2007-03-28

2006-03-25(土) 雑務を片付けていく

 母の為に毎週作っていたヨーグルト(Yoghurt;yogurt)の作り方をヘルパーさんに覚えてもらったり、小物等しまってある場所を覚えてもらったり等、小さな事だがしばらく入院してしまう事を前提にヘルパーさんにお願い出来る事を思いつく限りお願い(申し送り)する。そのほかに、気になる雑用をこまごまと出来る範囲でしていく。すぐに心臓バクバクの頻脈(tachycardia;pulsus frequens)になるのでなかなか能率は上がらなかった。

 休憩のたびに母の部屋へ行き、「検査ではもしかしたら悪い結果が出るかもしれない」とか、「実はO先生のところで血液検査の結果を聞いた時、異常細胞も見つかったと言われたので、あまり楽観出来ないかも」等と話し、いずれ白血病(leukemia)と母に教える時に備えて、伏せ駒になる様に状況を少しずつ母に雑談を交えて聞いてもらう様にした。母が私の病名を知ってショックを受けるのをやわらげ様と思っての事だが、勘の良い母は平静を装っていたが、少しずつ何かを察し始めていたかもしれない。

 夕食は母がヘルパーさんに頼んでレバニラ炒め等、貧血(anemia)に効きそうなご馳走を作ってもらっていた。週末は普段は私が炊事する事が多いのだが、忙しかった事もあり、母の気遣いに感謝しつつ一緒に頂く。レバーはあまり得意ではない方なのだが、鉄分補給、これで少しでも貧血が解消するのならばと頑張って一杯食べる様にし、母も私の食欲を見てまた安心した表情を浮かべていた。

 22:30 帰国したての長姉とようやく連絡が取れ、かいつまんで事情を話す。23:30頃自宅へ帰宅した長姉と電話で今後の事を色々相談する。そしてこの2日程の間に、やはり自分の口から直接母へ病名を打ち明けた方が良いかもしれないと思い直し始めている事を打ち明けた。しかし、長姉は母の多発性脳梗塞(cerebral infarction)という病気を考えると、私が直接話すとショックが大きいと思われるから、私の入院後に長姉の口から母へ話す方が良いと言われ、そうする事にした。長姉は明日京都の実家へ来てくれると言ってくれた。帰国直後でまことに申し訳なかったが、ありがたかった。

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