2007-04-08

2006-04-06(木) Aコース(1回目)10日目

 今朝も右耳がボゥーっとして少しおかしい。耳抜きができると頭痛(headache)になった。のどは昨日よりずいぶん痛い。先生に言うと、ボルタレン含嗽水(がんそうすい;含漱水;gargle:うがい薬)を処方してくれる。痛み止めのボルタレンが入っていて、使用時によく振ってからうがいするものだそうだ。この痛みがひくのかと期待して使ってみたが、余り痛みがひいた様には感じなかった。少しは効いていると信じたいが・・・今日は化学療法(chemotherapy)はお休み、明日から4日間、また点滴治療が始まる。ミコシストカプセル[100mg](防カビ剤)の服用を今日(4/06)から3日間(4/08まで)、再度中止する様にTS先生から指示がある。明日、抗癌剤(anti-tumor agent)オンコビンの2度目の投与があり、それとの副作用を避ける為である。

 11時頃長姉と次姉見舞いに来てくれるが頭痛がひどくすぐ横になる。昨日一家で来た長姉は家族に桜見物などをさせた後、一緒に東京へ帰るという。そしてその帰りの電車の中で家族のみんなに私の病名を知らせると話した。姉二人は、私がいずれ受けるであろう骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)で骨髄の型(組織適合抗原;Human Leucocyte Antigen;HLA)が合うかどうかを調べるHLA検査を受けにきた。検査自体は保険がきかないそうで、一人28,035円かかったという。この検査で骨髄穿刺(マルク:Mark;bone marrow puncture)をされるのか、骨髄を採って調べるのかと心配していたが、採血だけですぐに終わり、検査結果は出るのに1週間程かかるそうだ。姉妹なので完全一致する確率は四分の一、一致しなければ骨髄バンクで探す事になる。合ってくれる事を祈ります。両姉に感謝。とにかく頭痛がひどく一日寝て過ごす。

 夜、母より電話があった。私の病気の事から、気分的に今日ようやく立ち直れたと言ったのを聞き、ホッとした。私も母に、留学したと思って、しばらく会えないけど電話では話せるからと話す。私が入院する前の母は、身体の具合もかなり悪くなり、要介護3となってからは、可能な限りヘルパーさんに来てもらう様にしていた。母は多発性脳梗塞(cerebral infarction)と診断され、小さな梗塞を繰り返しているらしく、徐々に身体機能が弱ってきていた。それでも毎週末、私が帰ってくるのを気遣い、一人で大丈夫だからといっていたが、この頃は私と一緒に週末(金曜の夜から月曜の朝迄)を過ごすのを楽しみにしてくれていたのが嬉しかった。一番長く母と共に過ごしてきたので、母がヘルパーさんだけでは頼みきれない事とかして欲しい事とかがなんとなく分かる。疲れたといって何もしない時もあったが、私も母に会うのが楽しみであった。知識豊富で話をしても面白いし、一緒に酒盛りするのが何よりもの楽しみで、一番の憩いであった。今、何も母にしてあげられないのが辛い。自分の口から病名を言おうかと思い直した時もあったが、私の病気を知ってショックでまた脳梗塞を起こすのではないか、更に運動機能が悪くなるのではないかと不安で、また相談した長姉からは、私の口から打ち明けるのはショックがきつ過ぎると待ったをかけられた為、話せなかった。ワンクッション置いて長姉から私の緊急入院した日(3月27日)に母へ告げられたが、『私の口から話さなくてこれで良かったんだ』と自分にも言い聞かせる。

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