2007-08-30

2006-07-21 (金) 外出、母の異変

 WBC(white blood cell;白血球)が増えて外泊許可(exeat;overnight)が取れる状態であるが、肛門等の痛みは激痛ではなくなったとはいえ、まだまだ大変痛い為、今日は少しだけ用事を済ませ、すぐ病院へ戻るつもりで外出許可を取った。その為、変に気を遣わせてもいけないと思い、家の母へは電話連絡をしなかった。

 14時半にタクシーで病院を出、振込みや小物の買い物等、雑用を済ませ、時間にまだ余裕があったので、ちょっとだけ家に立ち寄ってみた。

 帰宅後、何度か軽く声をかけたが、母はグッスリ(多分ぐったり?) 寝ていて起きないので、後片付け等をして起きるのを待つ。やっと目覚め、こちらを向いた母を見て、ちょっとギョッとした。前回外泊時は、10kgは痩せたのではないだろうかという程の激ヤセで驚いたのだが、今回はそれどころではなかった。顔の形が変わってしまう位に痩せているではないか? 「おかあさん、30kgあるの?」と思わず聞いてみた程だ。

 泣けてきた・・・

 もう自分でカーテンの開け閉めも危なくて出来ないので、ベランダのある日当たりのいい南側の窓は常に雨戸を半分閉め、カーテンも午後の太陽の光が眼を射って痛いと言う母の希望で、殆んど締め切った状態の薄暗い部屋になってしまっている。ヘルパーさんがいてくれる時間は光を入れてくれているらしいが、せいぜい2時間弱である。24時間ヘルパーさんがいてくれるわけでないので、夜に閉めてもらう事も考えるとこれが最善の選択だと母は言う。昼寝の時はアイマスクを利用する等して、もう少し部屋に太陽光線を入れて陽に当たらないと骨粗鬆症(osteoporosis)が進むよ、というのが精一杯であった。母もそんな事くらい百も承知の上の選択である。

 夕刻来たヘルパーのSNさんの話によると、ここ4、5日朝食も食べていない(食べられない)、水分もよく飲めない日が続き、食も細っているそうである。5月かそれ以前にこじらせた風邪が治らず、ずっと咳き込んでいるのも心配な要因という。何故今回のこの異変をもっと早く知らせてくれなかったのかとは、いつもとても良くして下さっているヘルパーさんには言えなかった。それ程あっという間に痩せてしまったのだろう。

 とにかく何か食べさせなければと思い、夕刻帰院後、先生に母の異常を話し、出来るだけ母の為に食事を作ってあげたいので、出来るだけ外泊・外出させて下さい、とお願いする。

 尋常じゃない母の痩せ方に、何とかしてあげたいと思うが、治療中の今の私には外泊が限度。日々の電話のやり取りで、次の外泊時にはうまいトリ雑炊が食べたいと母が言っていたので、美味い雑炊を作って一緒に食べようと思う。その他、消化に良さそうなもので、母の食べたそうな物も作ってあげたい。母の好物の料理も可能な限り作り置きしておきたい。つい5日程前の日曜日に次姉が作ってくれたジンギスカンを大満足で食べたと聞いていたので、まさかこんなにゲッソリとやつれ果てているとは夢にも思わなかった。

 ただ、ひとつ非常に不安な事は、私がMRSA陽性の保菌者と言われたので、弱りきった今の母に万が一、移してしまったら命取りになるではないかと言う事である。その点も十分に気を付けたいと思う。痛みもあるのだが、気が立ってしまってなかなか眠れない。

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