2007-06-18

2006-05月31日 母との電話

 今日、母との電話で、病気が治ったら母の住む実家に帰っておいでと言われる。突然の事だったが、非常に嬉しく、涙が出た。

 母が私の入院以降、急に家の水周りの大改造に着手し始めたのは日々の電話で知っており、この前の外泊・外出時にも少しその話を聞いていたのだが、今日は2階シャワールームのシャワー等がガスで浴びられる様になったという。我が家は昔からボイラー室があり、灯油によるセントラル・ヒーティング(暖房)と給湯になっていた。そのボイラーは老朽化していることもあり、この際使用を中止し、1階の風呂場や台所等も順次簡便なガス給湯に切り替えていくという。そんな話をしている中で、母は、「K都に戻り、K都で職を見つけて」と電話で言ってくれたのである。

 私は入院する以前から、(母が非常に気にするので『母の為にも』という言葉は出さなかったが)近い未来、いずれK都で職を探し直し、母とずっと一緒に暮らそうと思っているという事、そういうチャンスが来る(職が見つかる)可能性があると見込んでいるという話をしていた。一方で、大学院で受けていた奨学金を去年繰り上げ全額返済し、K市の住まい購入の為の借金(母から借りて毎年返済していた)も、繰り上げて全額返済出来る見通しが付き、今年前半には返せるので全ての借金が返済完了すると母に報告していた。それに加え、母が病気で倒れて後に大学院中退で就職した職場も5年契約をこの3月で終える所だったが、2月に無事契約更新(延長)出来たという、うれしい事情もあり(母も安心したのか)、今年になってからは私が京都に戻ってくるのも良いという事を母も言う様になっていた。

 母は昨年末の平日、夜にトイレで転んで肋骨を折ってしまい(rib fracture)、翌朝まで動けず、入院した経緯があり、体力的にも更に弱ってきてしまっていたし、今年の正月は、母はまだ凄く痛そうで、ベッドから体を起こすだけでも一苦労で、全身激痛が走って辛いのがありありとみてとれた。母はいつも、これ以上私の負担になるのを嫌い、ヘルパーさん等を頼み、平日は自力で頑張ってきている。そんな母の性格上、正月明けは昼・夕とヘルパーさんが来てくれるので、私はいつも通りK市の職場に行って金曜日はいつもより更に早めに戻った方が良いか、年休を使って1月9日(月・祝)まで休んで一緒にいた方が良いか悩んでいた。すると、正月早々母が私の予定を聞いてくるので、母の意向を聞くと、凄く傍にいて欲しい、という旨を言う。こんなに気弱な母を見た事が無く、年休を取って9日までいる事にすると言うと、悪いね、ありがとうと、あの気丈な母が涙を浮かべつつ感謝してくれるので、非常に戸惑ったが、素直に私を頼りにしてくれて嬉しかった。

 思えば、独立して実家を出よと言われ、電車で2時間ほど離れた隣県(イメージ的には隣隣県、通学、通勤には実家から2時間半かかる)K市に移ってはいたのだが、そこの環境は自分が小さい頃から育ってきたK都と違って緑も少ない等、なかなか馴染めなかった。慣れる為にも、もう週末はK都には帰らないで色々遊ぶからねと母に言い、「それで良い」と母は満足していた矢先に、母は脳梗塞(cerebral infarction)を起こし、身体機能がおかしくなってしまった。姉が2人いるが、まだ子供も小さいとか、K都から遠い所に住んでいるとかがあり、結局一人身で、まだ大学院生で学生をしていた私が毎週末、実家に戻って色々と母の手助けをする事となり、K市の部屋は朝食と遅い夕食、眠る場所になってしまっていた。

 ひたすら母が回復すると信じて、色々病気に良いと思われる事をしたりしていたのだが、多発性脳梗塞と診断され、小さな梗塞が何度も起こるのだろう、徐々に運動機能が悪くなり、レベルも要支援から始まり、平成16年9月からは要介護3になっていた。そして昨年末の転倒事故である。いずれ実家に帰って来ようと思っていたが、そんな経緯から、もっと早く職をこちらで探した方が良いかもしれないと思い始めていた。

 しかし突然の白血病(leukemia)の発病でそれどころで無くなり、休職する事になってしまった。幸い職場のボスが入院中も契約更新をしてくれると言って下さったおかげで、健康保険から補助が出るに始まって、入院費も大変助かる事が分かった。そんなこんながあったので、早く実家のあるこの都市で職を探そうと思っていたが、お礼奉公で病気が治ってもしばらくはボスの所で働き、恩返しをしたいと母に話していた(その為、母には言わなかったが、母の具合によっては、いずれ実家からの通勤になるとも考えていた)。

 そんな気持ちがある一方で、普段は考えない様にしているが、心の奥底で、もしこの病気が治らなかったら、このまま最悪の事態になったら、という不安が付き纏う。そんな時、戻る所は職場のあるK市ではなく、K都の母のいる実家に戻りたいと願っている。そういう話はしたつもりはないのだが、母親の直感で感じたのだろうか、家に帰っておいでと電話で言うのである。急に光が見えるというか、病気が治るかもしれない、という思いの方がまた湧き始め、嬉しくてメールでも『治療の励みにする、また一緒に旅行をしよう』と返事を出すと、母から更に、○×△の家に一日も早く戻っておいで、と返信メールが届く。K都に戻れるのが嬉しい、戻れる場所が出来たのが嬉しい。訳もなく嬉しい。早く病気を治したい。

  元気付けられた母からの携帯メール:【お便り有難う。○×△の家に一日も早く戻っておいで。あなたの発病以来 私は考えを変えました。この家を 後20年以上 あまりお金をかけず残す方法を・・帰って来なさい。皆で 有効に利用しましょう。また旅行しましょうね。私にとっては夢のまた夢? ではまた 母

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