2007-05-31

2006-05-14 (日) Bコース(1回目)20日目 

 血圧103-69、脈拍50、36.6℃。脈拍(pulse)がこんなに遅いのは私の中では記録的である。昼(84-54)、夜(86-39)と、ここしばらく血圧(blood pressure)が低めである。

 指先のしびれと腰痛(lumbago;backache)少々あり。また今日は眼が非常に疲れていて、時に頭痛(headache)がひどくするので、大半寝て過ごす。

 ペントシリン(Pentcillin)&タゾシン(Tazocin)の点滴は9時、15時半、21時の3回、硫酸アミカシン(Amikacin Sulfate)の点滴は16時半にあり、これは今日で終了になる。

  TNB先生が、次の治療に移る目安は白血球(WBC;white blood cell)が2,500~3,000以上、血小板(PLT:platelet)が8~10万以上に増えた時である、と言われた。前回のAコースではなかなか白血球数が期待する値まで上がって来なかったが、今回のBコースは金曜日1,200にまで増えていたのでうまく行きそうな気がする。

2007-05-30

2006-05-13 (土)  骨髄移植について

 KB先生は私にHLA(骨髄の型;組織適合抗原:Human Leucocyte Antigen)の一致した姉がいなければ、骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)をすぐに勧めたかどうかは検討したと言われた。移植以外の治療を考えるという事なのだろうか?

2006-05-13 (土) Bコース(1回目)19日目 

 血圧102-72、脈拍54、36.1℃。午後は80-56と今日も低めの血圧(blood pressure)であった。指先のしびれ少々、腰など少しだるい他は特に何も無し。また、TNB先生にBコースになってから体重((body) weight)を毎日測る事になったが、一体いつまで続くのかを訊くと、Bコースの抗癌剤(anti-tumor agent)の点滴がある間だけで良かったらしい。という訳で体重毎日計測は今日で終了、来週から月・水・金の週3回に戻る事になる。

 昨日WBC(white blood cell;白血球)が増えた為、シャワー許可が出た。久々に気持ちよかった。

 KB先生は私にHLA(骨髄の型;組織適合抗原:Human Leucocyte Antigen)の一致した姉がいなければ、移植をすぐに勧めたかどうかは検討したと言われた。

 いつもの様にペントシリン(Pentcillin)&タゾシン(Tazocin)の点滴は9時、15時半、21時の3回、硫酸アミカシン(Amikacin Sulfate)の点滴は16時半に一回あった。

 夕食より『加熱食』というのから『化療後食』に戻った。明日朝から、また果物やサラダが出てくる様になると思うと、少し嬉しい。

2007-05-29

2006-05-12 (金) Bコース(1回目)18日目 

 血圧87-53、脈拍67、36.8℃。まだ血圧(blood pressure)は低めである。指先のしびれはいつもの通り、眼の周りが痛く、腰痛(lumbago;backache)も少々あり。

 本日の採血で白血球(WBC;white blood cell)はようやく底値から脱出し、1,200個と急増していたが、CRP値がまだ高いので週末の外泊許可(exeat;overnight)は出なかった。但し白血球が増えてきたので、炎症(inflammation)も早く治まるだろう、との事。来週には次の治療コースに入れそうと先生に言われた為、その前に是非外泊がしたいとお願いすると、月曜日の血液検査の結果次第だが、外泊は無理でも外出は可能かもと言われる。長めの外泊が私としては欲しい所なのだが。。。

 ペントシリン(Pentcillin)&タゾシン(Tazocin)の点滴は9時半、15時半、21時の3回、硫酸アミカシン(Amikacin Sulfate)の点滴は16時半に一回あった。そして夕刻から赤血球(RBC:red blood cell) 2単位の輸血(blood transfusion)をして貰っていると、入院時担当して下さったTS先生が久々に現われ、今日が事実上私の担当の最後になると挨拶をしに来て下さった。いよいよ本格的に大学院での勉強を始められるのだろう。なんだか心細くさびしい気持ちになるが、ついにマスクを外したお顔を見る事が出来なかったのが少々残念である。ほんまにこの血液腫瘍内科は先生やナース、患者、見舞いに来る人に到るまで全てマスクをしているので、顔をまともに見る事は少ない環境だ。

 今日は病室に動きがあった。同室のご高齢のMYさんはここ2~3日具合がひどく悪くなっておられたので、ベッドの場所をよりトイレに近い廊下扉側の場所に移動され、先輩患者のISさんは窓側に移られた。そしてずっと3人だったこの部屋に本日NNさんという方が他の病室から移ってこられた。何故か自分の方が緊張してしまう。

【血液検査結果】5/12
WBC(白血球数) 1,200 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 6.9 [g/dl]、PLT(血小板数) 77,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 0.7 [プロミレン]、好中球(Neutrophil) 75.0%、リンパ球 15.0%、単球(Monocyte) 6.0%
GOT 13 [IU/l]、GPT 36 [IU/l]、LDH 120 [IU/l]、γ-GTP 98 [IU/l]、CRP(炎症反応) 6.4 [mg/dl] 、好中球数900[個]

2007-05-28

2006-05-11 (木) 輸血とノイトロジンの値段 

 一月程前、白血球(WBC;white blood cell)を増やすノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)という注射は非常に高価で、赤血球(RBC:red blood cell)の輸血、特に血小板(PLT:platelet)の輸血製剤も同様に非常に値段が高いという話を聞いた。

 ノイトロジンは同室の先輩患者のISさんが1万4千円位する、と言っておられた。毎日していたのだから高くついている。全くため息が出る。(自己負担前の値段だと思う。)

 また今日、『照射濃厚血小板15U-R』(血小板15単位)の輸血(blood transfusion)があった。輸血はナースではなく必ず医師が繋ぎに来るのだが、この時にIH先生に、一体いくら位するのかを聞いてみた。すると、血小板は10単位で8万5千円から9万円、これに諸経費が付き10万円近い値段になるのだという。赤血球の輸血(赤血球は通常2単位を輸血する)は2単位で血小板の3分の1位の値段だそうだ。単位とは、生血200ccから採れるもの(赤血球・血小板等)を1単位という。例えば「血小板10単位」なら、「生血2リットル分から精製分離した血小板」という事になる。

 入院前は軽い気持ちで献血(blood donation)した事は何回かあったが、こんなに高価なものだとは知らなかった。自分が輸血される立場になるとは思ってもみなかったが、献血して下さった人の善意に、最後の一滴までありがたく輸血させて貰いたいと思う。

2006-05-11 (木) 白血病細胞のタイプ 

 KN先生に[bcl-abl]の結果はどうだったかを聞くと陰性(negative)であったと言う。これで不良因子がまた1つ無くなり、取り敢えず良かった。

 私の白血病細胞(leukemia cell)というのはその表面に骨髄性(myelogenous)とリンパ性(lymphocytic)の両方の抗体(antibody)を持っていて、全体としてリンパ球にも骨髄(bone marrow)にも分化し切れていない、未成熟な白血病細胞、というのが私特有の細胞らしい。

2006-05-11 (木) Bコース(1回目)17日目 

 血圧85-54、脈拍54、36.0℃。今日は発熱(pyrexia、fever)はしなかったが、夜になっても血圧(blood pressure)は80-45(脈67)と低いままであった。2日前の緊急採血時の血液に菌はいなかったそうで、ひとまず安心である。

 今日は指先のしびれはあるが、腰痛(lumbago;backache)も喉の痛みもなし。ベッドでの自主体操を再開してみる。月経(menstruation;menses)は高熱を発してからしばらくピタッと止まっていたが、また再開した模様で経血があった。

 血小板(PLT:platelet)の輸血(15単位)がある。15時半に10回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)注射がある。これは本日で終了するとの事。抗生剤(antibiotic)のペントシリン(Pentcillin)&タゾシン(Tazocin)の点滴は9時、15時半、21時の3回、硫酸アミカシン(Amikacin Sulfate)の点滴は16時半に一回ある。

  母より脚本作成意欲がまた出てきたというメールを貰ったので、元気になってきたのかと思い、少し嬉しい。

2007-05-27

2006-05-10 (水) Bコース(1回目)16日目 

 今朝一番に咽頭スワブ(throat swab)があった。血圧75-55、体温35.9℃。今朝も血圧(blood pressure)は低いが、熱は下がった。昨日発熱後の手のひら全体のしびれ(numbness)は、指先第一関節位に減ったが、足の指先もしびれている。喉奥は乾燥した感じだが痛くはない。腰痛(lumbago;backache)少々あるので、朝の自主体操は中止。

 昨日から始まったペントシリン(Pentcillin)&タゾシン(Tazocin)の点滴は9時、15時半、21時半の3回、硫酸アミカシン(AMIKACIN Sulfate)の点滴は16時半頃に一回ある。これらの点滴はしばらく続けられる事になるが、一旦発熱してしまうと、抗生剤(antibiotic)の点滴に忙しい毎日になってしまう。15時半に、9回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射。

 採血結果、白血球(WBC;white blood cell)は測定不能の底値なので、また急に発熱(pyrexia、fever)するかもしれないので注意が必要とKB先生。TNB先生はWBCの増え始めるタイミングが少し遅い、と言われる。普通ならもう増え始めていい時期なのだろうか。CRPは15.3までに急上昇していた。昨日の発熱の影響だろう。今朝左腕に赤い点々が少し見られ、ホットタオルで体を拭いた際にも、右上腕があっという間に赤い斑点だらけになってしまったが、血小板(PLT:platelet)が21,000と少なくなっていたのでその影響かもしれない。免疫グロブリン(immunoglobulin:Ig)の検査もしてあったが、かなり免疫力が低下している状態だそうだ。

 19時に37.2℃と少し熱が出始め、寒気と震えがくる。19時半、38.1℃になり、今日も緊急採血を2本採られ、体温は38.5℃まで上がった。発熱(38℃)するとその度に緊急採血をする様だ。その後、アイス・ノンを抱き、ロキソニン(Loxonin)を飲んで、就寝時には平熱まで下がる。抗生剤(antibiotic)の点滴は既に昨日から2種類始めているので、特に増やす事はせず様子をみる事となった。23時、血圧は79-46と低かった。

 母は携帯やノートパソコンからメールを何回か送ってきてくれた。という事は、今日は少し気分が良いのかなと思う。コンコン風邪は大分良くなってきたとあった。母に心配させない様に昨日の発熱と今日の発熱の件は報告せず、白血球数が未だ底値という事だけメールする。

【血液検査結果】5/10
WBC(白血球数) 100未満 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.6 [g/dl]、PLT(血小板数) 21,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 0.6 [プロミレン]
GOT 76 [IU/l]、GPT 99 [IU/l]、LDH 208 [IU/l]、γ-GTP 135 [IU/l]、CRP(炎症反応) 15.3 [mg/dl]
Ig-A 103.9 [mg/dL]、Ig-G 500.0 [mg/dL]、Ig-M 81.8 [mg/dL]

2007-05-26

2006-05-09 (火) Bコース(1回目)15日目 発熱

 血圧95-62、37.1℃。今朝は腰がだるかったので、体操は止めておく。指先しびれと頭痛(headache)あり。眼の奥がなんとなく痛く、喉の奥が乾燥した感じがする。手の甲の発疹(eruption)はかなり薄れてきた(かゆくはない)。経血量(menstrual blood loss)、今月は何故か多いと感じていたが、本日午後の急な発熱(fever)以降月経がピタッと止まってしまった。

 KB先生より、ノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射開始時期とは関係無く、Bコースでは14日目(2週間)位に白血球(WBC;white blood cell)が底値になると聞いていたので、ここしばらくトイレ以外は出来るだけ部屋から出ない様にしている。16時、8回目のノイトロジンの注射。月に2度のIVHコネクター交換がある。

 昼頃、なんだか熱いので体温を測ってみたら37.9℃になっていたが、昼時だったので食事を済ませてから体を休ませていたら、14時頃、突如震えが来て39.2℃にまで発熱(pyrexia、fever)してしまった。ナースコールをする。静脈血(venous blood)とIVHカテーテル(中心静脈カテーテル:intravenous hyperalimentation catheter)からの緊急採血があり、2種類の抗生剤(antibiotic)の点滴が開始された。ペントシリン(Pentcillin)&タゾシン(Tazocin)の点滴と硫酸アミカシン(Amikacin Sulfate)の点滴である。15時過ぎ、悪寒(chill)が治まると今度は非常に体が熱く、布団から出てアイス・ノンを抱いて体を冷やす。頭痛止めとして貰ったピリナジン(Pyrinazin)は全然効かない。18時前、38.7℃迄下がってきたと思ったら、再度震えが始まる。またナースコールするが、この震えがある間は寒くて体中ガタガタ震えるので、今度は湯たんぽを持って来て貰い、布団の中にもぐりこみ湯たんぽを抱きながらしばらくずっと震えていた。小一時間で震えが止まると同時に、また体中熱くて堪らず(40.6℃)、アイス・ノンで頭部を冷やし、ロキソニン(Loxonin)を飲む。この時手のひら全体がジーンとしびれ(numbness)ていた。昨日CRPが上昇していたので体のどこかで炎症を起こしているらしい。19時にTNB先生、KN先生、21時前にKB先生が様子を診に来て下さる。こんな発熱は初めてである。発熱すると震えが来るとはまさにこの事かと感心しつつ、ひどく消耗してしまった。

 21時半、血圧(blood pressure)が77-45(脈84)ひどく低い。パンとミルクで軽く夕食を済ませる。体温は36.6℃まで下がったが、23時の血圧も79-46と非常に低い。

※ 追記:高熱の後、異常に低血圧(hypotension)になると、血液に菌がいる場合があるらしく、これを医者は恐れているのだとか。

2007-05-25

2006-05-08 (月) Bコース(1回目)14日目 

 指先しびれ少々。腰痛少々。喉かすかに痛く、乾燥した感じである。左右手の甲の発疹(exanthema;eruption)は少し治まってきた。左側の偏頭痛(片頭痛:migraine;sick headache)があり体を動かすと少々痛く、午前中は寝て過ごす。15時に7回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射。

 月経の経血量(menstrual blood loss)がいつもより非常に多く戸惑う。入院前には生理で貧血(anemia)という事は殆んど経験した事がなかったのだが、何かの拍子に立ち眩み(dizzy)というのを2~3回起こした。通常と違うと非常に不安を覚える。

 今日の白血球(WBC;white blood cell)数はついに100未満の測定不能の最低になったが、HGB(hemoglobin;ヘモグロビン)は8.9で輸血(blood transfusion)する程下がってはいなかった。土曜日に炎症反応を見るCRP が1.2だったので38℃以上に発熱したら抗生剤(antibiotic)の点滴を開始するとTNB先生は言われていたが、結局最高で37.4℃迄しか上がらなかった。今日の結果が出る前の説明では、恐らくCRPは土曜日よりもっと上昇しているだろうから、もしCRPが3.0以上か、或いは体温が37.5℃以上になれば抗生剤の点滴を開始するといわれたのだが、結局、CRPは2.7と上昇したものの、3.0未満、今日も体温は36.9℃~37.3℃の範囲で微妙な値だった為、抗生剤は本日も開始していない。

 長姉が京都を去る前に病院へ密封包装したホールのチョコケーキを持って寄ってくれる。白血球が最低の為、感染(infection)予防で食事制限が更に厳しくなっているが、生クリームも使っていないので、開封してすぐなら良いだろう、という事で食べる事にする。病院食とは違ってすごくおいしく感じ、がつがつとたくさん食べてしまったので長姉にあきれ返られてしまった。開封後時間の経ったものはダメと言われているので、残りは姉に持って行って貰った。入院して以来、間食しても良いのだが、病院食以外にお菓子など殆んど食べていなかったので、こういう味に飢えていたのかもしれない。

【血液検査結果】5/08
WBC(白血球数) 100未満 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 8.9 [g/dl]、PLT(血小板数) 50,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 1.0 [プロミレン]
GOT 14 [IU/l]、GPT 28 [IU/l]、LDH 128 [IU/l]、γ-GTP 106 [IU/l]、CRP(炎症反応) 2.7 [mg/dl]Ig-A 110.1 [mg/dL]、Ig-G 514.0 [mg/dL]、Ig-M 82.7 [mg/dL]

2007-05-24

2006-05-07(日) Bコース(1回目)13日目

 血圧103-70、脈拍63、36.7℃。体温は徐々に上がり、夜21時頃には37.4℃になった。15時6回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射。

 昨晩も一度だけ急にきつい頭痛(ガン!!という感じ)で眼が覚めた。何なのだろうか。今日は軽い頭痛(headache)の気配がする。指先のしびれ、特に親指・人差し指・中指にきつく感じる。のどに痛みはないが違和感がある。腰痛(lumbago;backache)少々。午前中、ホットタオルで体を清拭したら、両手の甲に発疹(exanthema;eruption)が出たが、かゆみはない。また、髪の毛が全部は抜けずに未だ残っているので、頭をホットタオルだけではうまく拭けず、情けない量になったとはいえ、ナースに頼んでシャンプーして貰う事にした。サッパリして気持ちがいい。今回の月経(menses)は経血量(menstrual blood loss)がいつもと比べてかなり多い。

 長姉・次姉見舞いに来てくれる。4月のHLA(骨髄の型;組織適合抗原:Human Leucocyte Antigen)検査以来か。あの時はひどい頭痛で殆んど話も出来なかったが、今日は3人で色々おしゃべりが出来て楽しかった。姉妹3人が顔を合わせる事など数年に一度あるかどうか、決して仲の悪い姉妹ではないのだろうが、日頃から親交がある訳ではなかった。そんな姉妹が病院のベッドに3人座っておしゃべりしているのが、何だが愉しかった。

 母は風邪が良くならず、今日吐いてしまったそうだ。今迄母が吐いた所など見た事も聞いた事もないので、驚きと共に肺炎(pneumonia)にならないか等かなり心配だ。その母から心締め付けられる様なメールが届く。母は4/17に送信した様なのだが何故か5月7日に受信。このメールはノートパソコンからなのに何故遅れて届いたのだろうか? 4/17頃は、私はまた少し母に怒っていた。お母さん、会いたいのは私も一緒、ごめんね。いつも私の事を思って励ましてくれている親心に感謝(涙)。

以下に母のメール
Sent: Monday, April 17, 2006 5:49 PM
Subject: お加減如何ですか?
○○ちゃん 御復活祭 おめでとう4/15に書いた手紙、発信トレーに残っている事を発見。もう一度トライしてみます。

 会いたい! 会いたい! あなたが言う様にアメリカにいると考えてあきらめているのですが、”一時帰国”の機会を待ちわびています。

 マザー・テレサの祈りが胸に響きます・・・

 主よ、わたしは信じきっていました
 わたしの心が愛にみなぎっていると。
 でも、胸に手を当ててみて
 本音に気づかされました。
 わたしが愛していたのは他人ではなく
 他人の中の自分であった事実に。
 主よ、わたしが自分自身から解放されますように。

 ”他人”を”我が子”と置き換えてみると、一入胸に響きます。

   早く良くなってね。祈りを込めて・・・ 4/17  母

2007-05-23

2006-05-06(土) Bコース(1回目)12日目

 血圧105-67、脈拍57、37.0℃。指先第一関節近くまでしびれる。のどの痛みはまだない。腰痛(lumbago;backache)少々。ごく少々耳鳴り(ear noises)がする。

 採血は2本あり、TNB先生が結果を教えにきてくれた。白血球(WBC;white blood cell)は0.1でほぼ最低になってきているが、CRPが再び上昇して1.2となっているので、もし体温が38度以上になれば抗生剤(antibiotic)の点滴を開始する、と言われた。どこかで炎症(inflammation)を起こしているらしい。20時頃37.4℃と微熱(low grade fever;subfever)、21時半37℃に下がる。

 15時から5回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射がある。ずっと左腕(二の腕)にして貰っていたのだが、ナースが同じ腕ばかりに打っていると、良くない(硬くなる??)ので、とか何とか言われたので、今日は右腕にして貰う事にした。そんなに変わるのだろうか?

 長姉が昨夜上洛、見舞いに来てくれ、郵便物や母からの手書きの手紙を持ってきてくれた。ドイツのお菓子の差し入れが嬉しい。姉の情報によると、母はかなりグッタリしているそうで心配だ。こじらせてしまったのだろうか。母からの手紙は『夢を見ました』という題名で、実際に母がリアルに見たサイエンティフィック・フィクションな夢の話であった。母が、「何とも愉快で希望に溢れた」といっている夢の話は、私の病気の治療法であった。非常に興味深い内容のものだった。手紙のお礼と風邪のお見舞いのメールを出す。

 夜、同室の2人は気分が悪い等で、21時には既にお休みになっていた。私は爪切りやメールの返事等をしてから就寝するが、消灯間際の22時に月経(menstruation;menses)が始まってしまった。経血量(menstrual blood loss)はごく少量であるが、ほぼ予定通り今回も始まったので一応安心する一方、血球を殺す治療の最中でも生理はあっても大丈夫とは言われたが、治療以外に余分な出血があって本当に大丈夫なのだろうかとまた不安にもなる(4/8参照)。

 お隣の還暦位のご婦人MYさんが夜中、発熱(fever)されたらしく、咳も一晩中止まらない為、ナースの出入りも激しく、よく眠れなかった。姉から貰った耳栓(earplug)でもすればよいのかもしれないが、気になって、大丈夫かどうか(ナースコールをうまく使えなかった場合、代わりに呼んであげなければ等など)という意識も働き耳栓が出来ない。

【血液検査結果】5/06
WBC(白血球数) 100 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 9.4 [g/dl]、PLT(血小板数) 96,000 [/μl]
GOT 17 [IU/l]、GPT 41 [IU/l]、LDH 143 [IU/l]、クレアチニンキナーゼ(CK) 32 [IU/l]、CRP(炎症反応) 1.2 [mg/dl]

2007-05-22

2006-05-05 (金・祝) Bコース(1回目)11日目 入院40日目

 血圧98-63、脈拍61、36.7℃。今朝も体操を少ししてウォーミングアップ(warming up;warm up)する。今日は連休ど真ん中にもかかわらず午前中に次々と3先生方が診に来られた。今のところ、私のBコースの経過は至極順調で、先生も安心されている様で、私も安心する。

 指先のしびれ(numbness)は第一関節位まで、じーんとしている。腰痛(lumbago;backache)少々、体もだるい。鼻をかむと少々出血する。のどの痛みはまだない。頑張ってイソジン(Isodine)のうがい(gargle)をした甲斐があったか。抜け毛多い(今は大半抜けたとはいえまだ残っている毛がある状態)。親指の爪半月(lunula) (爪付け根の白い部分)の色がまた薄れてきている(4/15参照)。抗癌剤(anti-tumor agent)の影響らしいのだが、自らの体で起こっている化学反応と言えばよいのか、すごいとしか表現のしようがない。言いたくはないが、抗癌剤は人体にとっては(生命体にとっては)毒薬であろう。死なない程度に(あるいは致死量?) 自らの体にその毒を盛っている(投与する)のだから大変な治療を受けているものだと改めて溜息が出る(不適切な表現かもしれないが、これが本音である)。

 午後から血小板(PLT:platelet)の輸血(blood transfusion)があり、その間、寝ていたら一度だけ急にガン!!と、きつい頭痛(headache)が起こり、眼が覚めた。頭痛はその瞬間だけで終わってしまったが、こんな頭痛は初めてだ。些細な事かもしれないが、気になってしまう。15時から4回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射があり、体温37.1℃、20時37.5℃。で微熱(subfever)気味?

 今日の母からのメールでは風邪が良くならないらしい。もう一週間である。心配だ。母は2階の自室と部屋の外のトイレが行動範囲で、あとはヘルパーさんにしか会わない状況という、殆んど無菌室状態なのに何故世間で流行っている風邪にかかったのだろうかと言っている。私は入院前、職場から帰る時は風邪等をひかない様に、周りで風邪が流行っていればうがい等をしっかりしてから母に会う様に気を付けていたし、ヘルパーさん達は仕事の性格上、予防ワクチン(vaccine)を接種していると聞いている。一体どこから貰ってきたのだろう??性質の悪い風邪でなければよいが。。。 今の私は自身も感染(infection)に気を付けなければならないので、このままでは母に近寄れないかもしれない、等と気を揉んでしまう。

 今日で早や入院40日が経った。非日常が日常になりつつある自分を感じる。

2007-05-20

2006-05-04 (木・祝) Bコース(1回目)10日目 

 昨夜22時半に寝るが、例によって0時のナースの見回りで目が覚めるし、夜半同室のISさんが発熱(pyrexia、fever)してしまった様で、緊急採血とか点滴とかで俄かに騒がしくなり、余り良く眠れなかった。ISさんは、私とは病名は違うが、似た様な治療(点滴の内容が少し違う様だ)を受けていて、慣れぬ治療などに戸惑っていた私に色々入院治療の心得など教えて貰って下さる先輩患者さんだ。とても参考にさせて貰っている。この様に急な発熱でしんどそうにされていると、心配だし、とても不安になってしまう。幸い数時間で症状が和らいだ様で良かった。

 今朝は、血圧106-64、脈拍64、36.8℃。指先しびれ少々、のどの痛みは無い。午後に赤血球(RBC:red blood cell)の輸血(blood transfusion)と15時に3回目のノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射があった。また、食欲は戻ってきた様で、夜はお茶漬けのりでご飯をサラサラと流し込め、完食出来た。爪楊枝で失敗して歯ぐき(歯肉:gum;gingivae)を傷つけ、出血してしまったので、炎症(inflammation)を起こさない様にイソジン(Isodine)のうがい(gargle)をしっかりとしておく。

 腰は少々痛いが、4/30から始めた朝一番のベッドでの体操(自己流)、今日は更に2つ程加えて4種類やってみる事にする。そのうちの1つは昨日退院されたKBさんが教えてくれたものである。彼女は骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)を受けた後ずっと無菌室(clean room)にいたのと長期に渡る入院の為、筋力が落ちて、普通に歩くのも大変だったそうだ。それで4人部屋へ戻られてから退院までの間、筋力回復を兼ねてリハビリ(rehabilitation)に行っておられた。そこで成る程と思われた運動というのが、横向きに真っ直ぐ寝て、脚を伸ばしたまま上げ(角度は無理のない程度で良い)、10秒経ったら下ろす、というのを片側10回、左右両足とも行なうというものだ。脚は前後に動かす事は普通に歩いていてもあるが、左右の横方向に動かす事は日常生活で余り頻繁にはないので、この横方向の筋肉を鍛える意味の体操なのだそうだ。

 今日はさすがにゴールデンウィークだけあって、夕方にKB先生が回診(round)に来られただけである。治療で頭髪が抜けると聞いていた為、初回治療時は身内や近しい人以外のお見舞いを断っていたので、見舞い客もなく私に限ると連休中も至って静かである(同室の人の見舞い客はそれなりにあるのだが)。そんな中、母からのメールで(母自身の具合はぼちぼちだそうだ)、あちこちから私の見舞いの電話とかがあったと知らされる。皆さんの気持ちが嬉しい。

 見舞いに来てくれるのはとっても嬉しいのだが、長期に渡る入院治療でもっと迷惑をかける事になるのだからと思い、つい、気持ちだけでいいから、わざわざ無理してお見舞いに来なくても良い、と言ってしまう。それよりも、もし可能なら、体が不自由になってますます動き難くなった母の面倒を見てあげて欲しいと思うのも事実。以前みたいに毎週末京都に帰ってきて、母と一緒に過ごせない、母の手助けが出来ないのがもどかしい。しかし、こうして自分自身が入院してみると友人・知人からの励ましメール、特に身内や母からのメールや電話は有り難く、嬉しい。

2007-05-19

2006-05-03 (水・祝)  骨髄移植の結果の不思議な話 

 急性骨髄性白血病(acute myelocytic leukemia;AML)で骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)を受けた同室のKBさんが本日午後、退院(discharge)して行かれた。彼女は一旦治療を終えて退院していたのだが、再発(recidivation)して緊急再入院、兄とHLAの型が一部一致した為、骨髄移植をした、という話を聞いている。私が入院してきた時、丁度移植でクリーンルーム(clean room:無菌室)におられたそうだ。経過は順調で、ご主人とお子さん、ご家族の迎えで、彼女はとても嬉しそうに退院された。自分も入院して分かったが、この病気の治療期間は長期に渡るので、待ちに待った退院であろう。退院おめでとうと言って別れるのに、思わず私も涙ぐんでしまった。私は骨髄移植を先生から強く勧められているので、もっと彼女から移植についてどんなものなのか聞きたかったが、ついに聞きそびれてしまったのが、少し残念であった。

 さて、この骨髄移植を行なうにはHLA(骨髄の型;組織適合抗原:Human Leucocyte Antigen)という白血球の型が一致していなければならないのだが、このHLAというのはいわゆるA、B、AB、O型という赤血球(RBC:red blood cell)の血液型とは無関係で、血液型が違ってもHLAの型が一致していれば移植可能である。またHLAの型が一致した場合の移植で、ドナー(donor:提供者)と患者(recipient:受容者、宿主)の血液型が異なれば患者の血液型はドナーと同じ血液型になってしまうのだそうだ。例えば患者がB型で、ドナーがA型の場合だと、患者は移植後ドナーと同じA型になってしまうという事だ。ここまでは私も知っていた。ところがもっとビックリする様な話を聞いてしまった。

 それはある日の事、今日退院されたKBさんに担当医師が少々興奮気味に話かけていたのを、聞いてしまったというか、4人部屋なので、聞こえてきた時の話である。その話をまとめると、骨髄移植を受けたKBさんは、色々検査をした結果、「今後は血液検査をしたら男性と判断されるだろう」と。つまり血球系と血管内皮、骨髄は兄由来の男性と判別されるので、オリンピック(Olympic)には出られないだろう、とその先生は変な例えをされていた。しかし、免疫抑制剤(immunosuppressant)によってそれらは共存しているので、皮膚などの細胞はKBさん本来の女性のものと判別されるそうである。皮膚は自分本来の女性のもの、血液は男性と識別される。骨髄移植とは複雑な世界である。

2007-05-18

2006-05-03 (水・祝) Bコース(1回目)09日目 

 指先しびれ少々。頭痛(headache)ごく少々。のどの痛みは無い。今日も体重(body weight)増えず。今朝も体操をするが、腰に負担がかかるのか今日も腰がだるい。時々耳がボォーっとなるが、横になると解消する。今日も腹痛(abdominal pain;abdominalgia)を伴なう便通(bowel movement)が2回あったが、肛門(anus)は切れたりしなかった様で血も出なくて済む。前回の経験から、白血球(WBC;white blood cell)が最低になる時期は、炎症(inflammation)を起こしたらベッドに座ってもいられない位ひどく痛んだので、そうならない様に排便(defecation;evacuation)後は肛門のケアを毎回しっかりしていこうと思う。

 採血2本、15時に2回目の白血球を増やすノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射があったが、Bコース自体のプログラムは終了しているので、後は血液の値の増減を見ながら次の治療開始のタイミングを計る事になる。

 15時過ぎ、母のヘルパーのHTさん、お見舞いに来てくれ、缶コーヒーとチョコの差し入れを二人で頂きおしゃべりする。しかしうっかりして、缶コーヒーの缶を洗いもせずに直接口を付けて飲んでしまった事に飲み終わってから気付く。缶の場合は飲み口がむき出しになっている為、洗った上でコップに移して飲まなければならなかったのだ。折角今回は口内炎(stomatitis)がまだ起こっていなかったのに、これで感染(infection)しては大変と、大慌てでイソジン(Isodine)のうがい(gargle)を念入りにする。防げただろうか?とにかく入院以来、色々指導されたせいもあるが、ひどく神経質な位、手はしょっちゅう洗うので、荒れてしまっているし、入院以前の私からは考えられない程、きれい好き(?) になってきてしまっている。

 母より励ましの携帯メールがある。長文だ。私の携帯は今や非常に古い、メール機能も付いていないものなので、携帯メールというのはした事が無い。完全に母に先を越された感じだ。その母のメールの中で『学問の神様と言われる菅原道実は九州に流され途中、駅長 歎くなかれ 時の変せんするを 一栄一落 これ春秋 といつたそうです ごぞじでしょう。良いときもわるいときも いつか過ぎてゆきます。前向きに日々を過ごしましょう』とあった。なんだか哲学的だ。とにかく、頑張らねば。。。

【血液検査結果】5/03
WBC(白血球数)200 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 9.1 [g/dl]、PLT(血小板数) 76,000 [/μl]
GOT 59 [IU/l]、GPT 96 [IU/l]、LDH 239[IU/l]、クレアチニンキナーゼ(CK) 12 [IU/l]、CRP(炎症反応) 0.1> [mg/dl]

2007-05-17

2006-05-02 (火) Bコース(1回目)08日目 ノイトロジン(G-CSF)開始 

 指先しびれ少々。両方にあった耳鳴り(ear noises;tinnitus;ear ringing)は寝たら治った様だ。

 今朝より3食とも加熱食になり、毎朝に付いているサラダは茹でた野菜に、生の果物はパック入りのフルーツジュースに変わった。前回Aコースの時は朝食のサラダと果物はずっと付いてきていたので、どうやら加熱食に変えるのを(大学院へ進まれた)TS先生は忘れておられた様に思う。急にサラダも含め、なま物が完全に禁止になると妙な感じだが、これも感染(infection)予防というのだから、治療の一環と考え、次に白血球(WBC;white blood cell)が増えるまで我慢我慢である。食欲減退気味で余り食欲がわかないが、体重が落ちてきた(維持しようと思っている体重の最低レベルより更に1kg減ってきている)ので、何とか頑張って食べねばと思い、例によって、最低おかずだけは出来るだけ全部食べる様にする。昼食後、ひどい腹痛(abdominal pain)を伴なう便通(bowel movement)あり。便は普通だったのだが。。。

 本日より、白血球を増やすノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)の注射が開始された。何故かこの注射はいつも15時頃と決まっているみたいだ。前回もそうだったが、またナースが申し訳なさそうに、「この注射は痛いんですよね、ごめんなさいねぇ、チクッとしますよーー」と言いながら注射してくれる。やっと白血球が下がり始めたばかりでまだ最低になっていないのに、この注射を打ち始めるのは早いのではないかと先生に聞いたのだが、最低になるのはもう分かっているので、それを見越してこの時期から打ち始めるのだそうだ。

 なんだか疲れて今日もほぼ一日中眠る。なんぼでも眠れる。。。

 今日は無事に母より携帯メールが届く。家の藤は満開だそうだ。私が眠り続けていることについては、眠る事も大事な自己防衛、と言ってくれる。なるほど。。。辛い時は無理せず眠った方がいいのかもしれない。

2007-05-16

2006-05-01 (月) Bコース(1回目)07日目 キロサイドのルンバール

 血圧96-63、脈拍66、36.8℃。指先しびれ、腰だるい。体もだるい。少し食欲減退気味か?鼻をかむと少々出血する。右耳がまたおかしい(ボォーっとする)。今朝も朝一番に筋力回復のつもりで、ベッド上で軽く運動をしてみる。

 今日は夕食より加熱食となった。大きな違いは、ご飯やおかず全ての食器にラップがかけられている事である。これは空中に浮遊している菌を防ぐ意味もあるらしい。

 ずっと点滴の管に繋がれた生活だったが、昨日の午後に全ての点滴が終わったので、シャワーの予約をナースにお願いしてみる。これから白血球(WBC;white blood cell)が下がったらシャワーも禁止となるから、ダメもとで今日あたりが最後のチャンスかなと思って聞いてみたらOKが出た。やっぱりシャワーは気持ちがいい。ホットタオルだけではなかなか気持ちよくならないし、4人部屋でカーテンを仕切って体を拭くというのも、周りが気になって落ち着いて拭いていられない。前回抜けきらずに残っていた毛がシャンプーでよく抜ける。Bコースの影響での脱毛が始まったのかもしれない。

 血液検査の結果は、先週KB先生が言っておられた通り、白血球数は500にまで激減していたので驚いた。好中球(Neutrophil)も64%となった。この結果が先に分かっていたら、今朝のシャワーは禁止だったかもしれない。うまい事浴びられて、とにもかくにも良かった、良かった。明日より白血球を増やす注射ノイトロジン(Neutrogin;G-CSF)を始める事になった。

 今回Bコース治療プログラム最後の過程であるキロサイド(Ara-C:Cylocide)のルンバール(Lumbal:腰椎穿刺)は14時からTNB先生立ち会いの下、KN先生によって行なわれた。横向きに丸くなって背中から針を刺され、髄液(脳脊髄液;cerebrospinal fluid)を抜いて抗癌剤(anti-tumor agent)を注入するという、非常に嫌な施術なのだが、治療に必要不可欠なもので、治る為には頑張って我慢するのみ。また前回(4月26日)から針を細いのにして貰った為か、髄液を採るのにひどく時間がかかるのも辛かった。しかし、その甲斐あってか頭痛(headache)がほぼ解消したのは嬉しかった。本当にあの何もする事が出来ない程の頭痛には、ずいぶんと悩まされたので、この方法で頭痛が起こり難くなるのならここで少し位は、我慢のし甲斐があるといえる。またそれとは別に、施術後すぐに動き回ったり、安静にせず起きた状態(頭を上げた状態)にしていると頭痛になると言われているので、今日も言われたより更に1時間余分の2時間安静に寝て過ごす。夕食後、TNB先生来られて、今日採取した髄液はきれいだった(悪い細胞はいなかった)と教えてくれる。髄液だけは、ずっとクリアな状態みたいなので、安心する。何せ、背中の髄液は脳にも繋がっているのだから、ここに悪い細胞がいるとなると脳も危険という事になるから、想像するだにそれだけは避けたいものだ。

 このところ、何が原因かよく分からないが、携帯メールが届いたり届かなかったりする。夜、母より携帯からのテストを兼ねた励ましメール届く。私も母に、明日は家の藤の花を見物してねと返信する。

 それにしても、今日は暑かった。夜ナースにアイス・ノンをお願いし、抱いて寝る。

【血液検査結果】5/01
WBC(白血球数)500 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 9.4 [g/dl]、PLT(血小板数)151,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 2.3[プロミレン]、好中球(Neutrophil) 64.0%、リンパ球 32.0%、好酸球(Eosinophil) 2.0%
GOT33 [IU/l]、GPT 51[IU/l]、LDH 225[IU/l]、γ-GTP 165[IU/l]、クレアチニンキナーゼ(CK) 20[IU/l]、CRP(炎症反応) 0.3[mg/dl]、好中球数320[個]

2007-05-15

2006-04-30 (日) Bコース(1回目)6日目 

 筋力低下防止の意味も込めて、体操を始めてみる。朝一番にベッドの上で仰向けになり、腰だけ浮かしてみるとか、片足ずつ上に上げて静止してみるとか、自己流で少しだけやってみる。この運動が便通(bowel movement)体操にもなればいいなぁと思いつつ。。。

 指先は第一関節までしびれている。喉と気管支あたりの違和感あり。だるい。しゃがんだ状態でサッと立ち上がると頭痛(headache)がする。また、鼻は左右とも粘膜を傷付けたのか少々出血あり。午前中はずっと寝て過ごす。さすがにこの頃動いていないせいか食欲もない。むしろ食欲減退気味で、夕方より何となくムカつき少し気持ちが悪い。

 14時半にソルデム・メイロン(Soldem・Meylon)の24時間持続点滴が終了したと思ったら、もう一袋、同じ内容の24時間点滴が出来上がっているから待っていて下さいとナースが言う。予定表を見てもこれで終わりの筈だし、追加という話も聞いていないし、計尿はこの24時間点滴の終わる今夜迄とTNB先生からも言われていたので、間違いだと思うとナースに言って調べて貰った。すると日直の女医のNOという先生が来られたので、改めて間違いだと思うと説明をして、詳しく書き込みとチェックをいれている治療予定表を見せると「なるほど」と納得、確認をされ、点滴の取り消しをして貰った。こんなミスはあったが、これで久々に点滴の管に繋がれた生活から解放された事になり、嬉しい。また、面倒な尿回数チェックと尿量毎回計測も本日夜中の0時で終了するので、やっと少し気分が楽になる。何せ、水分を多く採る様に言われているのに加え、毎日2リットル以上もの点滴等のせいもあって、一日に12回もトイレに行きたくなるのだから、当然夜中もおちおち寝てもいられなかった。

 母より電話があって、携帯で長文のメールを送ったが届いたかどうかを聞いてきた。元気そうだったので嬉しいが、肝心のメールは何故か届いていなかった。どうしてだろうか。折角私の為に携帯で打ってくれたメール、読んでみたかった。


 幼馴染のYちゃんから藤の花の写真を添付したメールが届く。毎年欠かさず見ていた我が家の藤の花(白藤と紫藤)、ベランダを藤のカーテンの様に覆って咲き誇り、例年ゴールデンウィークが見頃となる。今年は観る事が出来ないが、送って貰った写真はとてもきれいに撮れており、白藤が出すあの甘い香りがしてきそうだった。この病気になって、感染予防に非常な注意を払わなければならなくなり、見舞いの花束(生のお花)等、植物も厳禁になっている為、切り花にして持ってきて貰うわけにもいかない。もし今、外出許可が出ていたとしたら、藤の花には近づけないとしても、2階から母と共に熊蜂の羽音を聞きながら甘い香りに包まれて花を愛でたかった。

2007-05-14

2006-04-29 (土・祝) 寛解の判定基準について

 ところで、Aコース終了時、寛解(remission)だと思ったのに先生方からはハッキリとそうとは言って貰えなかった。前からその事が気になっていたので、どう考えておられるのかを聞いてみた。すると、寛解について、古い基準でいくのなら、即ち今も使われているヘマトロジカル的 (血液学的)基準でいくのなら、白血病細胞(leukemia cell)が5%以下に減ったら寛解というので、その意味では私は1~2%だったので寛解と言えるそうだ。先生に紹介して貰った本にもそう書いてあったので、一体どうなっているのだろうとずっと思っていたのだが、こう言って貰ってようやく納得した。しかし、先生曰く、今はもっと精密なレベルで白血病細胞を検出できる様になってきており、このレベルはまだまだ寛解と言えるレベルとは考えなくなっているそうである。

 では、どれ位のレベルを寛解と考えているのかと言うと、分子遺伝学的レベルで白血病細胞が検出されなくなった時点を『寛解』としているのだという。具体的に言うと、血液学的基準での寛解は5%以下。これは実際に顕微鏡で白血病細胞の有無を見て判断している。分子遺伝学的寛解は1万~100万分の1個レベルで検出されなくなった時点を言うらしい。

 ちなみにFISH (Fluorescence in situ hybridization)という方式(1,000分の1レベル?)があるらしいが、私の場合はこれが出来ないという(当てはまらないとか)。フローサイトメトリー(flow cytometry)は確か1万分の1レベルと聞いた気がする。RT-PCR(Reverse Transcription-Polymerase Chain Reaction)は100万分の1レベルで検出でき、FISHでも検出し難いレベルでの検出が可能だそうだ。

 RT-PCR等の遺伝子レベルの検査は外注の為、結果が分かる迄には時間がかかるという事で、この大学の検査部に出して結果がすぐに分かるフローサイトメトリーという方法で結果を見て、治療方針の決定や治療効果の判定に役立てているそうだ。このフローサイトメトリーとは生の細胞で検査が出来、その日のうちに結果が出るのだそうだ。PCRよりは精度が落ちるが、ここのK大学にはこの技術に命をかけているスペシャリストがいる、と妙に力を込めて言われたKB先生が何故か印象的であった。

 今度こそ、先生の目指しておられる分子遺伝学レベルの寛解になります様に、病気の細胞がいなくなります様にと祈るのみである。

2007-05-13

2006-04-29 (土・祝) Bコース(1回目)5日目 

 ロイコボリン(leucovorin)の全開点滴が朝一番の6時にあった。これで一昨日夕方より始まった6時間おきのロイコボリン点滴も終わりである。昼に24時間持続点滴(ソルデム・メイロン(Soldem・Meylon))の交換があり、これが明日の昼に終われば、今回Bコースの点滴は全て終了になる。結膜炎(conjunctivitis)予防の点眼1日4回も本日で終了になる。尿回数チェックと尿量毎回計測はいつも通り。午後には輸血(blood transfusion)の為の血液検査の後、赤血球(RBC:red blood cell)の輸血があった。

 指先しびれ少々。喉の違和感、及び気管支の痛みがあり、だるい。食欲は入院初回治療時(Aコース)みたいに落ちるのかと思ったがまだ大丈夫で、口内炎(stomatitis)もイソジン(Isodine)のうがい(gargle)が効いてか、まだ起こっていない。便通(bowel movement)は一日無かった。前回肛門痛で非常に苦しんだので、便秘で肛門(anus)が少しでも切れてしまう事をひたすら恐れ、一日でも無いと不安になる(私は毎日便通があるタイプである)。

 KB先生にBコースで今後どうなるのか色々質問する。今のところ先生の眼から見ても経過は順調であるそうだ。血液の値は、月曜日あたりから白血球(WBC;white blood cell)がすごい勢いで下がり始め、Bコース開始2週間目あたりがほぼ最低の0近くになるそうで、その頃に喉が腫れたり、しんどくなったりするかもしれないという。食事の事を聞くと、加熱食に変わるが、もし生の野菜等が入っていたら食べずに自分でよけて下さい、と言われる。そして白血球を増やす注射(G-CSF)等で白血球を増やしていき、それを検査して寛解(remission)かどうかの診断が下されると説明された。

 本で知った不良因子であるt(4;11)、t(9;22)の事を昨日KN先生に聞いたのだが、KB先生にも聞いてみた。私の記憶通り、t(9;22)は検出されていない、との事。「t(4;11)の方はもう結果が出ている筈だが、多分こちらも検出されていないと思う、出ているとしたらもっと違う、新しい種類のものだろうが、そういった結果はまだ届いていない」との事。取り敢えず、不良因子が減ったみたいで良かったと思う。

 夜、携帯に着信があり、いつもの様に携帯電話を使える談話コーナーまでキャスター付き点滴棒(イルリガートル(Irrigator)台)を転がしながら移動して電話に出る。今日KB先生に聞いた治療の進行予定(白血球の減増予定)等を報告する。母は科学者(scientist)であっただけあって、非常にこういう話を興味深く聞いてくれ、私のつたない説明だけで、もしかすると治療を受けている私よりはるかにその内容を理解しているかもしれない。前回Aコースと違い、今回Bコースの治療を元気に過ごせている事に安堵してとても喜んでくれる。逆に心配なのは母で、風邪(cold)をひいたらしく腰も痛いらしい。私は入院中で何も母にしてあげられなく、もどかしい。大丈夫だろうか? 電話からの声だけなので、実際の様子が良く分からない(母は気丈な所がある)。早く治ってくれる様に祈る事しか出来ない。また、次姉の息子も風邪気味らしい。このところ周りで次々と火傷(burn)とか風邪の人が出てきて。。。どうしたんだろうって思ってしまう。

 今日もトイレ通いに忙しく、夜中も十分に寝ていられない為か、一日中眠く、うたた寝。夜も消灯前の21時頃早々に眠くなって就寝する。

2007-05-12

2006-04-28 (金)  可溶性IL-2レセプターについて 

 『可溶性IL-2レセプター』という検査が4/26採取の血液でされていたらしく、KN先生が結果を説明に来られた時、色々質問をしてみたり、後で一体どういったものかを調べてみたりした。

 この検査項目は今まで見た事が無かったので先生に『IL』とは『インターロイキン(interleukin:IL)』の略かと訊くと、その通りで『IL-2レセプター』とはホルモンみたいなものだと言う。先生の説明によると、このIL-2は白血病細胞(leukemia cell)に応答して、白血病細胞が増えるとこの値も増えるらしい。主にリンパ腫(lymphoma)の検査に使われ、正常値は145-519U/mlで、私の結果は1,120U/mlであった。この結果から言える事は、私の中に、まだ白血病細胞は(検出できる程度に)存在しているという事で、この値を参考に、Bコースの治療でどこまで白血病細胞を叩けるか(殺していけるか)を見ていく目安にする検査だという。

 ネットで調べてみると、インターロイキンとは、免疫(immunity;immunization)反応が起こる時に、白血球同士間での情報伝達がなされるが、その時に各細胞から出される免疫調整物質であり、血中に遊離される『可溶性IL-2レセプター』の量は、T細胞の活性化の消長を示す指標となるだけでなく、悪性リンパ腫や ATL(adult T-cell leukemia:成人型 T 細胞性白血病)等においては、腫瘍細胞(tumor cell)の増殖増加に伴ない上昇し、総腫瘍量を反映するとされているそうだ。

 KN先生の説明の方が分かりやすいですね。

2007-05-11

2006-04-28 (金) Bコース(1回目)4日目 

 朝一番の血圧(blood pressure)は105-60、脈拍(pulse)は62、体温36.6℃。指先のしびれは少しマシになる。喉の違和感は少し落ち着くが、眼の底が少し重い感じで、少し頭も重く感じる。週に一度(毎週金曜日)のシーツ交換、毎日の掃除(掃除のお兄さんが午前中にしてくれる)、そして治療の点滴。。。自分でやっているわけではないのだが、なんだかひどく疲れて、今日もかなり横になって寝て過ごす。食欲はあんまり無いのだが、吐いたりする事はないので、体力維持の為にと、極力食べる様にしている。

 結膜炎(conjunctivitis)予防の点眼1日4回、尿回数チェックと尿量毎回計測。1日3回(9-12時、12-16時、16-22時)の尿のpH検査では、3回ともpH 7.5以上だったので今日は追加処置無しで済む。このpH検尿も明日はしなくて良いといわれる。一日でも面倒な作業が少なくなるのは嬉しい。

 12時に採血が3本あり、72時間経った血中メソトレキセート(MTX:Methotrexate)濃度は基準値内で今回も薬剤追加をしなくて済む。ヘモグロビン(hemoglobin; HGB)は6.4に減少した(7未満になった)為、明日赤血球(RBC:red blood cell)の輸血(blood transfusion)をする事になる。炎症炎症(inflammation)反応を見るCRPはようやく0.4にまで下がってきた。このBコースの点滴が終われば来週の頭にも白血球(WBC;white blood cell)を増やす注射(G-CSF)を始めるそうだ。

 Bコース4日目は、静注(intravenous injection) 2回、点滴は深夜迄あり延べ9種類。先ず、10時にステロイド(steroid)のソル・メドロール(Solu-medrol)の点滴40分、吐き気止めのカイトリル(Kytril)静注後、11時半に抗癌剤(anti-tumor agent)のキロサイドを3時間かけて点滴する。昼に24時間持続点滴(ソルデム・メイロン(Soldem・Meylon))の交換。16時半に再度ソル・メドロールの点滴。ロイコボリン(leucovorin)の全開点滴は深夜0時から6時間おきにある。21時半にTNB先生による、カイトリル静注後、本日2度目のキロサイド(Ara-C:Cylocide) 3時間点滴に繋がれた。

 抗癌剤の点滴は、ナースに任せる事はなく、必ず医師(先生)がつなぎに来られた。ナースは3交替制であるが、先生方は主治医、担当医、研修医の3人チームでやり繰りしておられるみたいである。今日みたいに夜遅くにしなければならない抗癌剤の点滴等をつなぎに来られるのを見ると、一体先生方はいつお休みをとられるのだろうか、と感謝で頭が下がる思いである。ちなみに終了した点滴を外してくれるのはナースである。

 ところでKN先生に、私は白血病(leukemia)のうちでt(4;11)、t(9;22)のいずれに反応が出たのか結果を聞いてみた。入院時に検査に出したと聞いていたからだ。すると検査は外注で4/11に結果は出ているらしいが、正式な書類としてまだ手許に届いていないので、催促しているところだと答えられた。その結果を教えて下さいと更に聞くと、電話でのやり取りは曖昧で、不確定な情報を無責任に伝えられないので、正式な報告書を待っている、と言って教えて貰えなかった。この不良因子の有無で、私の白血病の治り易さが大きく変わるだろうに、結果の出るのが遅過ぎる。

 4月25日頃から急にテープかぶれ(rash;eruption)が始まった。胸のCVカテーテル(中心静脈カテーテル:central vein catheter)を覆っているガーゼ等を胸に止める紙テープにかぶれた様だ。先週金曜日のマルク(Mark:骨髄穿刺;bone marrow puncture)の周りと首の根元にあたっていた所がひどくかぶれて、赤くかゆくなってきたので、ナースに話し、もっと皮膚に優しいテープというものに変えて貰ったり、 かぶれた皮膚の所にはテープが当たらない様にして貰う。

【血液検査結果】4/28
WBC(白血球数)3,700 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 6.4 [g/dl]、PLT(血小板数)187,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 12.2[プロミレン]、好中球(Neutrophil) 98.0%、リンパ球 2.0%
γ-GTP 150 [IU/l]、クレアチニンキナーゼ(CK) 11[IU/l]、CRP(炎症反応) 0.4[mg/dl]、好中球数3,626[個]
メソトレキセート血中濃度48hr. 0.03<0.1μM/Lでクリア。

2007-05-10

2006-04-27 (木) Bコース(1回目)3日目 

 朝一番の血圧(blood pressure)は87-54、脈拍(pulse)は68、体温36.9℃。指先のしびれは昨日のルンバール(Lumbal:腰椎穿刺)以降、第一関節まで広がっており、気のせいか足の指先もしびれた感じがする。頭痛(headache)は目下無いが、咳(cough)が時々出ると頭痛がする。喉に少し違和感があり痛い。少し赤くなっているそうだ。咽頭スワブ(throat swab)は違和感を感じる右側を中心に取って貰う。本日も1日尿回数チェックと尿量毎回計測をしなければならない。それとは別に検尿が、細菌検査と一般検査(テイセイ・チンサ) の2種あった。

 便通(bowel movement)時、チリ紙に少々血が付く。また肛門(anus)に傷を付けてしまったのではないかと恐れる。前回の経験で行くと、傷がしっかり治らないまま白血球(WBC;white blood cell)数が下がると、肛門が非常に痛くてたまらなくなるからだ。もう治療が始まっているので、早く治る事をひたすら祈るのみである。

 本日から3日間(4/27-4/29)は、結膜炎(conjunctivitis)予防(キロサイドの副作用予防)の目薬フルメトロン点眼(Flumetholon)を1日4回する。以前、目を怪我して上皮糜爛(びらん;erosion:侵蝕,ただれ)が起こって以来、KF医大へ通院して治療を続けているが、この目薬はそこで処方して貰っていた(0.1%)のと同じで、パーセントだけが0.02%と違っていた。単なる対症療法的な目薬かと思っていたのだが、ステロイド(steroid)入りらしく、この目薬を差さないと今回のキロサイド(Ara-C:Cylocide)の影響で目が真っ赤になってしまうらしい。

 検尿のpH検査は1日3回で、9-12時分はpH7.0、12-16時分はpH7.5、16-22時分はpH6.5であった。酸性(pH7.0以下)ならばメイロンを追加するという事で、12時にKN先生が追加のメイロン1A・生食20ccを静注(静脈内投与;静脈内注射:intravenous injection)、20時にはナースがメイロン1A・生食50ccを全開で点滴して行った。通常尿はpH 5~6の酸性(acid)であるのだが、メイロンでアルカリ性(alkaline)にしてメソトレキセートを早く体外へ排出され易くする様にしており、今回の治療中はpH 8.0以上が理想だという。その為、尿が酸性の場合は水分を大量に取ってメソトレキセート濃度を薄めるとかメイロンの追加をする事になっているそうだ。ちなみに中性(neutral)はおおむねpH 7である。

 12時に採血があり、48時間経った血中メソトレキセート(MTX:Methotrexate)濃度は 0.06<1μM/Lでクリア。こちらは薬剤追加をしなくて済む。

 Bコース3日目の今日は、6回点滴、3回静注、点滴は深夜までかかる。先ず、10時にステロイドのソル・メドロール(Solu-medrol)の点滴(30分)と吐き気止めのカイトリル(Kytril) 1Aの静注がある。静注といってもCVカテーテル(中心静脈カテーテル:central vein catheter)の側管に注射器(syringe)を直接つなげて薬液を流し込むので、腕に針を刺されることはない。次いで11時に抗癌剤(anti-tumor agent)のキロサイドを3時間かけて点滴する。12時には24時間持続点滴(ソルデム・メイロン(Soldem・Meylon))の交換、およびロイコボリン(leucovorin)の静注。16時に再度ソル・メドロールの点滴30分。18時から6時間おきに(4/29の朝6時まで)ロイコボリン5A・生食50mlを全開で点滴というのが始まる(本日深夜0時にもある)。そして21時半にカイトリル静注とキロサイドの3時間点滴を始める。午後は疲れて殆んど、うとうとして過ごす。夜中は、治療とは関係なくナースの巡回があるし、自分を含め同室の人がトイレに行く時の扉の開け閉めで目が醒めてしまい、よく眠れない。明日もほぼ同じ事が繰り返される。

 ずっとバラバラで回診に来られる3人の先生団を不思議に感じていて、今日直接聞いて確かめてみると、やはり若い女医のKN先生は研修医であった。という事は、主治医は一番年長のKB先生、もっぱら私の治療を詳しくみて担当してくれているTNB先生は担当医とでも呼ぶのだろうか? TNB先生は研修医のKN先生の指導もしている様だ。大学病院という所はなんだかややこしい?

 母より、初の携帯メールが届く。凄い! とっても嬉しい。話によると猛練習しているとか。体が自由にいう事をきかなくなってきて、家の1階にあるコンピューターまで行けなくなり、ノートパソコンを購入して自室で打てる様にしていた母が、最近は体力的にノートパソコンを開くのさえもしんどい日が多くなってきていると言う。エッセーを打つのはパソコンの方が楽だろうが、メールだけのためにパソコンを開くのはひどく疲れると聞いているので、携帯メールは慣れればとても便利なものだと思う。母ももっと良くなって欲しいと祈る。早速返信する♪

2007-05-09

2006-04-26 (水) Bコース(1回目)2日目 MTXのルンバール

 今日も軽く頭痛(headache)あり(寝てやり過す)。指先しびれは相変わらず。吐き気(nausea)は無い。血圧(blood pressure;BP)98-57(脈拍pulse は70)。温タオルで体清拭。昼食のお魚はパサパサで、作ってくれている人達には誠に申し訳ないのだが、いい加減、食べるのが嫌になる。夜は化療後食選択メニューの冷凍ピザ(市販品)で、こちらはおいしかった。

 尿回数チェックと尿量毎回計測、および検尿(urine analysis;uroscopy;urinalysis) 1日3回(9-12時、12-16時、16-22時)でpH検査をする。酸性(acid)ならばメイロン(Meylon)を追加する事になっているが、3回とも大丈夫だった。

 採血が12時にある。血中メソトレキセート濃度測定用と通常の一般検査用を女医のKN先生が採っていかれた。結果は正常値内だった。

 昨日から続いているメソトレキセート(MTX:Methotrexate)持続点滴が14時前に終わり、14時過ぎから女医のKN先生によるメソトレキセートのルンバール(Lumbal:腰椎穿刺)が、ナースとTNB先生立ち会いのもと、大部屋のカーテンを仕切った私のベッドの上で行なわれた。同室の人がいるので嫌なのだが、ルンバールの後は頭を起こす事なくすぐに仰向け安静(rest)にする必要がある為、患者のベッドで行なう事になっている。入院してから3度目で、今度は細い針を使って貰う。施術中は体を出来るだけ丸くなる様にといわれ、横向きに寝て、ひざを抱えるという不自然な格好で背中を出す。それだけでも結構しんどいのだが、今回は髄液(脳脊髄液;cerebrospinal fluid;CSF)採取に時間がかかった為、背中(腰椎:lumbar vertebrae)に針を立てられたままじっと丸くなっているのがかなり辛く、その間また、白血病(leukemia)になってしまった自分が情けなくなってしまい、こうしている自分が惨めで涙が止まらなかった。

 髄液は針を腰椎に穿刺(paracentesis;puncture)して、脳脊髄圧(cerebrospinal fluid pressure)の自然の圧で出てくるのを採取するそうなのだが、ルンバールに細い針を使った為なのか、出てくるのに非常に時間がかかっているみたいだった。通常3ml位(?)採るところ、2ml位(?)と採取する量をいつもより少な目にし、その後に入れる髄注液(メソトレキセートの抗癌剤)を少し多目になる様に調整したと説明が聞こえた。これは私の長引く頭痛が、もしかすると髄圧の低下(前回の髄注時の針穴から髄液が漏れた、あるいは髄圧が下がり気味になっているの)が原因かもと考えられる事からの処置である。

 ルンバール後すぐに動いたりするとよく頭痛が起こりやすいとも聞く。今回TNB先生は2時間安静に、といわれたが、念の為に3時間近く出来るだけ長く仰向けに枕をしないで寝た。寝ている間、私の担当の先生方が次々と様子を見に来てくれる。また、24時間持続点滴のソルデム(Soldem)&メイロン(Meylon)の交換があった。今日の点滴はこれだけである。

 ルンバールで緊張したせいか、終了後、指先のしびれは一挙に第一関節分までに広がってじんじんとしている。夜になって、TNB先生が来られ、髄液は感染(infection)も無く髄膜炎(meningitis)も起こしておらず、きれいだったと結果を教えて下さった。頭痛は今のところ大してなさそうである為、今までの頭痛は髄膜炎によるものではなく、脳脊髄液圧によるものらしい、という事になった。

 血液検査では、白血球(WBC;white blood cell)が前回より倍以上増えて、3,200と、正常値[2,800-9,000]になっていた。遅ればせながら増えたんだと喜ぶ私にTNB先生はBコースで昨日からステロイド(steroid)のソル・メドロール(Solu-medrol)を点滴し始めた影響もあるかもしれない、と説明される。ステロイドというものは白血球を増やす効果もあるらしい。ヘモグロビン(hemoglobin;Hb;HGB)は横ばいだったが、血小板(PLT:platelet)は前回の101,000から166,000と、正常値[128,000-393,000]まで上昇した。こちらの方は、ステロイドとは無関係で、自力で増加したのだという。網赤血球数(reticulocyte)も21.5とよく血球を作っている様子が伺えた。炎症反応を見るCRPは1.3と少し減少したが、まだまだ高めである。せっかく血球が増えてきているのだが、もう次の治療のBコースに入っているので、また血球を殺していかねばならない。なんだか複雑な心境だ。

 夜、長姉から、上の娘がバイト先で腕をひどく火傷(burn)したとメールがある。かわいそうに。。。心配だ。

【血液検査結果】4/26
WBC(白血球数)3,200 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.5 [g/dl]、PLT(血小板数)166,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 21.5[プロミレン]、好中球(Neutrophil) 96.0%、リンパ球 2.0%、好酸球(Eosinophil) 1.0%、好塩基球(Basophile) 1.0%
ALP 375[IU/l]、γ-GTP 208 [IU/l]、クレアチニンキナーゼ(CK) 13[IU/l]、CRP(炎症反応) 1.3[mg/dl]、好中球数3,072[個]
メソトレキセート血中濃度 0hr. 11.68<20μM/Lでクリア。

2007-05-08

2006-04-25 (火) 病院食の悲しみ

 栄養士(dietician、dietitian)のTさんが、また病院食についてアンケートをとりにくる。前回(4/17)はお願いして麺食を増やしてもらったが、素うどん200gの量は多いし、ぬるくのびていておいしくないので、増やして貰った火曜と土曜昼の麺類を中止にして貰う。ご飯時の汁物付きというのは続行して貰う。

 Tさんは明日の夕食は『冷凍ピザ』といつもの夕食とのどちらかを選べるが、どうしますか、と聞かれた。化学療法(chemotherapy)で食欲が落ちたり、食欲の無くなった人を対象に、冷凍の食品を出す日があり、食べたくなければそのまま冷凍しておいて、患者が食べたくなった時に好きに温めて食べられる様に配慮したメニュー(化療後食選択メニュー)である。ためらわず、冷凍ピザをお願いした。

 以下に、この日作成したメール文を転載する。

【病院食、やっぱり変だぜ。】
 前も来られた栄養士のTさんが、病院食について再度アンケートを取りに来た。前回は治療で食べられなくなった人を対象にある日の「夕食を『冷凍お好み焼き』にするのだが、どうしますか?」と言う事であった。食べられない場合は冷凍のまま保存しておき、食べられる様になった時にそれを食べれば良い、と言う趣旨のものだった。面白そうなので、それを頼んでみたら本当に市販のお好み焼きが付いてきてビックリした。

 今回はやはり治療で食欲の落ちた人の為にどの様にしたら食べたくなるか等のアンケートであった。何故、どのおかずにもまず使えそうにないレモン果汁がしばしば添えてあるのかを聞くと、人によっては酸味があると何とか食べられそう、と言う事からだそうだ。

 さて、聞き進むに従い、自分の願いを聞いてくれそうな事が分かり、「もともとご飯(めし)を余り食べない食生活だったので、毎回ご飯食は辛い。おかずに汁気がある時はそれにご飯を浸して(いわゆるニャんニャんご飯にして)食べるのだが、それ以外の場合、おかずを食べてもご飯が残ってしまって困る時がある。味噌汁等、毎回汁物があれば助かるのだが。。。」と言ってみた。すると直ぐにそうしましょう、という事になった。

 それではと、もう一つお願いしてみた。「麺類が大好きでここは木曜の昼が麺類の様だが、回数を増やせないだろうか」と。するとこれも直ぐにそうしましょう、という事になり、通常麺類である木曜日の昼の他に、火曜と土曜の昼を麺類にしてみよう、という風にアレンジしてくれたのである。但し、うどんなのでのびてしまう事は覚悟の上である。このアンケートは月曜の夕食後の話であった。

 さて、早速、火曜の昼である。タイミングが非常に悪かった。なんとおかずはビーフストロガノフであった。やっぱ、ご飯だろうなぁ、このおかずなら。。。きっと、もしホワイトシチューがおかずの時も火曜や土曜の昼だったら素うどんとシチューなんだろうなぁ~・・・

 一方で、昼・夕の食事には汁物がメニューに無い日でもつく様になった。これはありがたい、とご飯をかき込んではいたが、木曜日の昼は驚いた。木曜日の昼は麺類なのだが、その日はきつねうどん。その他に小さいお惣菜と、小さい吸い物が付いていた。。。何でやねん!!!

 ちなみに、本日昼ごはんも素うどんに味噌汁(miso soup;Bean-soup)が付いていて複雑な思いをしていると、また例の栄養士のTさんがアンケートを取りに来られた。明日の夕食は(食べられない人の為に)冷凍ピザだけどどうするか?ということだったので、ためらわずピザを頼んだ。こういってはなんだが、市販の方が味がするしねぇ。。。ついでに、火曜昼と土曜昼の麺類は取り消しにして貰って、汁物付きだけにして貰いました♪

2007-05-07

2006-04-25 (火) Bコース(1回目)1日目 Bコース(HDMTX/AraC)治療始まる

 指先しびれ少々と、朝食後から頭痛(headache)始まるが、今日から治療が始まるので、ロキソニン(Loxonin)は飲まないで我慢する事にする。今朝は久々に腰痛(lumbago;backache)も少しある。少々辛い。また、病院側の要望で全入院患者対象に緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)の検査として検便(fecal examination、scatoscopy)と朝一番の咽頭スワブ(throat swab)がある。今日で丁度入院30日目になる。

 何故か急に立ち眩みする事、一回。IVHコネクター(intravenous hyperalimentation connector)交換がある。前回は4/11で、これは2週間に1回交換するそうだ。また、1日微熱(low grade fever;subfever)が続く(朝37℃→9時半37.4℃→10時半37.7℃→14時半37.5℃)。

 化学療法(chemotherapy)のBコースが始まる。頂いた予定表ではHDMTX/AraCと書いてある。恐らくHigh dose MTX(メソトレキセート:Methotrexate) & AraC(キロサイド:Cylocide)の略だと思われる。メソトレキセートとキロサイドの大量投与療法という事か。

 先生からの説明追加事項や諸注意事項をまとめると以下の様になる。
・ 本日から治療開始に付き、毎日体重測定する事になる(今迄は月・水・金)。体重が急に増える兆候が現われれば、尿が正常に排泄されていない、ひいては腎臓(renal;kidney)に負担がかかっていないかを疑う材料になるそうだ。

・ 排尿(micturition)・排便(defecation;evacuation)回数チェックと毎回排尿量を計測して記録する表をナースから渡され、5/1まで記録してと言われる。尿が十分量出ているかどうかをチェックする為に必要な事とは分かるが、点滴の管につながれ、キャスター付き点滴棒(イルリガートルIrrigator台)を転がしながら共同トイレに行き、採尿カップを取ってからトイレに入り、採尿して量を測り、尿を捨ててトイレを出て採尿カップを洗うという、非常なストレス(stress)を前回のAコースで味わっている為、治療表を見て必要最小限の日数を考えてから、先生に訴えて、4/30迄で終了してよい事にして貰った。

・ 初日の今日は水分を特に多くとって、出来るだけ尿をたくさん出す様にと注意されている。これは抗癌剤(anti-tumor agent)の副作用で腎臓に負担がかかる為で、せっせと尿として排出した方が良い、という事らしい。

・ 今夕より検尿でのpH検査がある。明日からは1日3回(9-12時、12-16時、16-22時の間の、それぞれ任意の一回の)尿のpHを3日間(4/28まで) 測定する。酸性(acid)ならばメイロン(Meylon)が追加される。

・ 大量投与するメソトレキセートの血中濃度を測定する為、明日から3日間昼の12時に採血を行なう。もし血中濃度が高い場合は、メソトレキセートの解毒剤(antidote)にあたるロイコボリン(leucovorin)の投与量を変える必要があるそうである。

・ Bコース3日目から3日間(4/27-4/29)は、結膜炎(conjunctivitis)予防の点眼剤(eye wash;ophthalmic wash;eye drops、目薬)を1日4回する。

2006-04-21 (金) Bコース使用薬剤の説明 も要参照。

 Bコースの治療は、先ず尿をアルカリ化(alkalization)するという点滴(ソルデム(Soldem)&メイロン(Meylon))が約3時間かけて始まり、これが終了すると同じ種類を濃度と投与速度を変えて24時間持続点滴(4/30日まで)として繋ぎかえられた。

 抗癌剤の前にステロイド(steroid)のソル・メドロール(Solu-medrol)30分、吐き気止めカイトリル(Kytril)30分の点滴があり、正午から先ず高濃度の抗癌剤のメソトレキセートを2時間かけて点滴し、次に濃度と投与速度を変えて約1日かけた点滴につながれた。この濃度は私の身長・体重から体表面積を計算して算出しているそうだ。

 夕刻に利尿剤のダイアモックス(Diamox)10分、今朝と同じソル・メドロール30分、夜にもう1度ダイアモックス10分、就寝時刻前にカイトリル30分の点滴があった。

 という訳で、今日は計10の点滴があった(内2つは継続中)。尿計測が大変面倒である。それ以外は疲れて寝て過ごす。母携帯メールを使い始めたという。そのうち私にも携帯からメールが届くかと思うと、とても楽しみである。

2007-05-06

2006-04-24 (月) Aコース(1回目)28日目 同室メンバー

 4人部屋だが、今朝は皆5時半から起床し出した。同室の人は私を含め4人で、一人は私の入院時にこの4人部屋に1人でおられた先輩患者のISさん、彼女は急性リンパ腫(lymphoma)で確か外套(mantle)細胞性と言っておられた。私と似た治療を受けておられるが、全く同じではない様だ。私よりは年上で、ご主人がおられ、病院のすぐ近くに住んでおられる。4/18に相部屋へ戻ってきた時、彼女だけが顔見知りであった。

 2人目はKBさん、急性骨髄性白血病(acute myelocytic leukemia;AML)で実兄のHLA(骨髄の型;組織適合抗原:Human Leucocyte Antigen) 4座違い(と聞いた様に思うが何座だったかハッキリしない)の骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)を受けて最近この病室に戻って来られたという。2人の子持ち、まだ小学生位か。

 3人目はMYさん、60歳位で確か多発性骨髄腫(multiple myeloma)と言われていた。娘さんと、40年前生田神社で結婚式を挙げたというご主人が交互に見舞いに来ている。抗生剤点滴でやられて皮膚炎(dermatitis)を起こし、とても痒く熱っぽいらしい。病気自体はどうやら再発(recidivation)らしいが、くよくよする事も悲観する事も無く、淡々と治療を受けておられ、人生達観している様な印象を受けるご婦人だ。

 午後、勇気を出して同室のISさんとKBさんに声をかけてみた。MYさんは検査の為、不在だった。先輩患者のISさんが間を取り持ってくれた為、皆で少々お話が出来た。イソジン(Isodine)での正しいうがい(gargle)の仕方等を教わったり、治療の事も教えて貰う。うがいは日に最低8回(起床時、食前・食後、就寝前)はする様にするらしい。私は今迄イソジンでうがいした後、最後に水で口をすすいでいたのだが、それをするとイソジンの効果が薄れるので、イソジンうがい後は水ではすすがないそうだ。初回の治療では、喉の痛みでもかなり苦しめられたので、うがいをしっかりして炎症(inflammation)を起こさない様に注意しようと思う。

2007-05-05

2006-04-24 (月) Aコース(1回目)28日目 

 採血2本。採血は通常は月・水・金と週3回ある。軽頭痛(headache)がするのでロキソニン(Loxonin)を朝と夕方の2回服用。1日便通無し。

 明日から治療のBコースが始まり、また24時間点滴生活の後、白血球数(WBC;white blood cell)減少によってシャワー禁止になるだろう事から、シャワー予約を取ってもらい、念入りに体を洗う。

 今日の血液検査結果は、白血球数は4/21に1,100から1,400に増加したが、期待されている3,000~5,000にはまだ達していなかった。ヘモグロビン(hemoglobin;Hb;HGB)は自力で7.5に増加。血小板(PLT:platelet)は51,000から101,000へ増加していて、こちらは良い感じである。網赤血球数(reticulocyte)も6.7から12.5と増加している。CRP(C-反応性蛋白:C-reactive protein)は2.8から1.5に減少しているが、CRPの値が下がり切らないのが少々気になるとKB先生は言われていた(標準値は0.2以下)。

 私の感想としては、白血球が更に少しだけ増え、血小板は自力で前回の倍に増え、少しだけ良い感じである。きっと外泊効果だろう。金曜日で全ての抗生剤(antibiotic)・抗菌剤(antimicrobial agent;antibacterial agent)の点滴が終了したので肝臓(hepar、liver)の負担も軽くなったせいもあるかもしれないが、GOTは基準値の真ん中で変わらず、GPTは金曜日と同じ、この所ずっと高かったγ-GTPはまだ高いとはいえ下がり始めていた。また久々にアルコール(alcohol)を飲んだが入院する前は毎日お酒をよく飲んでいた。私の肝臓も外泊でリラックスしたのかなぁ? どれだけ飲んだかは先生にはヒミツである。聞かれたらきっと「一杯(いっぱーーい)飲んだ」と答えるかも?!

 KB先生に、私の白血病(leukemia)は骨髄性(myelogenous)の顔も少し持っていると言われたが(3/27病名宣告)、それならば急性骨髄性白血病(acute myelocytic leukemia;AML)の分類であるM0~M7のどれにあたるのかを聞くと、分類出来る類のものではないらしい。リンパ性(lymphocytic)の白血病と考えて下さい、との事。但し、点数で評価する事は出来るらしい。その方法は、この表面マーカーにはリンパ性だけ、こちらは骨髄性だけ、これにはリンパ性も骨髄性も反応するといった色々なマーカーを用意し、それを元に点数を付ける事が出来るらしい。せっかく聞いたけど、結局良く分からなかった。

 治療開始に備えて地下にある売店へ行き、飲み物等を購入する。普段はティーバック方式のお茶等を飲んでいるが、白血球数が少なくなって感染(infection)予防に注意が必要になってくると、病室から極力出ない様に言われているのでお湯を沸かしに行くのもためらわれるし、衛生面からも自分でお茶を入れるよりペットボトルの方がはるかに楽だと今回の治療コースを一通り終えて感じる様になったからだ。

【血液検査結果】4/24
WBC(白血球数)1,400 [/μl]、HGB(ヘモグロビン) 7.5 [g/dl]、PLT(血小板数)101,000 [/μl]、網赤血球数(reticulocyte) 12.5[プロミレン]、好中球(Neutrophil) 79.0%、リンパ球 18.0%
GPT 34[IU/l]、ALP 421[IU/l]、γ-GTP 227 [IU/l]、CK 20[IU/l]、CRP(炎症反応) 1.5[mg/dl]、好中球数1,106[個]

2007-05-04

2006-04-23 (日) 外泊中の食事等

 外泊初日の昼は念願だったラーメンを次姉が作ってくれ、母と3人で食べたが、味が良く分からない上に薄く感じる。母達はおいしいといっているので、本当に自分の舌(味覚gustation、taste sensation)がおかしくなってしまっているらしい。せっかくの大好物のラーメンもこんなに味が分からないと、食べる楽しみが半減してしまう事を知った。長い治療のうち、まだ1コース目が終わったばかりである。味覚はいずれ元に戻るとは言われているが、いつになる事やら。

 夕刻、久々にいつも飲んでいた赤ワイン(wine)を飲んでみるが、これも全然味が違って感じる。形容しがたい味で、味がする事はするがおいしくない。何を飲んでいるのかが分からない、という感じである。仮眠後、缶ビール(beer)を母と分け合い、夕食をとる。食事も病院食よりはおいしい筈なのだが、あんまり物の味がよく分からないものが多かったが、ビールだけはとてもおいしく、ビールの味がした。

 外泊翌日の朝食用に病院食を残して持って来ていた。個別包装されたパンとバナナ、パック入り牛乳である。生ものはダメ、牛乳も未開封のものを飲み、開封後時間が経ったものはもう飲まない様にするとか、パンでもサンド等調理したパンはダメだが個別包装されパック詰めされているものならよいとか、ややこしかったので、持って帰って来た。

 昼は鴨肉で鴨なんばそばを出汁の味をかなり濃い目にして作り母と食べたが、今度はかなりおいしく感じた。毎週末よく食事を作って母と一緒に食べていたが、母は1人で食べる週日より、私と一緒に食べる分、週末の方がたくさん食べるとよく言っていたが、久々に私が作った鴨そば、味覚障害になっていたので味付けに自信が全く無かったが、おいしいと言って食べてくれた。

 お見舞いに貰ったプリン(洋菓子類も生クリーム等はダメで、プリンならば密封シールした例えば大手のPプリンといったタイプのものならOKといわれている)は、これまた私の好物なのだが、プリンの味がせず、おいしく感じなかった。

 また、幼馴染のYちゃんが筍煮をおすそ分けしてくれた。Yちゃんや彼女のお母さんは非常に料理が上手でおいしいのだが、それを夜、母と一緒に食べたが、これは非常においしく、筍の味がした。そばといい、筍といい、和風の濃い出汁で味付けた食べ物には味を感じるのだろうか?

2007-05-03

2006-04-23 (日) Aコース(1回目)27日目 帰院

 久々に、本当に久々に熟睡出来た。夜一度も目覚める事無く朝までグッスリ熟睡出来た。自分のベッドで、当然夜中ナースの巡回に邪魔される事無く、朝までグッスリ眠れた。これだけでも、今回の外泊は大変な値打ちといえる。やっぱり家が最高ーー!

 昨夜母は、私の顔色が「あんなに色白だったのに、白くなくなった」と言った。今朝改めて鏡を見てみると、変な色、茶色? おうど色? の様な顔色になっていて自分でも驚いた。ますます鏡を見る気がしなくなる。気分も滅入る。抗癌剤(anti-tumor agent)のせいなのだろうか。今日は、ロキソニン(Loxonin)は午後に一回だけ飲む。

 母の愛猫のタマにエサやり。いつもお座りさせてからやっていたので、覚えているかどうか試してみた。かわいい。。。タマは私がショウちゃん帽を被ってマスクをしていても、私と認識してくれている。先生に注意されていたので殆んどタマには触れない様にし、触ったらすぐ手洗いする様に気を付けた。猫も生もの??(生き物)で動物からの感染(infection)も恐れているらしい。ダメだといわれると、ギュッと抱きしめたくなる、そんな衝動に駆られるが、こんなちょっとした不注意で感染してはいけないので、ここはグッとこらえた。

 ペット禁止に加え、子供は色々な感染源を運んでくる可能性があるからなのか、特に小さい子供連れの見舞いは場合によっては遠慮願う事があると病院側は注意を促している。それで思い出すのが、私が入院して病名が分かった後、母と次姉がやったというやり取りだ。長姉から聞かされたので直接は知らないのだが、次姉が子供を連れ私の見舞いに行くと言ったのに対して母が、子供は家に置いて次姉だけで行く様に言った所、人一倍子思いの次姉は、自分の子をばい菌扱いされた様に受け取ってしまったのか、ひどく怒ったという。まだこの病気にかかった病人(私)に接する時はどの様にすればよいか理解して貰っていない頃だ。そして、それならそれこそ家にいる猫のタマを殺してしまえと母に言ったというのだ。病弱の母に余りに酷な。。。どちらも私の病気を気遣ってのセリフだけに、余りに悲し過ぎる。そんな話を聞いているから尚の事、タマを触ったが為に感染等という事態にだけはならない様に細心の注意をした。

 外泊で今日病院へ帰らなければならなかったが、今日も色々好きな事をしたり、母と話したり、母に頼まれたノートパソコンの調整等をして、夕食まで家で過ごしてから、荷物をまとめ、20時に帰院した。CV (中心静脈:central vein)カテーテルにヘパリン(heparin)を通して貰う。何も点滴が無い日は、1日1回はヘパリンを通す事になっている。次にカテーテル(catheter)の挿入部を保護するガーゼの交換。これは挿入部をイソジン(Isodine)で丁寧に消毒(disinfection)した後、清浄なガーゼで覆い、テープで止めるもので、このガーゼの下からカテーテル(管)が出た形になるので、先端部分(点滴等と繋ぐ部分)は汚れない様にガーゼで包んでシャツの胸ポケット等に入れている。自分の胸からこんな異物(CVカテーテル)が出ているのを見ると病人である事を自覚せざるを得ない。

 もっと家にいたかった。また非日常が始まる。

2007-05-02

2006-04-22 (土) Aコース(1回目)26日目 初めての外泊

 のど痛殆んど無いが、少し乾く感じ。指先少々しびれている。今日も隣の人の寝息が気になって殆んど眠れず。首・肩の凝り少々。

 9時、次姉がわざわざ隣県から迎えに来てくれたので、すぐにCVカテーテル(中心静脈カテーテル:central vein catheter)にカテーテル内の凝固(coagulation)防止であるヘパリン(heparin)を通して貰い、昨日のマルク(Mark:骨髄穿刺;bone marrow puncture)痕の絆創膏を小さいものに替えて貰ってから病院を出る。

 次姉に頼みY字型になって市中を流れている川の西側上流を神社まで新緑ドライブして貰う。この道の新緑が昔から大好きな光景である。まだまだ病気に不安があるせいか、新緑の美しさが眼に沁み涙が溢れる。神社内の遅咲きの枝垂れ桜が美しかったが、感染(infection)に注意(動物、生もの、植物も不用意に触らない様に)と言われているので遠くから眺めるのみにする。

 11時頃我が家へ帰宅。偶然であるが母に会いに来る客(私もよく知った人ばかり)の多い日であった為、図らずも色んな人に会って挨拶をしたりした。母から私の病名を聞いて驚きを隠せないお客さん達は、母のヘルパーHさんに編んで貰ったショウちゃん帽を目深にかぶり、家の中でも感染予防にとマスク(mask)をしている私にどんな顔をして目を合わせればいいのか躊躇しているのが見て取れた。母は意外に元気そうだと、私を見て喜んでくれた。

 午後は、もうすぐ来る夏に備えてポケット付Yシャツや使えそうな夏服を引きずり出す。洗濯等もする。その他荷物や書類の整理をしたり、雑用をしたり。。。それから昔母が使っていたカツラ(wig)を見つけ出し、試着してみる。以前の自分の髪型に近いカツラが1つあったので母に見せたりする。こんな傍から見ればどうでもいい様な事がしたかった。

 約2週間ぶりに手足の爪切りをする。両手も親指付け根に見える白い半月状の爪半月(lunula)は、4/15消えかかっていて驚いたが、治療が一段落した今は色を少し取り戻して白くなってきている。見えなくなっていた両手人差し指と中指の付け根の爪半月も少しだけ見えてきている。きっと火曜からの治療でまた消えてしまうのだろう。ロキソニン(Loxonin)は午後と夜の2回飲む。

 夕刻から久しぶりに母と酒盛りをして、ワインはワインの味がせずおいしく感じないとかビールはおいしいとかの味覚異常の話や、四方山話をして過ごす。私が入院してから母は頑張らねばと、元気にならねばと言っていると長姉より聞かされていたが、四肢の具合は入院前と変わらず不調で辛そうであった。しかし、無理してなのか頑張って起きて私とのおしゃべりに付き合ってくれた。

 夜はインターネット検索等をしてくつろいでいると、猫のタマが甘えて擦り寄ってきてくれる。撫で撫でしたい気持ちは一杯だが、ペットはまだ禁止と先生から言われているので、出来るだけ触れない様に気をつける。そんなこんな好きな事を少しだけして、懐かしの我が家のふかふか柔らかベッドで床に就く。ささやかな幸せである。これで胸から管さえ出ていなければもっと幸せなのだが。。。

2007-05-01

2006-04-21 (金) Bコース使用薬剤の説明 

 夜、TNB先生より、次のBコース予定表とその内容の説明を受ける。使用する薬剤の量は私の身長[cm]、体重[kg]から体表面積[sqm]を割り出して計算されるらしい。

 以下に、使用する薬の説明内容等と更に自分で調べた内容の簡単な箇条書き。

・ メソトレキセート(MTX:Methotrexate)……葉酸代謝拮抗薬(folate metabolism antagonist)、抗葉酸(antifolate)。
 ★今回注意する副作用として腎不全(renal insufficiency、腎機能不全;renal failure)、口内炎(stomatitis)、肝障害(hepatopathy)、肺炎(pneumonia)、粘膜障害に注意が必要。

・ キロサイド(Ara-C:Cylocide)……急性骨髄性白血病の中心的薬剤。
 ★中枢神経毒。大量投与時に、小脳失調(cerebellar ataxia)の恐れあり。その他、副作用に下痢(diarrhea)、アレルギー(allergy)( 発熱(pyrexia、fever)、発疹(exanthema;eruption))、心不全(cardiac failure;heart failure)、結膜炎(conjunctivitis)、脱毛(alopecia)。

・ ロイコボリン(leucovorin)……MTXの解毒剤antidote (中和剤neutralization)。ホリン酸、ホリニン酸。巨大赤芽球性貧血(悪性貧血:pernicious anemia;PA)の治療にも用いられる。

・ ソル・メドロール(Solu-medrol)……ステロイド(steroid)。プレドニンより強く、約1.25倍の強さ。

・ プレドニン(Predonine)……ステロイド。ソル・メドロールより弱い。

・ カイトリル(kytril)……吐き気止め。

・ メイロン(Meylon)……尿をアルカリ化する。MTXを体外へ排出し易くする。

・ ダイアモックス(Diamox)……一般利尿剤。

・ 血中MTX濃度……採血をして、MTXの濃度を調べ、その血中濃度によってMTXの解毒剤であるロイコボリンの投与量を調整する。

・ フルメトロン点眼(Flumetholon)……キロサイドの予防。

・ ソルデム(Soldem)3A……水分

※ブログ『2006-04-25 (火) Bコース(1回目)1日目 Bコース(HDMTX/AraC)治療始まる』も参照の事。