗り、注入して内外のケアを念入りに丁寧にしておく。個室のトイレの中なので、人や時間を気にする事なく、しかし激痛で涙を一杯浮かべながらのケアである。今日も夜中に明日の便通の為に、ラキソベロン液(Laxoberon Solution)を15滴服用する。

 今日は21時前にまたTNB先生が回診に来られ、私の痔の調子、他の身体の具合を訊かれた。痔が辛い事を伝える。先生は、今日の血液検査で炎症反応をみるCRPが1.7に上昇している(1以上だと要注意と2日前に言われている)事から、今後発熱(pyrexia、fever)に特に注意しなければならないので、明日は出来るだけロキソニンを飲むのを我慢して貰えないかと言われる。発熱は色んな感染症(infection)の感染等のサインになる。しかし、今服用している痛み止めのロキソニンは、鎮痛解熱薬(analgesic-antipyretic drug)なので、もし発熱が起きてもそれも抑えてしまう作用もある、つまり発熱を隠してしまう作用もあるので我慢して欲しい、との事である。

 先生の言われている事は理解出来るのだが、この痛みを我慢するのは酷だ。どう表現したら良いのか分からないが、健康な時に稀になった痔の時の痛みと、治療で白血球がゼロになっている時のこの痔の痛みは別格で全然違い、重症と言いたくなるほど痛むのである。我慢出来ない位きつい、と答えるが、取り敢えず、明日の朝はしばらくロキソニンは我慢して、発熱していないか体温変化に気を付けてみる事になる。

【血液検査結果】6/23:
WBC(白血球数) 100未満(測定不能) [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 9.1 [g/dl]、PLT(血小板数) 33,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 1.7 [mg/dl]

2007-07-11

2006-06-22 (木) 血球の寿命

 赤血球(RBC:red blood cell)の寿命は120日位、血小板(PLT:platelet)は1週間から10日位だそうだ。

2006-06-22 (木) Bコース(2回目) 13日目 

 手先指先のしびれと腰痛(lumbago;backache)少々あり。眼の乾きや歯茎(歯肉:gum;gingivae)の痛みはかなり引く。最近視力が変な感じなのだが、視力は左眼が落ちている気がする。深く前かがみしてから頭を上げると少し頭が痛む。6回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射はいつもの通り15時頃にある。

 赤血球(RBC:red blood cell)が減っていたという事で2単位分の輸血(blood transfusion)があった。

  昨日まで痔(核)(hemorrhoids;piles)の痛みはなかったが、白血球(WBC;white blood cell)が底値になった今朝は、起床時より肛門(anus)が痛む。便通(bowel movement)後ケアをするが、痛みが引かず。そのせいか身体がだるく1日寝て過ごす。18時前、痔の痛み、いよいよ我慢できなくなり、ナースに頼みロキソニン(Loxonin)を頼み服用すると、間もなく痛みが引いてきて楽になる。排便痛を避ける為、毎食後カマグを服用して便を軟らかくしているが、便通をスムーズにさせる為に就寝前にラキソベロン液(Laxoberon Solution)を15滴に増やして服用してみる事にする。今回は白血球が増えるまで、この痛み(軟便ですら排便が辛くなる等)に悩まされそうである。

2007-07-10

2006-06-21 (水) 下剤など 

 入院して環境が変わって、便秘気味になった時、ナースに下剤(cathartic)を下さいと頼むと、何故か浣腸剤(enemas;clysters)と思われてしまい、看護師長に話が伝わり、「血液腫瘍科の患者さんは下手に浣腸剤を使うと、出血してしまい、出血が止まらなくなったりするのを恐れて浣腸剤は処方しない」と説明されに来られて戸惑ってしまった事がある。単に便を軟らかくする薬とか、緩下剤(laxative)の飲み薬が欲しいと理解して貰うのに時間がかかってしまって難儀した。

 5月中旬頃から、便通によって肛門が切れるのを防ぐ意味で、酸化マグネシウム(magnesium oxide:カマグ)を1日3回飲む様になった。副作用の1つに便秘(constipation;obstipation)があると言われるオンコビン(Oncovin)が投与される前後は1日4回に増やしている。酸化マグネシウムは便を軟らかくする作用がある。

 プルゼニド錠(Pursennid)12mgは9時間後位に効く下剤(cathartic)だそうだ。腸を動かす作用があるらしい。

 ラキソベロン液(Laxoberon Solution)7.5mg/mlは、1ml中にピコスルファートナトリウム(Sodium Picosulfate)7.5mg含有(1mlは約15滴)の便秘薬で、大人は最初10滴位から始めて、10~20滴位の間で各自調整する。水などに滴下して(希釈して)服用する。今回私の場合はプルゼニドからラキソベロンに変える事になったのだが、ラキソベロンは腸を動かす作用に加え、便も軟らかくする作用もあり、酸化マグネシウムとの併用が可能だそうだ。

 同様の下剤でラキソセリン液(Laxoselin solution)というのを入院前は使った事があったが、これも水で希釈して服用する。この原液が甘かった覚えがあるので、試しにラキソベロンもちょっと舐めてみたが、やはり原液は甘い味がする。

2006-06-21 (水) Bコース(2回目) 12日目 

 手先指先のしびれと腰痛(lumbago;backache)少々あり。眼の乾きは少しマシになってくる。但し、何となく視力が変な感じ(見え難い感じ)というのはここ2~3日続いている。歯茎(歯肉:gum;gingivae)の痛みもかなりなくなる。この歯茎の為に6月16日から始めていたフロリードゲル(Florid oral gel)での口内ケアは、同日の咽頭スワブ(throat swab)の結果、カンジダ症(candidiasis)には陰性(negative)だったという事で、ケアは昨日までとし、一旦使用中止となった。5回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射はいつもの通り15時頃にある。

 午後、漸く便通があったが、内部よりの出血があり、強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)で内外をケアしておく。今日の血液検査で炎症反応が0.6と上昇してきている(1以上になったら要注意だそうだ)のが心配だ。つまり、この肛門の傷が炎症(inflammation)を起こしたとすると、白血球(WBC;white blood cell)数が測定不能の100未満になった今、またひどく痛くなって苦しむかもしれないと思うと、ひどく憂鬱である。

 下剤(cathartic)としては昨日プルゼニド錠(Pursennid)を処方されたが、酸化マグネシウム(magnesium oxide:カマグ)と併用可のというラキソベロン液(Laxoberon Solution)に変更された。取り敢えず今日は10滴から試してみて下さい、との事。

【血液検査結果】6/21:
WBC(白血球数) 100未満(測定不能) [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.1 [g/dl]、PLT(血小板数) 54,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 0.6 [mg/dl]

2007-07-09

2006-06-20 (火) ノイトロジンとエポジン回収ニュース 

 今朝、ノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)とエポジン(Epogin)回収のニュースが流れているのを偶然テレビで見た。ノイトロジンと言えば、白血球(WBC;white blood cell)を増やす注射として、化学療法(chemotherapy)の各コース後半から毎日15時に皮下注射(subcutaneous injection)されている、まさにそれである。思わずニュースに聞き入ると、BSE未検査時の米国牛血清が使用されて作られていた為、そのロットを回収しているとの事。製造期間等を見ると、恐らく私に使用されてきたノイトロジンは回収の対象外と思われ、取り敢えずホッとするが、余りいい気はしない。ちなみに、エポジンはかつて4人部屋で同室だったMYさん(60歳位)が、多発性骨髄腫(multiple myeloma)の治療で使っていた薬の1つだ。

  いつもの様に回診(round)に来られたKB先生にこの問題になった血清はどの様に使われているのかを尋ねてみると、ノイトロジンを作る際の培養細胞の培養液に加える牛血清(bovine serum)の事だという。これは細胞培養の時に加える栄養剤みたいなものである。ニュースになったロットはかなり古いものらしく、この病院のは大丈夫だそうだ。また、万が一問題の牛血清が使われて作られたとしても、その牛血清自身が成分になる訳ではないので、危険性は殆んどなさそうである。

2006-06-20 (火) Bコース(2回目) 11日目 

 今朝の予定に咽頭スワブ(throat swab)があったのだが、朝4時半のナースの巡回時に、例によって私が目を覚ましていたので、ついでにと言って、採取していかれた。何故かナースの巡回の数分前に、フッと眼が勝手に覚めてしまう事がしばしばある。

 手先指先のしびれ少々、眼はまだ乾いた感じである。歯茎(歯肉:gum;gingivae)の痛みはかなり引いてきたが、フロリードゲル(Florid oral gel)での口内ケアは今日も1日2回しておく。4回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射はいつもの通り15時頃にある。

 血小板(PLT:platelet)の輸血(blood transfusion)、10単位が午後からあった。血小板の袋には『照射濃厚血小板10U-R』とかいてあるのだが、この照射って何なのだろう?

便通なし。これで丸2日無いので、便秘(constipation;obstipation)が心配になってきたのでナースに頼み、下痢(diarrhea)をお願いする。貰ったプルゼニド錠(Pursennid)12mgは9時間後位に効くと聞いたので、21時に飲んでみる。ちなみに便を柔らかくすると言う酸化マグネシウム(magnesium oxide)は5月中旬頃からほぼ毎日1日3回服用している。

 母は電話で建築当初からある家の老朽化した中央暖房(ボイラー)を止め、全面的にガス急騰に替えたと言う。これでお風呂やシャワー等、すぐにお湯が出る様になると言う事で、私も嬉しい。お湯の温度調整がボイラーでは難しかったからである。母はしばらく体清拭やヘルパーさんによるドライシャンプーのみだったので、次回私の外泊時に、今度こそ頑張ってシャワーを浴びようね、思いっ切り綺麗に洗ってあげる、と約束する。

2007-07-08

2006-06-19 (月) 献血ヴェノグロブリンIHについて 

 献血ヴェノグロブリン-IH ヨシトミ(Kenketsu Venoglobulin-IH YOSHITOMI) (2.5g、50ml)を2本点滴された。これは50ml/hの速さで点滴するもので、『ポリエチレングリコール(polyethylene glycol)処理』、『人免疫グロブリン(献血国:日本)』と書いてあった。

 どんな時にこれを点滴するのか等、先生に訊いた所、現在の私は、Ig-G(免疫グロブリンG;immunoglobulin G)が500以下になり、ステロイド(steroid) (免疫抑制)も使っている為、またIg-Gは増えないので、免疫力が非常に落ちている状態で、これを補う為にγ-グロブリンの点滴をした方が良いと思われ、実施する事にした、と説明された。

 以下にその他の内容を、箇条書きする。
・ 免疫グロブリン抗体が不足して抵抗力が弱い人に対して、細菌(bacterium)やウイルス(virus)から体を守る為に、免疫グロブリンを補う薬。

・ 血液製剤(blood preparations;blood products)の為、アレルギー(allergy)反応が出る事もあるので、ゆっくりと時間をかけて点滴をするらしい。

・ ヒト免疫グロブリンGの血液由来成分

・ 副作用に、発熱(pyrexia、fever)、頭痛、吐き気(nausea)、手足のむくみ(swell;bloat)、倦怠感(malaise)、尿量減少、皮膚掻痒、咳(cough)、くしゃみ(sneezing)等。

・ γ-グロブリンはヒト血液(加熱)製剤で、非常に高価な薬である。これは月3回までは保険が適用される、と言った薬だそうだ。薬価は29,716円×2本という事になる。ちなみに、この薬は使えば使うほど病院側の持ち出し(負担)が多くなる薬だそうで、これはDPC(医療費包括化)導入の為にそういう事になったと言う話だった(6/18 DPC(Diagnosis Procedure Combination)参照)。

 この点滴が原因かどうかはわからないが、点滴が終わる前後、しばらく寒気がし、指先も冷えてしまったが、体温は36度であった。14時半頃、体温を測ると37.2度と微熱(low grade fever;subfever)が出ていたがすぐに正常値に戻った。アレルギー反応が出るかもしれないと言われたので、入院最初の輸血(blood transfusion)の時みたいに緊張したが、何も起こらなかったのでホッとした。

2006-06-19 (月) Bコース(2回目) 10日目 自主リハビリ

 手先指先痺れ、腰痛(lumbago;backache)少々。今日も両眼が乾いた感じでヒリヒリと痛む。朝一番の血圧(blood pressure)は82-50と低く、もう一度計り直して91-50で、立ち眩み(dizzy)の傾向もある。HGB(hemoglobin;ヘモグロビン)が減少しているのでその影響もあるかもしれない、という訳で、午後に赤血球(RBC:red blood cell) 2単位の輸血(blood transfusion)があった。今日から加熱食になり、15時に3回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)注射があった。1日便通なし。

 午前中に献血ヴェノグロブリン-IH (Kenketsu Venoglobulin-IH)という点滴が免疫力(immunity;immunization)を補う意味で、2.5g、計100ml分あった。何でも、かなり高価な薬だそうだ。

 階段昇降の自主リハビリ(rehabilitation)は、筋力維持にと5月24日に始めて以降、血球数の多い時に行なっているのだが、今日も3回しておこうと思って、朝食後に一往復していた。この頃は慣れたせいか、足も痛くなくなったが、今日は息が上がってしまった。これも多分HGBが少なくなっているせいだろう。午後の輸血の様子を見に来てくれたナースから、「TNB先生に訊いたところ、今日の血液検査の結果、WBC(white blood cell;白血球)が下がってきているので、人混みを避けて、もう売店へは行かない様に、との事です」と連絡をされた。またしばらくの間、自主リハビリが出来なくなるが、赤血球の輸血もして貰ったし、非常階段は日中でさえ人通りが非常に少ないので、人通りの途絶える夕食後の面会終了後の時間(売店も閉店している時間)、まだWBCが600ある今日のうちに、いつも通り合計3往復(残り2往復分)しようと思い、夕食後と、21時前に最後の一往復をしに行った。

 非常階段をゆっくりゆっくり気をつけて静かに下りていたら、誰かが降りてくる音が聞こえた。その足音の主は私に気がついてか、すぐにスピードを落として降りてくる様感じた。一向に追い越そうとはしない。先生やナースが非常階段を利用する事があり、帰宅や交替の時間帯なので1階でその足音の主とは分かれるかと思ったのだが、私が降りる地下1階までついてくる様に聞こえた。そこで、誰なのだろうと思って、最後の一段を降りきった所でサッと振り向いて見上げてみると、なんと、あのスリムなTNB先生が少し小首を傾げた様な感じで付いてこられていたのである。思わずビックリして縮こまってしまった。先生は地下にある、まだ開いているもう1つの売店(日中や人混みの多い時間帯は免疫抵抗力の落ちた患者は避ける様に言われている、遠い方の売店)に行こうとされていて、偶然私を見つけ、ちゃんと降りられるか様子を見ながら付いて降りて来たのだという。

 一応注意されたが、人のいない時間帯だった事、地下の売店も閉じている時間帯だった事、明らかに筋トレのリハビリをしているのが見ていて分かったという事で今回は大目に見て貰った。ナースから聞いていなかったのと訊かれ、何ともバツが悪かった。先生曰く、私に関しては信頼しているので、正直に話して下さい、と言われ、もう売店は避けるようにとナースに言われていたが、WBCの結果が600だったので、体力維持の為の階段リハビリをどうしてもやっておきたく、今日までは大丈夫と思い、階段昇降をしていたが、入院時に言われた500を切っていたら止めていたと素直に答えた。

 TNB先生は、体力維持は大変良い事なので、リハビリは今後も無理のない程度に続けて欲しいが、WBCが減少している時期で、もしかするとふらっとする事もあり得、心配なので慎重に昇降して下さいと言われる。いたずらを見つかった子供の気分で、なんだか凄く恥ずかしかった。 また焦りが出ていたのかもしれない。反省、反省。

【血液検査結果】6/19:
WBC(白血球数) 600 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 6.4 [g/dl]、PLT(血小板数) 32,000 [/μl]、CRP(炎症反応) 0.1 [mg/dl]

2007-07-07

2006-06-18 (日) DPC 医療費包括化について 

 KB先生が来られると、時々色んな雑談になる事がある。北陸やアメリカの大学にも行っておられた様で、医療現場が違うと方針も違う等、興味深い話も多い。

 今日は、大学病院もやり繰りが大変、という話から、DPC 医療費包括化という制度の話をされた。Diagnosis Procedure Combinationの略みたいで、直訳すると診断・診察行為組み合わせ(診断郡分類)となるのだろうか。計算式があるらしく、【報酬総額×係数(0.7~1.4)】という式で、この係数は病院によって与えられる係数が違ってくる。例えば1,000万円の支払請求に対し、ある病院(係数が0.7と与えられている)では700万円、別の病院(係数が1.4)では、全く同じ請求内容でも係数が違う為、1,400万円の支払いを保険から受けるという事である。病院によっては左団扇の所もあれば、やり繰りに追われる所も出てくるという。そのDPCという制度が出来た為に、この病院も色々と計算等が大変なのだそうだ。

  どうしてこういう事になっているのかは知らない(ちょっと理解不足で、ちゃんとまとめきれなかった)が、インターネットで調べていると、DPCはDekirudake Poor & Cheapの略だ、と皮肉っているページがあり、これが私の中では受けてしまった。

2006-06-18 (日) Bコース(2回目) 09日目 

 手足指先のしびれは、先端部分だけに減っている。両眼は今日もひどく乾いて痛い。口腔内の歯茎(gum)の痛みはかなりマシになる。今日はフロリードゲル(Florid oral gel)での歯茎ケアは昼と夜の計2回する。頭痛(headache)は無いが、しばしば立ち眩み(dizzy)がする。便通(bowel movement)は2回、 うち一回は下痢(diarrhea)になる。肛門(anus)ケアはしっかりしておく。

 朝一番の血圧(blood pressure)は低めだった(90-59)が、10時半の血圧が73-48で、低過ぎるとKNナースに言われ、間もなくYM研修医も様子を見に来てくれる。先生も血圧を測って下さるが、84-48とや はり低いので立ち眩み等に注意する様にと言われる。その為、今日の階段昇降(6F分)の自主リハビリ(rehabilitation)は、立ち眩みに気を付けながら、計3回実行した。夜も82-59と低めだった。

 今日は15時に2回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)注射があった他は何も治療予定は無かった。

2006-06- 17(土) 骨髄移植と歯について

 夕刻回診に来られたTNB先生に歯茎(歯肉:gum;gingivae)の調子を話していたのだが、以前、初期の歯周病(periodontosis)だと言われ、歯磨き指導を受けた事があると話すと、移植(transplantation)を前に、歯を5~6本抜かなければならないかもしれない、と言われ、ショックを受ける。同じ白血病(leukemia)に罹った人のホームページとかで移植の為に抜いたと言う話を読んだ事もあるが、それは歯が悪かったからだろうと思っていた。移植時は免疫(immunity)抵抗が全く無くなるので、少しでも炎症(inflammation)を起こす危険があるもの、例えば虫歯等は抜いてしまうと言うのである。何故治療じゃなくて、“抜く”と言う事になってしまうのかが理解出来ない。

 抜かれるという事態だけは絶対拒否したいと思う。かつて大学生の頃、親知らず(wisdom tooth)が痛んで抜いた事があるのだが、この時は私のあごの形と歯並びから、治療器具が届かず、抜いた方が良いという事になって抜いたと記憶している。ところが顎骨に引っかかっていたかなんかでなかなか抜けず、やっとの事で抜かれた時、生命が何年分か一緒に抜かれる様なひどい消耗を味わった経験がある。何せ、グラグラになったとか虫歯でボロボロになった歯とかではなく、健康そのものの歯を抜いたのだから無理もないと思う。たかだか1本でもあんなに消耗するのに、病院の先生はいとも簡単に抜くと表現される。しかも5~6本抜く事もあるとあっさり言われるのである。歯は抜いたらもう2度と生えて来ないのに、骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)に備えて抜いた方が良い場合があるとは、一体どういう事なのだろうか? どんな説明を受けたとしても、やはり歯を抜く事は拒否したいと思う。

 いずれにせよ、一度移植を前提にこの病院の歯科で精密な歯科検診を受けなければならなくなるらしい。診察だけならば、見て貰った方が気分的に安心ではある。

2007-07-06

2006-06-17 (土) ノイトロジンについて 

 ノイトロジン(Neutrogin)は白血球(WBC;white blood cell)を増やす注射で、G-CSFとも言う時もある。今までに見聞きした内容をちょっとまとめておく。

・ アンプル(ampule;ampoule;ampul)にはヒトG-CSF製剤と書いてある。100μgと書かれているのものは、1バイアル(vial)中にレノグラスチム(遺伝子組換え)原液100μg含まれている。

・ 皮下注射(subcutaneous injection)をし、注射した所を揉まない様にと注意されている。ゆっくりと吸収させる為らしい。

・ 白血球のうちでも好中球(Neutrophil)を増やす注射で、赤血球(RBC:red blood cell)や血小板(PLT:platelet)を増やす事は無いとの事。

・ オンコビン(Oncovin)投与の前後は、この注射を避ける。

・ マルク(Mark:骨髄穿刺;bone marrow puncture)はノイトロジン皮下注射期間中、及びノイトロジン直後2日程はしない方が良いらしい。

・ノイトロジンは非常に高価な薬だそうだ(既出:5/11)

2006-06- 17(土) Bコース(2回目) 08日目 ノイトロジン開始。

 手足指先しびれは前日同様。両目がここ1~2日ひどく乾いて痛い感じがする。便通は2回あり、ケアを丁寧にしておく。体重((body) weight)漸く減る。口腔内(歯茎gum)の痛み等は少しマシになるが、歯磨き時に出血がある。今日もフロリードゲル(Florid oral gel)でケアを毎食後と就寝前にする。シャワーは今日までなら大丈夫と許可が出たので、頑張って浴びておく。間もなく白血球(WBC;white blood cell)が無くなるので、その前にと、階段昇降の自主リハビリ(rehabilitation)も3回行なう。

 今日から15時に第1回目の白血球を増やす注射のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)皮下注射が始まった。まだ白血球数が下がり始めたばかりなのに、この時期に注射が始まる。毎回思うのだが、早過ぎるのではないかと、なんか奇妙な感じがする。

 今日、母のヘルパーHさんがお見舞いに来てくれたのだが、その時、母が毎週家まで往診に来てくれるYN先生に一週間程入院する手続きを取って欲しい、と頼んでいたそうだ。それくらい、体の具合が良くなかったらしい。夜の電話で色々聞くが、その後は、もっぱら、移植(transplantation)時に良くない歯は抜かなければならないかも(しかも5~6本)と言われた話をしていた。母も抜歯(tooth extraction;exodontia)には猛反対で意見は一致した。母という賛同者が出ると特に心強い。

2007-07-05

2006-06-16 (金) フロリードゲルについて 

 歯茎(歯肉:gum;gingivae)の具合が悪いと言った結果、『フロリードゲル経口用(2%、5g)』というのを1日あたり0.5本の割合で都合6日分を処方された。フロリードゲル(Florid oral gel)は口腔・食道カンジダ症(candidiasis)治療剤である。これにはミコナゾール(miconazole)が20mg/g含有の塗り薬である。

 この薬には『この経口用剤の効果的な使い方』という服用の手引きが添えられてあった。それによると
1.先ず、うがい(gargle)をして口の中を清浄にする。

2.薬の含み方として:適量、又は指定量を1回か、量が多い時は何回かに分けて口に含む。チューブから直接・きれいなスプーンを用いて・よく洗った指先にとって、等と例示されている。

3.口腔内にカビ(molds;Fungi)が生えていると言われた場合:薬を舌でまんべんなく口内に塗り広げ、この状態で出来るだけ長く口内に含んだ後で飲み込む。入れ歯の人はよく洗浄した入れ歯にも少し薬をつけておく。  食道にカビが生えている(口内に異常が見られない)と言われた場合:薬を口内に5分程度含んだ後で、少しずつ飲み込む。

4.服用後、少なくとも1時間位はうがい、歯磨き、飲食をしない様にする。

 以上、今迄で経験した事の無い類の塗り薬である。

  このカンジダ菌とは、主として健常人の口腔、消化管等に常在菌としてみとめられる酵母菌(yeast)の一種で、宿主の全身的・局所的抵抗力の減弱によって病原性を発揮し、皮膚粘膜に病変を生じるのだそうだ。私の場合、口内はあちこち白くなった部分が見られ、これがカビかもしれないとの事だった。いずれにせよ、カンジダ症に罹ったのかもしれないとか、口内にカビが生えている等とか言われると、複雑な気分である。

2007-07-04

2006-06-16 (金) Bコース(2回目) 07日目 キロサイドのルンバール

 手足指先のしびれは前日に同じ。排便時の出血(便に付いた鮮血)が少々多かったのだが、何故か今日は、1日肛門は痛くならなかった。階段昇降の自主リハビリは朝・昼・晩と計3回する。

 白血球(WBC;white blood cell)数がまだ多かったので、ルンバール(髄注:intrathecal injection)の前にシャワーを浴びる。

 10時からルンバールがTNB先生立ち会いの下、YM研修医によって行なわれる。今回も大して痛く無かった。2時間安静(rest)にして寝る。夕刻に結果をYM研修医が教えに来てくれたが、今回も髄液(脳脊髄液;cerebrospinal fluid)に異常は無かったそうだ。これでBコース全ての予定が終了した。

 この頃、歯磨きをするとひどく歯茎(歯肉:gum;gingivae)が痛み、白くふやけた感じになってきている。イソジン(Isodine)で何度もうがい(gargle)する様にしたが、痛みは改善しない。ここ2~3日で急に口内炎(stomatitis)が起こった話を先生にすると、カビの可能性があると言われ、歯茎に塗る薬フロリードゲル(Florid oral gel)を処方された。また検査の為に咽頭スワブ(throat swab)をされる。今日は夕食後と就寝前にこのゲルでケアをする。この時、歯茎をしげしげ観察すると、右下の歯6番目の大臼歯(molar;dens molaris)の根元が一部、歯茎から覗き始めているのを見つけ、無茶苦茶ショックを受ける。歯はもつのだろうか? 抜けてしまうのではないだろうか? ひどく不安である。

【血液検査結果】6/16: 
WBC(白血球数) 1,400 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.8 [g/dl]、PLT(血小板数) 86,000 [/μl] 、CRP(炎症反応) 0.2 [mg/dl]

2007-07-03

2006-06-15 (木) Bコース(2回目) 06日目 

 手足指先の痺れは前日同様。脚のむくみも同様で、体重((body) weight)も減らず昨日と同じで、何となくだるく、ずっと寝て過ごす。昨夜から起こっている、変な胸苦しさ(大きなゲップが上がってくる様な感じの苦しさ)が朝食時に急に起こり、それと同時にムカつきが起こり、食欲無くなる。鼻をかむとちょっと出血傾向があり、歯磨き時、歯茎(歯肉:gum;gingivae)から血が少し出る。歯茎の具合も悪い。

 便通は普通に(むしろ軟らかめで)あったのだが、例の胸苦しさも再発した。肛門の内外に出血があり、軟膏(ointment)で内外ケアをしっかりしておくが、次第に痛みが増して来、やっと来てくれたナースにロキソニン(Loxonin)を貰い、昼前に一錠飲む。ナースの話によると、血液の患者さんが増え、次々と点滴があって忙しかったそうだ。

 痔(hemorrhoids;piles)の傾向がある事を話すと、TNB先生は、便通を良くする為にもう少し、カマグ(酸化マグネシウム:Magnesium Oxide)を増やして調節してみた方が良いでしょうと、アドヴァイスをくれ、KB先生に訊いた時は、骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)を前にした段階で、やはりしっかり治しておいた方が良いでしょう、と言われる。こちらはちょっとショックで、何とか避けたいとしか返事のしようが無かった。

  バクタ錠(Baktar)は今日昼から服用再開になる。24時間持続点滴は16時半に漸く終了し、久々に点滴の管から開放された。昨日の白血球(WBC;white blood cell)数はまだ十分あったので、人気の少ない非常階段で、6階から地下1階迄の階段昇降の自主リハビリ(rehabilitation)を、計2往復する。その他、5月分の入院費の支払いや、売店等に寄ったりして散歩する。

2006-06- 14(水) ロキソニンについて 

 朝の便秘(constipation;obstipation)による痔(hemorrhoids;piles)で耐えがたく肛門が痛くなってきた。体温は36.9度と平熱だったので、ナースに痛み止めを頼むと、持って来てくれたのはロキソニン(Loxonin)ではなくピリナジン0.4gだった。6月からピリナジン(Pyrinazin)の処方になっているという。前回全然効かなかったのでロキソニンにして貰った話をナースにすると、先生に話を通してくれ、しばらくするとYM研修医がロキソニンを持って説明しに来てくれた。

 それによると、今回のケモ(化学療法:chemotherapy)に使われている薬剤のうち、ロキソニンと相性が悪いものがある為、外していた(代わりにピリナジンにしていた)のだと言う。しかし、もう大方ケモも終了したので、TNB先生とも確認をとったが、ロキソニンを飲んでも大丈夫と言う事になった、というので、無事、希望通りのロキソニンを飲める事になった。肝心の、ケモのどの薬と相性が悪いのか、詳しく聞かなかったので分からなかったが、飲んで約3時間後には、痛みはほぼ全面的に治まった。

2007-07-02

2006-06- 14(水) Bコース(2回目) 05日目 

 手足指先のしびれ、前日と同様。脚のむくみも昨日とほぼ同じで、体重((body) weight)は400g減った位で、まだいつもよりは重い。本日より、体重計測は毎日測定から月・水・金のみで良くなるが、むくみが引かないので自主的に毎日計測を続けようと思う。今日も尿は十分に出ているので、心配する程ではないのだろうが。ちなみにこの夜中も2時間毎にトイレ通いに追われる。食欲は少し落ち、ごく少々ムカつく感じがする。

 昨日便通が無かったら、今日便秘(constipation;obstipation)便になってしまい、強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)でケアをするが、肛門内外がひどく痛み始め、耐えられなくなってきたので、ナースに頼んで痛み止めを貰う。15時にロキソニン(Loxonin)を飲んだのだが、3時間後位に痛みが治まる。就寝前のトイレでも便通ではなかったのだが、肛門付近に少々出血が見られた。血液検査では白血球(WBC;white blood cell)数は減少し始めているが、まだ5,800ある。今からこの調子なら、今回は白血球が最低になった時、また前みたいに大変苦しむ事になりそうで怖い。

 化学療法(chemotherapy)は6時間おきにあったロイコボリン(leucovorin)の全開点滴が今朝6時の分で終了する。14時に24時間持続点滴(ソルデム・メイロン(Soldem・Meylon))の交換があり、これが明日終われば、Bコースの点滴が全て終了となる。1日4回のフルメトロン点眼(Flumetholon)も今日で終了である。バクタ錠(Baktar)中止も今日迄で、明日からまた再開となる。

 夜、私特有と言われている、初回ルンバール(髄注:intrathecal injection)の時に起こった様な、変な胸苦しさ(大きなゲップが上がってきそうな感じの痛さ)が起こってしばらく続き、夜中も時々起こった。どういうタイミングでこの現象が再発するのか、よく分からない。

【血液検査結果】6/14: 
WBC(白血球数) 5,800 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.0 [g/dl]、PLT(血小板数) 136,000 [/μl] 、CRP(炎症反応) 0.0 [mg/dl]

2007-07-01

2006-06-13 (火) IVHカテーテルについて 

 6/10(土)のBコース初日の抗癌剤(anti-tumor agent)の点滴を繋ぎに来られた当直のMI先生に、この頃IVHカテーテル(中心静脈カテーテル:intravenous hyperalimentation catheter)のヘパリン(heparin)液等の通りが悪くなっていると言う話をした時、レントゲン(an X-ray)でどの様に入っているか見た事があるかと聞かれた。見ていないと答えると、気軽にそのレントゲンを探して病室まで持って来て、私のはどうなっているのかを見せて下さった。

 右鎖骨下のカテーテルが挿入されている所までは、自分の体外の事なので見えるのだが、体内でカテーテルの続きがどうなっているかは話を聞いて想像していただけである。レントゲン像ではIVHカテーテルが右鎖骨下から頭部方向に挿入されていて、それが大きくカーブして胸の中心やや右寄りに真っ直ぐおりていて、丁度大文字のJを逆さにした感じに見える。この先端は右心房(right atrium;atrium dextrum)の入り口に向けて挿入されているのだ。

 カテーテルは2本を1つに束ねて挿入されており、コネクターの茶色の1本(14GA、遠位distal:より心臓に近い所まで伸びている)は管の先端が開口しており、径の小さい白色のもう1本(18GA、近位proximal:茶色のカテーテルよりはちょっと短い)は先端ではなく管の側面に穴が開いており、点滴液は2種混合する事無く静脈血中に放出される仕組みだそうだ。この側面に開いている穴が血管壁に当たってしまっていると、穴を塞いだ形になっているのでヘパリンの通りも悪くなってしまう事があると言う話をして下さった。

 さて、現在、IVHカテーテルの白の(細い)方も茶色の(太い)方も、両方の管ともヘパリンや点滴の通りが悪い状態が続いている。点滴の量やスピード等は専用装置に点滴の管を通して機械的に流している事が多いので、少々カテーテルの流れが悪くなっても差し支えはないのだが、この事についてTNB先生は、治療はまだ半ばで、この様な状態のまま続ける場合もあるのだが、IVHの静脈に挿入されているカテーテルを一度新しいのに入れ替えた方が良いのではないかと考えている、と言われる。あんな辛い思いは嫌なので、何とかもたして下さいというが、先生曰く、新しいカテーテルを胸に押さえておく為にもう一度縫わなければならないが、挿入自体は現在入っているルートをそのまま使用するので、それほど大変ではない、と説明される。即ち、IVHを挿入し直す場合、静脈血内にワイヤーリードを現カテーテルに沿って右心房近くまで挿入してから、現カテーテルを抜く、次に新カテーテルをワイヤーリードに沿って挿入し、ワイヤーリードを抜く。最後に胸に出ているコネクター部分を皮膚に縫い付けて止める為、これが少々痛い、と言われるのである。恐らく手技的には初めて挿入する時(3/28参照)よりはルートが確保されているので簡単なのだろうが、どんな説明をされてもゾッとするばかりで、カテーテルが詰まらない限りは現状のままで続行して欲しいとひたすら願う。

2007-06-30

2006-06-13 (火) Bコース(2回目) 04日目 

 手足指先痺れ少々。肛門は少し尿が滲みる。まだ小さな傷が治ってない様だ。眼・喉・頭痛は無い。点滴や利尿剤(diuretic)の関係上、夜中から今朝にかけて6回もトイレに行ったりしていた為、寝不足である。脚のむくみはまだひかず、1日ひどくだるくてしんどい。体重((body) weight)はBコースが始まってから1.5kg以上も増加しており、昨日と比べても1kg以上の増加していたので、昨日の話通り、一般利尿剤のダイアモックス(Diamox)を追加で静注(intravenous injection)する事になる。効果覿面(てきめん)でむくみが取れるという訳ではなかったが。。。 今日こそ生理が始まったかと思ったのだが、また気配がなくなってしまった。例によってハッキリしない。

 昨日とほぼ同じ内容の点滴がある。1日4回のフルメトロン点眼(Flumetholon)。昼の採血はYM研修医で、今日も痛かった。 MTX(メソトレキセート:Methotrexate)血中濃度は今日も予定通りの値範囲でクリア(追加なし)。尿のアルカリ(alkaline)度も問題無しで、尿回数とのアルカリ度チェックは今日で終了となる。バクタ錠(Baktar)は服用中止中である。IVH(intravenous hyperalimentation)コネクター交換日(茶と白の両方)で、交換して貰う。

 日曜日にあった髄注(intrathecal injection、ルンバール)の結果、今回も髄液に、特に異常はなかった、との事で、安心する。

 母はYN先生に点滴をしてもらい、久々に気分が良かったらしい。この頃ずっと具合が悪かった様なので、例え数時間でも気分が良くなれてよかったと思う。何か特効薬でもあればよいのにと思うのだが。

【血液検査結果】6/13:
WBC(白血球数) 8,200 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.2 [g/dl]、PLT(血小板数) 150,000 [/μl]、IgA 53.8 [mg/dL]、IgG 408.0 [mg/dL]、IgM 46.7 [mg/dL]

2007-06-29

2006-06-12 (月) バクタ錠について 

 バクタ錠(Baktar)はカリニ肺炎(pneumocystis carinii pneumonia)を100%抑え、副作用もなく、しかも安価な良い薬だそうだ。先生から訊いたその他の説明を箇条書きしておく。

・ 副作用として白血球(WBC;white blood cell)減少、血小板(PLT:platelet)減少等があるので、骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)の最中は服用を中止するが、移植が完了すれば再開する。

・ MTX(メソトレキセート:Methotrexate)の点滴前後も中止する。

・ この薬は1ヶ月程中止しても本当は大丈夫な薬であるが、ステロイド(steroid)を投与した場合は、1~2週間を限度で再開した方が良いという(ステロイドがある時はバクタを飲むのだとか)。

・ 抗菌剤(antimicrobial agent;antibacterial agent)、防カビ剤(fungicide)。カリニ肺炎を抑える薬。

※その他、ブログ内の参考ページ『☆バクタ錠(Baktor)について

2006-06-12 (月) Bコース(2回目) 03日目 

 手足指先(第一関節まで)のしびれ少々。肛門は少々しみるので、もしかすると小さな傷があるのかもしれない。ムカつき少々。足は一日中むくんだ(swell;bloat)ままで、だるい。この件については、明日の体重((body) weight)が全体で1kg増加している様なら、利尿剤(diuretic)の点滴を追加してみよう、という事になる。マルク(Mark:骨髄穿刺;bone marrow puncture)とルンバール(髄注:intrathecal injection)後の絆創膏を交換するが、マルクの周りが少しかぶれかけているので、アズノール軟膏(Azunol Ointment)を塗布してケアする。バクタ錠(Baktar)は本日も服用中止中である。

 治療3日目は、キロサイド(Ara-C:Cylocide)の副作用(結膜炎conjunctivitis)予防に、1日4回のフルメトロン点眼(Flumetholon)が始まる(水曜日迄)。また午前の尿が酸性だったので、メイロン(Meylon)の点滴が追加された。12時のMTX(メソトレキセート:Methotrexate)血中濃度は今日も予定通りの値範囲でクリア(追加なし)。今日の抗癌剤(anti-tumor agent)はキロサイドの3時間点滴が11時と22時に2回ある。またMTXの解毒剤(中和剤)であるロイコボリン(leucovorin)の点滴が今夕18時からあさっての朝6時まで6時間おきにあるので、少しせわしなくなる。今日は計10の点滴があった。

 24時間持続点滴等に繋がれているので、階段昇降の自主リハビリ(rehabilitation)が出来ない。何か代わるものがないかと思い、今日は部屋で500歩ほど、足踏み運動を試みるが、足のむくみ解消にはならなかった。筋力維持にはなってくれていると信じたいのだが。

 ところで、私が治療メニュー等を細かくチェックしたり、色々記録している事について、夜の抗癌剤点滴を繋ぎに来られたTNB先生が急に語り出された。

 患者に渡す治療予定表は病院側も用意していて、ナースとの間で、ダブルチェックをして入るが、患者さん側も、私みたいにしっかりとチェックをして貰えると、ミスや思い違い等無いかが更にチェックされて、非常にこちら側としても助かっている、と言った旨の事を話された。今後は、骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)へ向けても、色々と薬等の勉強をされていくと大変良い、とも言われた。移植をする事を大前提に話されておられるので、私の病気を治す為に骨髄移植は避けられない治療と思わなければならなさそうで、辛い。

【血液検査結果】6/12:
WBC(白血球数) 7,900 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.2 [g/dl]、PLT(血小板数) 150,000 [/μl].

2007-06-28

2006-06-11 (日) Bコース(2回目) 02日目 MTXのルンバール

 今日は、ルンバール(Lumbal:腰椎穿刺)以外は尿回数とアルカリ(alkaline)チェック、24時間点滴交換くらいで、抗癌剤(anti-tumor agent)の点滴はない。バクタ錠(Baktar)は服用中止中である。軽い吐き気(nausea)の様なムカつきが1日続く。胃のあたりが気持ち悪い感じである。足は少しむくんでいて、だるい。

 午前中にYM研修医によるルンバールがTNB先生の立ち会いの下、病室のベッドで行なわれた。研修2年目のYM先生はルンバール経験20~30回だとかで、左右どちらを下にして寝た姿勢でも良いとの事だったので、今回初めて右を下にして横になり、その姿勢でして貰う。こうするとルンバールの後そのまま仰向けになって安静姿勢が取れる。先生によっては慣れとか癖があるのだろう、今まではいつも左を下にした姿勢で行なわれていた為、いつも枕の位置に足が来るので、施術後、仰向けになってから頭を上げない様にしてそろりと180度転回してから安静(rest)に入っていた。

 穿刺針は22の細い針を使ってくれる。今回のルンバールは麻酔(anesthesia)注射後、穿刺(paracentesis;puncture)して骨髄液(bone marrow aspirate)を抜かれる時、針の刺されているのとは反対側の背骨の右側に一瞬変な痛みが走ったがすぐ消えた。TNB先生は「足に痛みが走らないか」と訊いてこられたが、それはなく、全体に大して痛くなく終了した。今回は2時間程、枕を外して安静に寝ておく。

 血中MTX濃度測定の為の採血が12時にYM研修医によってある。結果、MTX(メソトレキセート:Methotrexate)血中濃度はクリア、WBC(white blood cell;白血球)は水曜日より減少してはいるが、まだ7,500とまだ十分ある。

 水曜日にあったマルク(Mark:骨髄穿刺;bone marrow puncture)の後の絆創膏を今日もナースに交換して貰う。もう漿液は出てはいなかったが、まだイソジン(Isodine)の消毒(disinfection)が少々滲みて、押さえると痛み、押さえなくてもじんわりと痛みが続いている。今回のマルクは非常に痛かったが、それに比例するかの如く、治りも遅いみたいだ。

【血液検査結果】6/11: WBC(白血球数) 7,500 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.8 [g/dl]、PLT(血小板数) 139,000 [/μl].

2007-06-27

2006-06-10 (土) Bコース(2回目) 01日目 

 手足指先のしびれは少々きつい状態のまま、じんじんする。頭痛や喉の痛みもないのだが、排便時の肛門痛がまだあるので、早く治しておきたい所である。舌先の一部も痛い。また、昨日23時半、今度こそ生理が始まったかと思ったが、また少し経血があっただけで終わった様であった。そして今日は15時頃、生理が始まったかと思うのだが、ハッキリしない? 一体どうなっているのだろうか? 

 化学療法(chemotherapy)のBコース(HDMTX/AraC)の2回目が本日9時過ぎより始まる。点滴の順番、方法は4月25日(Bコース1回目)と同様である。初日の今日は特に水分を多く採って尿を多く出す様に言われている。治療の度にある、毎回尿計測等がストレス(stress)で煩わしく大変な事から、前回のAコース(2回目)では尿の出が悪くなれば報告するので、という事で免除してもらったのだが、今回も蓄尿と尿計測はしなくて済み、尿回数チェックも治療4日目迄、また毎日の体重測定も5日目迄でと、必要最小限の日数で終了して良い事になった。尿のアルカリ(alkaline)度チェックは今夕から4日目迄、1日3回あり、これは治療上必要で外せないもので増えも減りもしないが、今回からpH6.5以下になったらメイロンを追加するという形(前回はpH7.0)に変更された。また、バクタ錠(Baktar)は治療上6/9から6/14迄中止である。

  初日は、計10の点滴があり、24時間点滴も始まったので、やはり疲れる。開始早々、IVH コネクター(intravenous hyperalimentation connector) (白の方)の液漏れに付き、コネクター交換があった。夜頃より少しムカつきが始まる(吐くほどではない)。それにしても、今日昼からの、抗癌剤(anti-tumor agent)のメソトレキセート(MTX:Methotrexate)の点滴をMI先生という、何時もとは違う先生が何やら非常に楽しそうに持ってこられたのが印象的であった。健常人にとってはまさに毒薬であろう抗癌剤をニコニコ笑顔で付けていくとは、なんてサディスティックな先生、と思う所だったが、余りにその天真爛漫な笑みにこちらもつい惹き込まれて、いつしか自分も微笑んでいた。

2007-06-26

2006-06-09 (金) Aコース(2回目) 22日目 帰院

 曇りのせいか、水曜日のマルク(Mark:骨髄穿刺;bone marrow puncture)が余りにも痛かったせいか、今日は1日何となくだるくしんどく、朝も夕方も寝て過ごす。明日から治療が始まるに当たって、バクタ錠(Baktar)は今日からしばし中止となっている。ロキソニンは1回服用する。 

 今日は3回も便通があり、全てしっかりとあった。家に帰るとどうしてこうもたくさん気持ちよく出てくれるのだろうか? 一方、母も5日ぶりに便通があり、便秘(constipation;obstipation)が久々に解消したと言って、朗らかな顔をしていた。とにかくお互い、便通があると、なんだか幸せな気分になるのも、面白いものだ。

 母は脳梗塞(cerebral infarction)になって以来、便秘傾向がきつくなっているが、排便(defecation;evacuation)も母にとっては大仕事の1つで、ひどく体力を消耗してしまうので、かわいそうだと思う。5日ぶり等と聞くと、かなり頑固になってきていると思うが、私がいると母もいつもよく食べて、今回の便通につながっているのならうれしいのだが。前の様に毎週末帰れなくなったので、せめて今の私に出来る事というか、野菜を一杯入れた具だくさんラーメンを作り昼食を一緒にする。 また、ケーキを食べたいとよく電話で話していたので、今回も病院から帰る折に買ってきたケーキで、昼下がりのコーヒータイムを過ごす。ヘルパーさん達にはとても良くして貰っていると聞いているのだが、来てくれる時間帯が決まっている為、こういう事がなかなか出来ないというのは無理ないだろう。こんなささやかな事でも母はとても喜んでくれる。私も嬉しい。

 そして今日も缶ビールで乾杯して色々おしゃべりや雑用をする。母は自分の机の横に置いた冷蔵庫の中のものすら出すのが大変になってきているのに、一人で頑張っている。早く病気を治して京都に戻って何とかしてあげたいと思うのだが。

  幼馴染のYちゃんに来て貰い、2リットルのお茶5本を運んで貰いつつ、病院まで送って貰い、21時半過ぎ、帰院。血圧112-60、36.7℃だった。マルクの所の絆創膏も替えて貰ったが、漿液(serum;serous fluid)か何かだろうか、まだ少しガーゼに滲んだ液が付いていた。今回外泊でも元気が出なかったのは、マルクの後遺症であろうか? 今回は未だにずぅーーん・・・と痛む。明日からBコース治療開始である。

2006-06-08 (木) Aコース(2回目) 21日目 2回目の外泊

 手足指先のしびれはきつく、服のボタンがかけ辛い事もある。第一関節に特に強く出ている。頭痛はない。喉奥が何となく痛く感じるのだが、これはしびれなのだろうか? 外泊中の夜に、月経(menstruation;menses)が始まったかと思ったが、また少し経血があっただけで終わる? なんだかおかしい。

 外泊許可(exeat;overnight)が出ているので、10時に病院を出、タクシーで帰宅する。次姉がわざわざ私の外泊に合わせて来てくれたので、二人でパスタの外食を楽しんでから、次回治療中に飲むお茶のペットボトル等の買いだめを手伝って貰う。

  帰宅すると両親が初めて仲人をしたというYS夫人がはるばる明石からお見舞いに来て下さったていた。母の見舞いのつもりで電話をかけて私の入院も知ったといういきさつなので、丁度外泊中の私の顔を見て安心したと言って下さる。母、次姉を交えて話している中で、私の治療は骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)をする事になるのかと訊かれ、次姉がHLA(骨髄の型;組織適合抗原:Human Leucocyte Antigen)一致のドナー(donor)になるという話になった時、次姉が私の発病以来ドナーカード(脳死時の臓器移植意思表示カード)を常に持ち歩いている、と私に見せてくれ、万が一の場合、どの臓器よりも先に骨髄を妹の為に採って下さいと言っているそうで、感謝の余り、涙が止まらなかった。

2007-06-25

2006-06-07 (水) Aコース(2回目) 20日目 マルク

 血圧105-71、37.0℃。 外泊中よく動き続けたせいで、太ももにミが入って痛い。手足指先のしびれは昨日頃から更にきつく、じんじんする位である。

 明け方に便意をもよおし、トイレへ行くと、大量にあった。帰宅して食べ過ぎたか? 体重も増えている。今朝から化療後食に戻っていたが、朝食後もまたしっかり便通があり、さすがに肛門が少々痛み出したので、強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)でケアをしっかりしておく。午前中にマルク(Mark:骨髄穿刺;bone marrow puncture)があると聞いていたので、その前にシャワーを浴びる。

 白血球(WBC;white blood cell)はまだ多過ぎる位の17,400あり(私の標準値は2,800-9,000)、十分に次の治療に進めるのだが、日程調整の為、今週の土曜日からBコースを開始したいとTNB先生。外泊許可(exeat;overnight)を貰う。それにしても、もっと早く予定を教えてくれればもう少しまとめて外泊が出来たかもしれないのに、そうすれば神戸の部屋も一度覗きに行けたかもしれないのにと、非常に残念で、もどかしい。何が起こるか分からない病気になってしまったので、もう少し片付けておきたいし、また探し物、欲しいものもあったのだが。

 今日はTNB先生に依るマルクで、YM研修医は見学だった。麻酔(anesthesia)はちゃんと効いた感じだったのだが、今回の、刺されて抜かれる時の痛み、とてもきつかった。先生曰く、今回の様に非常に白血球が多い状態だと骨髄(bone marrow)中の白血球も多く、この場合マルクで抜く時、白血球数に比例して痛みが増すのではないか、と言われるのである。ほんまにそうかいな?? ハッキリ言って、思いっきり痛かった! 通常、施術後数時間で大きな絆創膏から小さな絆創膏に変えて貰えるのだが、今回はまだ出血していた為、更に1時間押さえる事になった。

 夕刻マルクの結果を教えて貰った。フローサイトメトリー(flow cytometry)で白血病細胞(leukemia cell)は、今回は0%(見当たらなかった)という。やったぁ! と思わず声が出てしまった。先生の説明によると、非常に抗癌剤(anti-tumor agent)が良く効いているとの事。但し、私の場合、急性リンパ性白血病(acute lymphocytic leukemia;ALL)という性格上、白血病細胞が脳に出現してしまう事があるのを少し恐れている、との事。こちらのチェックはルンバール(髄注:intrathecal injection)時の髄液(脳脊髄液;cerebrospinal fluid)で検査しているそうだ。あんまり単純に喜んでばかりもいられないのか? 

【血液検査結果】6/07 WBC(白血球数) 17,400 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.8 [g/dl]、PLT(血小板数) 147,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 17.9 [プロミレン]、好中球数14,094[個]

2007-06-24

2006-06-06 (火) Aコース(2回目) 19日目 帰院

 手足指先しびれ(numbness)、かなりきつく、締まった感じ。今朝も昨晩に引き続き、家の中で何かの弾みにバランス(balance)を崩し、一回こけてしまう。何だか体力に自信がなくなってきた。久々に車を運転してみたが、こちらは大丈夫だった。色々用事を済ませたり、買い物をしてまわる。ロキソニン(Loxonin)は計2回飲む。

 今朝は、昔よく母が作ってくれた母直伝の茶粥を作り、母とお漬物などで久々に食べる。母は病気になる迄は、何十年も毎朝食べてきていたので、とても喜んでくれる(脳梗塞で運動機能がやられてからは、手軽に食べられるパン食にしている)。私も小さい時から朝は茶粥だったので、朝食に白飯は重過ぎて胃袋が受け付けない。K市に通学・通勤する様になってからは、朝はパン食、週末は京都で茶粥が多かった。病院では朝はパン食にしているので、久しぶりの茶粥はおいしかった。昼は生ラーメンを、自分用には味を濃い目にして作ってみたら、昨日と違い、おいしく感じられた。相当舌が塩分に対して鈍感になっているらしい。そして夜は筍等を頂く。

  21時半過ぎ、帰院。だんだんと帰る時刻が消灯間際になってきた。22時の血圧95-51、36.6℃。家では雑用で何回も階段を上り下りしたせいか、太ももにミが入り、指先のしびれも増した。便通は非常に良く、昨日は2回、今日も1回しっかりとあった。帰宅すると病院よりたくさん食べているのだろうか、それとも病院よりは良く動くから腸も動いて快便につながるのであろうか?

2007-06-23

2006-06-05 (月) Aコース(2回目) 18日目 外泊

 血圧90-54、脈拍60、36.6℃。
 手足指先のしびれは少々きついままで、舌先も少し痺れている。あれほどきつかった肛門(anus)痛も今朝は嘘の様に激減してやわらいでいる。もしかすると、もう白血球(WBC;white blood cell)が増えているのかもしれない。朝食後、新研修医のYM研修医が挨拶に来てくれる。小柄で可愛らしい先生だが、やはり緊張して殆んど話は出来ず。その後、回診(round)に来られたTNB先生には白血球が増えている様な気がするという話をする。

 しばらく経ってTNB先生が今度はYM研修医を伴なって血液検査結果を持って来られた。すると白血球が23,000と増え過ぎな程に急増していた為(基準値:2,800-9,000)、ノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)は、今日は中止、即ち昨日迄の計6回で終了となり、PLT(platelet:血小板)も基準値まで十分に増え、その他の値も良いので、もう次の治療に進めると、TNB先生は説明された。次に進む目安は白血球が2,500-3,000、PLTは8-10万という事だったので、今回は十分過ぎる位、増えている。

 外泊許可(exeat;overnight)が出たのは言うまでもないが、まさかこんな勢いで白血球が増えるとは思ってもいなかったので、外泊の準備など何も用意していなかった。取り敢えず昼までのシャワーに間に合いそうだったので予約をお願いして浴びた後、慌ただしく荷物をまとめ、外泊分の薬も用意して、許可証が来るのを待ってから病院を出た。昼も遅くなっていたので、タクシーで旨いラーメン屋さんに立ち寄り、久々のラーメンを食べる。が、またしても味覚異常の為か、塩分がもう少し欲しい感じがし、味自体もぼやけて物足りない味がした。せっかくのラーメンだったのに少し残念である。

 帰宅後、また気分転換に庭仕事を少しだけし(勿論その後の手洗い等は念入りにしたのは言うまでもないが)、母がかつて育てていた、そして今年も一杯咲いた蘭(orchid)の花を切り、綺麗に活けて母の部屋に持って行く。昨夜、電話で口喧嘩をしてしまった手前、いきなり顔を合わせるのが何だかバツが悪いというのもあった。母は突然の外泊許可をとても喜んでくれ、また2人、缶ビール等で無事2度目のAコースを終えた祝いの乾杯をする。

 病院から持ち帰った、たまった洗濯物をしたり、片付けをしたり、食事をしたり、一泊しか貰えなかったので、結構忙しく過ごすが、夜一回だけ何故かバランス(balance)を崩し、廊下でこけてしまった。住み慣れた家でいつもの通り、パタパタと階段を駆け下り、廊下を曲がっただけだったのに、ちょっとショックである。怪我も捻挫(sprain;distorsion)もしなかったが、こんなこけ方をした事は今迄無かった。筋力が弱ってきているせいだろうか?

 今日は帰宅してからロキソニン(Loxonin)を計2回飲む。

【血液検査結】WBC(白血球数) 23,000 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.5 [g/dl]、PLT(血小板数) 126,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 6.3 [プロミレン]、CRP(炎症反応) 0.4 [mg/dl]、好中球数13,570[個]

2007-06-22

2006-06-04 (日) Aコース(2回目) 17日目 

 血圧90-51、脈拍55、36.6℃。手足指先のしびれは少々きつい状態が続く。肛門(anus)はひどく痛むので、朝一番でナースに頼みロキソニン(Loxonin)を飲む事にする。1日3回までと言われたので、今日は計3回飲む。とにかく痛い。普通の固さの、何の問題もない便なのに、白血球(WBC;white blood cell)が底値になると傷付けてしまった肛門が腫れ上がり、気が遠くなる程の排便(defecation;evacuation)痛があり、涙がにじむ。また丁寧に強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)で内外をケアするが、ロキソニンが効いてくると、大分マシになってくる。

 今日は昼食後の痛み止めがかなり効いている時に、足浴をしてもらった。思いっきり足裏の垢を落とし、ついでに手足の爪切りもした後、恒例のホットタオルでの体清拭をし、何となく気分がスッキリする。

 今日もノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射だけで、他に治療はない。入院70日目である。

 KN先生が、一応今日で血液腫瘍科の私の担当が最後である、という挨拶に来てくれる。何だかまた心細くなって涙が出そうになる。

  夜、母から電話を貰うが、話しているうちにまた口論(口喧嘩)してしまう。高齢の母を困らせ悲しませ、我がままばかりの馬鹿な娘である。反省一杯、お詫びのメールを母に送る。自己嫌悪。。。

2007-06-21

2006-06-03 (土) Aコース(2回目) 16日目 

 今朝は指先第一関節しびれが今朝は少し締まった感じできつい。肛門(anus)、常時痛くなってきて、排尿(micturition)でも痛み、大変に腫れてきている。ウォッシュレットと強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)でトイレの度に手当てをする様にする。

 エアロバイクは、肛門痛が強くなり痔の腫れた所にサドルが当たる為に中止する事にした。エアロバイクを始めてから、初回の髄注(intrathecal injection、ルンバール)時以降にしばしば起こった変な胸の痛み(私特有と言われた奇妙な痛み)が時々起こる様になった気がするので、肛門痛が治っても、この運動は再開しない方が良いかもしれない。

 今朝も研修医のKN先生、TNB先生、と回診(round)に来られた後、改めてTNB先生とKN先生が次の新しい研修医のYM先生と共に一緒に来られ、紹介される。小柄な女性の先生である。緊張してしまい、殆んど言葉も声も出せずに見ているだけだった。緊張しぃーの性格も何とかせねば。

 今日は5回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射のみで、あとは白血球(WBC;white blood cell)が増えるのをひたすら待つのみ、と言った状況だ。

 夕刻になると、指のしびれも増し、足もしびれている感じがする様になった。肛門痛もかなりきつく耐えられない(普通に座ってもいられない)位になってきたので、KN先生にロキソニン(Loxonin)を痛み止めに飲んでも良いかを訊くと、痛いのを我慢するよりは、飲んで楽になる方が良いかもと許可を得ていたので、20時半、手持ちのロキソニンを飲む事にした。

 今日は母が個人で雇っているヘルパーHさんが来てくれる。お願いしていた差し入れの筍の炊いたんを夜頂くが、とてもおいしかった。そしてみかん。コタツで食べる様な、あのみかん(自分で皮をむいて食べるみかん)は白血球数が底値の時も食べても良いと許可が出ているフレッシュな果物だ。加熱食ばかりなので、これがとてもおいしい。

2006-06-02 (金) 納得したくない研修医制度

 KN研修医は6/4(日)で担当を終え、来週月曜日からはYM先生(研修2年目の女医)が新しく私の担当に付くという。前回(5/26)、KN先生に次も研修医がくるのかどうかを聞くと、今年は5人程の研修医で多分、誰も付かないだろう、といった事をKN先生は言っておられたのに。。。

 私は、新しく研修医が付く件と、またマルク(骨髄穿刺;bone marrow puncture)やルンバール(髄注:intrathecal injection)等、慣れた人にして貰いたいのに、新しい研修医にして貰わなければならなくなる事への不満・不安を、ついKN先生に伝える。KN先生は前の病院でマルク等の経験は既にあったそうだ。「次の研修医の先生も経験はあると思うのだが、確かめておいてみる」と言ってくれた。経験はあるに越した事は無いのだが、今の私には慰めにもならない。ただ、私を安心させ様としてくれているのはわかった。

 どんなお医者さんでも、経験を積まなければ手技も上達しないのは分かる。でもたった2ヶ月で、恐らく手技や治療についても慣れ始めた位の頃で次の科へ移るとは、納得いかないし、納得したくない! 患者にとっては、また初心者の先生に変わってしまうという事になるではないか? 色んな経験をする為に多くの科をまわって修業しているのだと判ってはいるのだが、解かってはいるのだが、施術を受ける側としては、とても怖くて辛い。患者は研修医を選べない!! 最近は余り考えなくなっていたのだが、研修医の件に限らず、入院してしばらく頭から離れなかった言葉がある。『またモルだよ。モルにされるよーー・・・』

 夜回診に来られたTNB先生の口からも、来週から新しい研修医が付くという話をされた。私が、今後も2ヵ月毎に新しい研修医が来るのかと訊くと、大学病院の性格上、ご協力を願うしかない、と今後も何人か研修医が変わっていくという事を暗に示された。指導はTNB先生がするし、無理な人にはルンバールやマルク等はさせないのでご協力を、という事であった。頭ではわかっている、実技(練習)をしなければやり方もわからないし、上達もしないだろうという事は。。。 患者は術者を選びたくても選べない。。。

参照:『2006-05-26 (金) 中間医と研修医

2007-06-20

2006-06-02 (金) Aコース(2回目) 15日目 

 採血結果、白血球(WBC;white blood cell)数が今日も測定不能なので、恐らく今日あたりが底値なのだという。月曜日はもしかしたら白血球が増えてくるかもしれないとの事だった。白血球は、元気な骨髄(bone marrow)程、また年齢の若い人程、早く立ち上がるそうである。網赤血球数(reticulocyte)値が2.4と更に下がって低いのは、骨髄抑制がかかっているかもしれないとの事。血小板(PLT:platelet)も減ってきているので、日曜か月曜日に輸血(blood transfusion)する事になるかもしれない、との事だ。ノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射はいつも通りある。

 エアロバイクを今日も午前中に30分程軽めのメニューで漕いでみる。ただ、エアロバイクを始めてから、入院後一番初めに受けた髄注(intrathecal injection、ルンバール)時以降にしばしば起こった胸の痛みと似た奇妙な痛み(私特有と言われた痛み)が時々起こる様になった気がする。

 肛門(anus)付近は、今朝は少し痛くなってきたと思っていたら、夜頃からかなり痛くなってきて、排尿(micturition)時も痛むのでウォッシュレットと強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)でトイレの度に手当てをする様にする。

【血液検査結果】WBC(白血球数) 100未満 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.2 [g/dl]、PLT(血小板数) 49,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 2.4 [プロミレン]

2007-06-19

2006-06-01 (木) Aコース(2回目) 14日目 

 指先しびれ第1関節位で、今日はそんなにきつくない。のどの痛みや頭痛はない。肛門はややむず痒い感じ。

 今日の予定は最後のデカドロン(Decadron)の点滴があり、これでAコースの全ての点滴が終了する。ノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射はいつも通りある。それ以外の空き時間に、フロアにあるエアロバイクを今日は10分間を計3回使って、運動をしてみる。そんなにきついメニューではなかったと思うのだが、右耳がボゥーっとして、指のしびれが少しきつくなった。

 今日はAコース14日目で、このあたりが白血球(WBC;white blood cell)の値が底になり、来週水曜日あたりから上手くいけば値が上がってくるので、その間、感染(infection)に注意する様にとKB先生から言われる。

 月経(menses)が前回はっきり終わらず、5/29にいつもより1週間も早く始まったかと思ったのだが、ハッキリしない。月経ではなかったのかもしれない。何だかおかしい。

2007-06-18

2006-05月31日 母との電話

 今日、母との電話で、病気が治ったら母の住む実家に帰っておいでと言われる。突然の事だったが、非常に嬉しく、涙が出た。

 母が私の入院以降、急に家の水周りの大改造に着手し始めたのは日々の電話で知っており、この前の外泊・外出時にも少しその話を聞いていたのだが、今日は2階シャワールームのシャワー等がガスで浴びられる様になったという。我が家は昔からボイラー室があり、灯油によるセントラル・ヒーティング(暖房)と給湯になっていた。そのボイラーは老朽化していることもあり、この際使用を中止し、1階の風呂場や台所等も順次簡便なガス給湯に切り替えていくという。そんな話をしている中で、母は、「K都に戻り、K都で職を見つけて」と電話で言ってくれたのである。

 私は入院する以前から、(母が非常に気にするので『母の為にも』という言葉は出さなかったが)近い未来、いずれK都で職を探し直し、母とずっと一緒に暮らそうと思っているという事、そういうチャンスが来る(職が見つかる)可能性があると見込んでいるという話をしていた。一方で、大学院で受けていた奨学金を去年繰り上げ全額返済し、K市の住まい購入の為の借金(母から借りて毎年返済していた)も、繰り上げて全額返済出来る見通しが付き、今年前半には返せるので全ての借金が返済完了すると母に報告していた。それに加え、母が病気で倒れて後に大学院中退で就職した職場も5年契約をこの3月で終える所だったが、2月に無事契約更新(延長)出来たという、うれしい事情もあり(母も安心したのか)、今年になってからは私が京都に戻ってくるのも良いという事を母も言う様になっていた。

 母は昨年末の平日、夜にトイレで転んで肋骨を折ってしまい(rib fracture)、翌朝まで動けず、入院した経緯があり、体力的にも更に弱ってきてしまっていたし、今年の正月は、母はまだ凄く痛そうで、ベッドから体を起こすだけでも一苦労で、全身激痛が走って辛いのがありありとみてとれた。母はいつも、これ以上私の負担になるのを嫌い、ヘルパーさん等を頼み、平日は自力で頑張ってきている。そんな母の性格上、正月明けは昼・夕とヘルパーさんが来てくれるので、私はいつも通りK市の職場に行って金曜日はいつもより更に早めに戻った方が良いか、年休を使って1月9日(月・祝)まで休んで一緒にいた方が良いか悩んでいた。すると、正月早々母が私の予定を聞いてくるので、母の意向を聞くと、凄く傍にいて欲しい、という旨を言う。こんなに気弱な母を見た事が無く、年休を取って9日までいる事にすると言うと、悪いね、ありがとうと、あの気丈な母が涙を浮かべつつ感謝してくれるので、非常に戸惑ったが、素直に私を頼りにしてくれて嬉しかった。

 思えば、独立して実家を出よと言われ、電車で2時間ほど離れた隣県(イメージ的には隣隣県、通学、通勤には実家から2時間半かかる)K市に移ってはいたのだが、そこの環境は自分が小さい頃から育ってきたK都と違って緑も少ない等、なかなか馴染めなかった。慣れる為にも、もう週末はK都には帰らないで色々遊ぶからねと母に言い、「それで良い」と母は満足していた矢先に、母は脳梗塞(cerebral infarction)を起こし、身体機能がおかしくなってしまった。姉が2人いるが、まだ子供も小さいとか、K都から遠い所に住んでいるとかがあり、結局一人身で、まだ大学院生で学生をしていた私が毎週末、実家に戻って色々と母の手助けをする事となり、K市の部屋は朝食と遅い夕食、眠る場所になってしまっていた。

 ひたすら母が回復すると信じて、色々病気に良いと思われる事をしたりしていたのだが、多発性脳梗塞と診断され、小さな梗塞が何度も起こるのだろう、徐々に運動機能が悪くなり、レベルも要支援から始まり、平成16年9月からは要介護3になっていた。そして昨年末の転倒事故である。いずれ実家に帰って来ようと思っていたが、そんな経緯から、もっと早く職をこちらで探した方が良いかもしれないと思い始めていた。

 しかし突然の白血病(leukemia)の発病でそれどころで無くなり、休職する事になってしまった。幸い職場のボスが入院中も契約更新をしてくれると言って下さったおかげで、健康保険から補助が出るに始まって、入院費も大変助かる事が分かった。そんなこんながあったので、早く実家のあるこの都市で職を探そうと思っていたが、お礼奉公で病気が治ってもしばらくはボスの所で働き、恩返しをしたいと母に話していた(その為、母には言わなかったが、母の具合によっては、いずれ実家からの通勤になるとも考えていた)。

 そんな気持ちがある一方で、普段は考えない様にしているが、心の奥底で、もしこの病気が治らなかったら、このまま最悪の事態になったら、という不安が付き纏う。そんな時、戻る所は職場のあるK市ではなく、K都の母のいる実家に戻りたいと願っている。そういう話はしたつもりはないのだが、母親の直感で感じたのだろうか、家に帰っておいでと電話で言うのである。急に光が見えるというか、病気が治るかもしれない、という思いの方がまた湧き始め、嬉しくてメールでも『治療の励みにする、また一緒に旅行をしよう』と返事を出すと、母から更に、○×△の家に一日も早く戻っておいで、と返信メールが届く。K都に戻れるのが嬉しい、戻れる場所が出来たのが嬉しい。訳もなく嬉しい。早く病気を治したい。

  元気付けられた母からの携帯メール:【お便り有難う。○×△の家に一日も早く戻っておいで。あなたの発病以来 私は考えを変えました。この家を 後20年以上 あまりお金をかけず残す方法を・・帰って来なさい。皆で 有効に利用しましょう。また旅行しましょうね。私にとっては夢のまた夢? ではまた 母

2007-06-17

2006-05-31 (水) Aコース(2回目) 13日目 

 今朝4時半頃、何か『ヤバイ!』という状況を覚えて急に目が醒めたが、その内容を忘れてしまった。何なのだろうか? この他にも一晩中小まめに目醒めてしまい、よく眠れなかった。これもステロイド(steroid)の影響?? 

 指先のしびれ少々。のど痛と頭痛はなく、ある意味、快調かもしれない。但し、月曜にいつもよりひどく早く月経(menses)が始まったかと思ったのだが、違ったのかもしれない。今日、また経血らしき血が観察される。

 今日の予定は3回目のデカドロン(Decadron)の点滴と、ノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射である。それ以外の空き時間に、フロアにあるエアロバイクを今日も10分程軽く使ってみる。

 今日は久しぶりに院長先生の回診(round)があったが、この治療コースが辛いかを聞かれた。入院当初に受けたAコースが大変だったので、今回2度目のAコースをかなり恐れていたのだが、今の所大丈夫なので安心していると答える。先生はその事はとてもよいと言って下さった後に、個人差もあるので、毎回同じ様な反応を示すとは限らない話をされた。毎回気を引き締めて治療に臨まなければならないと言うだろう、少し緊張した。

 採血結果は、白血球(WBC;white blood cell)はついに測定不能の底値になったので、もう6階フロアのみに行動が制限された。HGB(hemoglobin;ヘモグロビン)は昨日の輸血(blood transfusion)のおかげで増えている。先生の話では私は輸血をすると、血球の壊される速度(寿命)が比較的長いらしく、HGBでも血小板(PLT:platelet)でも長持ちする方なのだとか。

 夜、便通(bowel movement)あるが、肛門(anus)付近に出血少々あり、後、ケアをしようとして失敗して爪で肛門を傷付けてしまった。白血球が底値になって感染(infection)に注意しなければならない大切な時期に大変なミスをしてしまった。ウォッシュレット洗浄と強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)で丁寧にケアをする。ひどくならなければ良いが。

【血液検査結果】5/31WBC(白血球数) 100未満 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.3 [g/dl]、PLT(血小板数) 69,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 4.1 [プロミレン]、CRP(炎症反応) 0.0 [mg/dl]

2007-06-16

2006-05-30 (火) Aコース(2回目) 12日目 ノイトロジン注射開始

 指先の痺れはそんなにきつくはなく第一関節の半分位か。但し、最近、手のひら全体にぼんやりとした痺れがずっと続いている。

 白血球(WBC;white blood cell)が少なくなってきたので、自主リハビリ(rehabilitation)に使っていた非常階段は、次回白血球が増えてくるまで使えない。そして病室と病棟フロア以外は出歩かない様にしなければならない。ところで病棟フロアに『エアロバイク』という健康器具が置いてあり、自転車の様にこぐと消費カロリーや運動量を計算してくれるという物である。階段昇降に代わる運動を模索していたので、先生に筋力維持の為のトレーニングにエアロバイクをしてみても良いかを訊いてみた。すると無理をしなければ大丈夫との許可が出たので、先ずは試しに10分程使用してみる。これで脚力が維持されるか、アップするなら良い運動になると思っている。

 昼から2回目のステロイド(steroid)のデカドロン(Decadron)の点滴が1時間かけてあった。また、15時から白血球を増やすノイトロジンの皮下注射(subcutaneous injection)が開始された。

 赤血球輸血(blood transfusion)は太い管の茶色のIVHカテーテル(中心静脈カテーテル、intravenous hyperalimentation catheter)からされたのだが、今回の赤血球(RBC:red blood cell)は何故か管の内側に血のりのようなものがベタベタくっ付き、点滴終了後に通すヘパリン(heparin)一本だけでは、管内がきれいにならず、ナースが管内の血のりを揉みほぐす様にしてから、もう一本ヘパリンを通してくれた。それでもまだ血のりがくっ付いているのが見えるので、自分で丁寧に揉みほぐし、夜の検温時、ナースに頼んでもう一本ヘパリンを通して貰った。IVHカテーテル挿入(3/28)は非常に怖く辛い思いをしたので、管が詰まって、挿入し直し等という事態は絶対避けたい。胸から外へ出ているカテーテル(管)に付いた分はきれいにしたが、当然胸の中に入っている管の中も同様の事が起こっていると想像が出来る。ここは触る事が出来ない為、ひどくもどかしい。

 次姉の息子、無事退院したとメールが来る。本当に良かった。一時はどうなるかと思ったが、元気らしく安心した。退院おめでとうメールを送る。

  夜中、何度も目覚め、よく眠れず。ステロイドの影響か?

2007-06-15

2006-05-29 (月) Aコース(2回目) 11日目 

 指のしびれなど、5/26以降同様。朝食より加熱食になる。夜中に便通(bowel movement)があるが、今回は痛みも殆んどなく出血もしなかった。ケアはしっかりしておく。採血は、今回は失敗されて、結局腕を変えての採血となった。入院以来、定期的な採血とかはずっと左腕から採って貰っていたのだが、最近は腕を縛ってもあんまり血管が浮き出てこなくなってきていたし、毎回刺されている所も何となく錆びた針でも刺されている様なザリッとした感じで痛くなってきていた。針を刺されるのを嫌がってしまっているのか、もうそろそろ血管が疲労限度にきていたのかもしれない。

 信じられないというか、あり得ないというか、前回からまだ3週間しか経っていないのに月経(menstruation;menses)が始まった気配だ(※以降、水曜日まで全く経血なし。勘違いだったのか?)。

 昼前にAコース治療後半のオンコビン(Oncovin)の静注後、ステロイド(steroid)のデカドロン(Decadron)の点滴が1時間かけてある。デカドロンは今日を含めて4日間続けられる。

 白血球(WBC;white blood cell)はステロイド点滴の影響で、3~4日は一時的に白血球が増加する可能性があるという。また、十分に白血球数が減ったので、明日よりノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射を開始すると、TNB先生。確かノイトロジンはオンコビンの投与前後を避けるのではなかったかと訊くと、静注後24時間以上経てば(空けば)良いだろう、との事だ。

 自主リハビリ(rehabilitation)の階段昇降6階分往復を朝・昼・夕と計3回するが、WBCが減ってしまったので、もう明日からは、いくら人通りの少ない非常階段とはいえ、しばらく控える、というか、しばし階段昇降の自主リハビリは出来なくなる。白血球数が減少した時に、個室でも出来る、何か筋力を鍛える(というか、衰えない様にする)リハビリを考えた方が良いかもしれない。

【血液検査結果】5/29WBC(白血球数) 200 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.3 [g/dl]、PLT(血小板数) 97,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 3.4 [プロミレン]、CRP(炎症反応) 0.1 [mg/dl] 、好中球数116 [個]

2007-06-14

2006-05-28 (日) Aコース(2回目) 10日目 

 昨日、自主リハビリ(rehabilitation)を頑張り過ぎたか、6階分の階段昇降を3往復に増やしたら、ひどくふくらはぎにミがいって非常に痛い。普通に歩くのも苦痛なくらい大変なミのいり様だ。シップをべたべた貼って、今日も朝・昼・夕と往復する。これで少しでも足の弱ってしまった筋力が回復出来れば良いなぁと思っている。また、オンコビン(Oncovin)による便秘(constipation;obstipation)に備えて、カマグを1日3回から4回へ増やして服用する事にする。本日便通(bowel movement)なし。ちょっと不安。

  個室に移動してから、良くクッキーや飴等の間食をする様になった。くつろげる時間が増えた、という感じか。母とも長電話をするが、同室の人を気にする必要がなくなった事に加え、部屋に電話が付いている事から、メールではなく電話を良くかけてきてくれる様になった。母は戦時中のN女時代の壮絶な6人部屋(寮)生活の話を久々にしてくれた。病気で入院していた経験もあり、とにかく個室が良いと、私が個室に入った事も凄く喜んでくれている。

2007-06-13

2006-05-27 (土) Aコース(2回目) 09日目 脱毛始まる。

 指先のしびれ相変わらず。その他も昨日同様。便通(bowel movement)は正常にあったが、傷はまだ治っていないらしく血が少々チリ紙に付く。今日も丁寧にケアする。自主リハビリ(rehabilitation)の階段昇降6階分往復を、今日は朝・昼・夕と合計3回挑戦してみる。

 昨日許可が出たのでシャワーを浴びる。Aコース(2回目)での脱毛(alopecia)が始まった様だ。いつもより抜け毛の量が急に多くなったので、そうだと分かる。その度に毛髪は減っていくのだが、やはり完全に抜け切らずに頑張って残っている毛があるので、こうして毎回脱毛が始まっているのが分かる。頭髪、眉、まつ毛まで、随分と薄くまばらになってきた。眉やまつ毛が無くなってくると、こうも貧相な怖い感じの顔になってしまうのかと思うと、いくら「また生えてきます」と言われても、気が滅入る。

 母のヘルパーHさんが、お見舞いに来てくれた。彼女に編んで貰った2つ目に毛糸の帽子に少しアレンジを加えて貰い、ちょっと見た目では、髪の毛が生えている様に見える飾りをつけてもらう。余りに良く出来たので、先ほど滅入っていた気分も少し良くなる。

 昨日から次姉と連絡付かず心配していると、ようやく入院した息子は無事で熱も下がったとメールが届き、ホッとする。また、海外出張した長姉から国際携帯電話がかかる。テストを兼ねてかけてきてくれたのだが、まるで隣の病室からかけてきているのではないかと錯覚する位、日本国内からかけるよりよっぽどクリアな声が聞こえてきてビックリした。一体どうなっているのだろうか?